ボスを、助けなきゃ。




自我もうまく保てない意識の中、唯一ハッキリと頭に浮かぶ思考に身を投じる。体を蝕む氷が、炎の声から遠ざける。助けなくては、と遠い遠い意識の中手を伸ばそうとするが、ナマエの体は大きな氷で覆われている。炎を燃やすこともできない。そんな中、その氷を大きな炎が覆い、焼き尽くした。意識を取り戻すより先に、激しい憎悪の感情に押しつぶされる。そして、その炎がバキリと首につけられていた拘束具が壊した。


この炎は、リオの炎だ。


目を開けることも困難で、自身の体を覆い尽くす炎は普段のリオの炎とはまるきり違う。伝わってくる感情も、痛く苦しいものだった。爆発したリオの感情がマグマへ、そして地球の核へ伝わり、フェンネル火山が噴火した。


”…っ…ぁ”


数多の感情を受け取るのも耐えられるものではないが、リオの桁外れの炎を、それも怒りの感情を身に受けてしまい正気を保っていられない。それでも必死に、意識が遠のく中重いまぶたを開けた。
視界が定まらず、すぐにでもまた意識を手放してしまいそうだ。そして、視界に広がるのは真っ黒な人型。徐々にハッキリしていく姿にドクリと心臓が音を立てる。顔まで怒りで黒く染まったリオの横顔に、思考が追いつく間もなく再び怒りの感情に殴られる。意識を失うわけにはいかない、だがあまりの巨大で激しい感情にまた目の前が遠くなっていく。


なんで、ボスがそんな姿に。


今どこにいるのか、リオが何をしようとしているのか把握することもできず意識が闇の中へと突き放される。





















起きなくては。


動かない体に浮上のできない意識を無理矢理覚醒させる。開いた視界はまだ霞んでいるが、閉じそうになる瞼を必死に開け続けた。


球体のような中に、リオといる。外に広がる景色は山ではなく、街並み。街を焼いているのだと理解し、まだ夢を見ているのではないかと思わず何度も景色とリオを見つめる。


バーニッシュは人を殺さない。


それは、リオが出会った時から掲げている信念だった。そんなリオが何故、街を焼くという行動に出ているのか。ゲーラとメイスが、仲間たちが捕まった。クレイ・フォーサイトへの殺意を炎を通じて感じ、眉をひそめる。激しい怒り、憎悪、殺意と一緒に混ざる悲嘆な心。


どんなに痛くても、どんなに莫大な感情に押しつぶされようとも、死んでもボスを助けなければ。その想いを示すかのように、沈みかけた意識を無理矢理浮上させる。高くそびえ立つビル群を見下ろす。球体のようなものの中にリオと共におり、怒りで髪すらも真っ黒な姿になっているリオの後ろ姿が視界に映る。


”……ぼ、す…”


意識を保つのがやっとで、ナマエは蚊の鳴くような声でリオを呼んだ。だが、同じタイミングで視界に映ったのはこの街のシンボルともいえる建物。十字架のような形で街唯一の建物に、巨大な龍が標的を定める。


怨敵が、そこにいる。


膨れ上がる憎悪にナマエは顔をしかめる。龍は炎を吐き、フォーサイト財団ビルに設置された装置が龍に氷水を浴びせていく。何度も何度も、炎を吹き出しぐるりとその巨体がビルを伝い天へと登る。そして、ビルの一番上に、クレイ・フォーサイトの姿を認めた。息が苦しく、心臓が圧迫されるかのような殺意と憎悪、怒りの感情でナマエの目の前が霞む。


ここまでの大きな感情の共鳴は、初めてだ。それほどリオの炎の純度や量が桁違いであることの証明でもあるのだが、この場合は不都合でしかない。自分の、この体質が。




ゲーラやメイスだったのなら、ボスの助けになれる立ち回りができた。私がこんな能力がなかったら、感情を受け取ってしまうなんてことがなければ。
クレイがどんな手を使ってくるか予測できない。不測の事態が起きても、すぐリオの身代わりになり、リオを逃がせるよう揺れる意識の中静かに炎を集めていく。


「クレイ……クレイ・フォーサイトォオオ!!!!」


怒りのまま膨大な炎を吐き出す、そんな時だった。龍の目玉、リオ達がいる球体に何かがぶつかってきたのだ。


”!?”


体勢が崩れ、ぶつかってきた何かーーマトイテッカーを装備したガロは落ちるものかとしがみつく。邪魔をするなと怒り、炎の勢いを増すリオに、ガロは汗をだらだらと流しながら「ぜんっぜん!熱くねえ!!」と声を張る。


「てめえの逆ギレ炎なんざ全然熱くねえ!オレの燃える火消し魂の方が何万、何百倍!熱いんだよぉ!!」
”!…っぼ、す!”


マトイを球体に振り下ろされる前に、ナマエは咄嗟にリオの前に飛び出しリオを庇う。ナマエの後ろ姿にハッとしたリオは、前に出た彼女を守ろうと手を伸ばす。が、ガキリと砕かれる音と共にマトイが突き刺さり、冷却装置が作動される。瞬速で広がった氷結装置は、巨大な龍を一瞬で氷漬けにしてしまったのだ。


意識が飛びそうなナマエをリオの片腕が抱きとめる。バキリと壊れる音と共に落下していく。リオとナマエごと抱えるように掴んだガロは、そのままの勢いで控えていたアイナの操縦するスカイミスのコンテナへとなだれ込む。


コンテナ内に落下し、叩きつけられたガロとリオの体が飛ぶ。リオは一瞬で意識を失いかけているナマエをコンテナの隅へと寝かせると、ガロへと殴りかかった。応対するガロも容赦なく拳を振るう。


怒りのまま言葉と拳を殴りつけるリオ。コンテナ内で容赦ない殴り合いが起こっている為、スカイミスが何度も揺れ、衝撃で航路が不安定になる。壁や床も使用して戦っているというのに、リオもガロもナマエに当たることは一切ない。


そして、ガロの放ったバーニッシュは人を襲わない誇りがあるんじゃなかったのかという言葉にリオの動きが止まる。次の瞬間、コンテナの床が開き、三人が放り出される。リオは瞬時に投げ出されたナマエを炎で自分の元へ手繰り寄せ、抱きとめる。


「あちっ!あっちい!!」


一面に広がる氷の湖は、ずいぶんと分厚い氷で覆われているようだ。衝撃に備えて炎を燃やすリオは、ガロにも衝撃に耐えれるよう炎を燃やしながら落下に身を投じた。そして、分厚い氷の層へと達したその時、ぶわりと巨大な炎が湧き上がる。


湖の分厚く、どこまで続いているかもわからない氷の層をすべて溶かしたリオの炎。蒸発し、炎と共に爆風も巻き起こりアイナの乗るスカイミスまで巻き込まれ、ありえない、とアイナが顔を歪める。






竜巻のように巻き起こった煙は徐々に落ち着きを取り戻し、蒸発した湖の氷は跡形もなくなってしまった。ぜえはあと全身で酸素を取り込むガロとリオ。仰向けになったリオの上に倒れているナマエは目を覚まそうと眉を寄せる。離さないようにナマエの腰に手を回したままのリオは、頭上から聞こえるアイナの驚いた声にナマエごと身を起こした。


スカイミスで一帯が霧散する。そのおかげで開けた視界に、自分たちが今いる場所が何かの建物の上だということに気がつく。分厚く何mもの氷の下にあった建物は濡れていない。


なんとか瞼を開けたナマエは慌ててリオの上から飛び退くと、ぐらりと視界が回る。それを読んでいたかのように、身を起こしたリオがナマエを支え、苦しそうに眉間に皺を寄せた。


「…すまなかった。大丈夫か…?」
”…!”


リオの謝罪が何に対してか、理解するのに一拍置いてナマエの思考がやっと機能する。ふるふると慌てて首を横にするナマエに、リオの表情が曇る。ナマエの手を取り立ち上がらせるが、カタカタと震えていることにリオの顔が歪む。リオの差し出した手を握るナマエの握力が随分と弱い。立っているのも、意識を保つのもやっとだろう。


急に、見知らぬ声が聞こえた。知らぬ老人のような姿がリオ達の近くにホログラムが浮き上がる。ガロにリオ、そしてナマエの名前まで知っているらしい老人は着いてきてほしいと先ほどはなかった建物の中へと続く階段に先導する。
冷めた目で老人のホログラムを見下ろしたリオと驚いた顔のガロは、老人の先導に従うことにしたようだ。


長く続く階段がぐらぐらと揺れる。とても階段を降りれる状態ではないナマエにリオは手を差し伸べるが、これ以上負担をかけたくない、と首を横にふる。そして一歩、二歩と階段を降りていくが、酷い冷や汗と目眩、頭痛に襲われているナマエは階段を踏み外してしまった。


”!”
「っナマエ!」
「おい大丈夫か?」


一段前にいたリオがすかさずナマエを抱きとめる。さらに前にいたガロが心配そうに振り返るが、ナマエは答える元気もないようだ。


抱き上げようとするリオが行動に出る前に、ナマエは慌ててリオの胸板を軽く押した。ふるふる、と首を横に振るナマエにリオはぐっと顔を歪ませる。


”お、置いていってください…”
「ナマエを置いていくわけないだろう。…はぁ」


リオがため息をついたことに、びくりとナマエの肩が揺れる。ぐっと身を屈めたリオは、有無を言わせずナマエを抱き上げた。横抱きにされてしまい、結局リオの負担になってしまった、とナマエの顔が曇る。


「大丈夫かよ?顔真っ青だぜ。俺がおぶろうか?」
「必要ない」
”…すみません”
「…ナマエはもっと、僕を頼ってくれ」


階段の途中で降ろしてもらえるよう押しのけたりしてしまえば、怪我をしてしまう。むしろ抵抗することがリオに迷惑になると悟り、大人しく身を任せたナマエ。それにリオは安堵の息を吐いた。


「…喋ってんのか?つーかバーニッシュは超再生があるんじゃなかったのかよ」
「……ナマエは、特殊変異だ」
「ちょっと!置いていかないでよ!」


スカイミスを着陸させ追いかけてきたアイナは、リオに抱き上げられているナマエの姿を見てぎょっと目を見開く。慌てたように駆け寄ると、「大丈夫!?」と声をあげた。


「顔真っ青だよ!?待ってて、今救命道具を…」
「アイナ、落ち着け」
「落ち着いてるわよ!」


「…ナマエは、特殊変異だ。仲間の炎を増やせる代わりに、仲間の感情を受け取ってしまう」


目を伏せて静かに告げたリオの言葉に、ガロとアイナは眉を寄せた。


「それって…」
「どうにかなんねーのか?」
「僕の炎を分け与えても、一時的な措置にしかならない。今分け与えても、すぐに戻る」


何故なら、多くの仲間達が捕まっているから。少しの間、楽にすることができてもすぐに今の状態に戻ってしまう。とうとう耐えきれなくなったのか気を失ったナマエを、リオは苦しそうに見つめる。


「それから…ナマエは炎を通じて話している。バーニッシュではないお前達には聞こえないだけだ」
「…そうか」
「…でも、言葉が話せるならよかった」


カツン、靴音が響き渡る。ゆっくりとしたスピードで階段を降りていく3人は、時折ナマエの方を見遣っていた。アイナは目を細め、優しい顔で微笑んだ。


「自分の言いたいことも言えなくてそんな状態なら、きっともっと辛かったと思う」
「…紙に書けばいいじゃねえか」
「いつもそういうわけにはいかないでしょ」


自分の気持ちを仲間に伝えられる。思考が支配されるほど大量の他人の感情が流れ込む上に言葉が喋れなければ、もっと苦しんでいた。だが、ナマエが口にしているのは、ほとんどが謝罪の言葉。迷惑をかけている、と自己否定をしながら申し訳無さそうに、いつも言葉が落とされていた。辛い、痛い、苦しいと言ったことは、ない。


信頼がないというわけではない。ナマエがそういう性格なのだと理解はしていても、心に靄がかかる。…言葉にされたところで、ナマエの特殊変異は前例もなく、ナマエ以外に出会ったことがない。一時的に楽にする方法しかないのだ。治す方法は、ない。


「リオ、疲れたら俺が代わるからいつでも言えよ」
「…僕を何だと思っている。それに、バーニッシュではないお前は触らないほうがいい」
「なんでだよ」


視線を落としたリオは、ナマエの体を膜のようにわずかに炎が燃えていることを指摘する。ナマエの状態が不安定だからこそ、いつ炎が爆発するかわからない。


「ま、体に消火ゲルぶっかけたら大丈夫だ」
「消火剤ないわよ」
「……悪いが、必要ない」




腕の中にある質量を、噛みしめるように瞳を閉じる。メイスの炎をナマエがボロボロになりながら増やしていたのは知っている。ナマエも火口内にいたということは、メイスとゲーラがナマエも逃がしたのだ。


ナマエも、捕まっていたら。


そんな最悪な状況を想像してしまい、思考を振り払うように目を開けた。決意に満ちた瞳は、燃えるような情熱が染まっていた。


「ナマエは僕が守る」




2019/09/17