レインに言わせれば、ナマエ・ミョウジはごく普通の少女だ。アザだって一本線、成績は特別優秀という訳でもなく、ドゥエロのチームにも入っておらず、誰もが認めるほどの美人でもない。どこにでもいるイーストン生にすぎない。もし、彼女がルームメイトの幼馴染でなかったら、きっと交流がなかったと思うほど、自分とは関わりのない人間である。
レインたちも無事二年に進級でき、新入生の組み分けも終わった頃。昼下がり。暖かな日差しが、溶けたバターのように黄色く廊下に射し込んでいる。レインと友人は、魔法薬学の授業で移動していた。
「マックス!」
ふと、隣にいた友人の名前が呼ばれた。自然と足を止める。聞いたことの無い声だ。声がした方向を見ると、新入生がまだシミ一つないローブを翻しながら、ぱたぱたとやってきた。赤いネクタイ──アドラだ。肩よりも短い髪が揺れる。興奮しているのか頬がかすかに紅色に染まっていた。駆け寄ってきた少女は途中で髪の毛を数本食ってしまっていたようで、見かねたマックスは困ったように笑みを浮かべた。それでも小言をいくつか並べながら、慣れた手つきで彼女の髪の毛を整える。
「それはそうと、イーストンに受かったのなんて聞いていないぞ」
「言っていないもの」
「水臭いぞ!」
「サプライズですぅー!」
親しげに話している中、自分だけ仲間はずれにされた気分だ。恋仲、はたまた旧知の仲なのだろうか。それとも兄妹なのだろうか。いや、今までマックスから妹がいるという話は聞いていない。だとしたら、幼馴染か、親戚だろうか。ふたりとも話の区切りが着いたのか、レインの方を見た。
「この子とは近所でよく遊んでいたんだ。昔からの付き合いだよ」
「は、初めまして。ナマエ・ミョウジです」
もじもじとお辞儀をした少女には、目の前がぱっと華やぐようなものは無かったものの、清潔で、好ましいと感じさせるものがあった。それからなぜか弟の面影が見えて──すぐに頭からかき消した。髪色も性別も違う。
「……レイン・エイムズだ」
「エイムズ先輩。よろしくお願いします!」
じゃあ、そろそろ次の授業に行かなきゃ、と自分とは正反対に愛想良く笑った少女は、確かにマックスによく似ている。
◾︎◽︎◾︎
あの日の出会いは最初こそ深くレインの印象に残ったものの、一ヶ月も経てば名前も忘れて、やがて存在自体薄れて行った。それくらい、レインは[[rb:級硬貨>コイン]]を集めるのに必死だった。孤児である事に対する憐憫と同情。そんなものはいらない。屈辱的にもほどがある。なぜ孤児ごときが名門イーストンにいるのか≠ニいうクソみたいな嘲笑。同情よりは真っ直ぐなぶん、まだこっちの方が多少マシだ。全てに嫌気がさす──もっとも、全員が全員、嫌な奴では無いが。
授業、決闘、課外活動、決闘、行事、決闘。繰り返し。治安の悪いこの学校では、級硬貨を集めるのは案外難しくは無い。が、決闘で奪えるということは、奪われることと同義だった。金の級硬貨を五枚。集めて終わりでは無い。金の級硬貨は選抜試験に参加するに必要なチケットに過ぎない。試験を突破できるような頭脳を、魔法を、強さを。愛しい弟を守るために。もう悲しまないように。たった一人で、尊い家族を守るために、レインは怒りを原動力にして級硬貨を乱獲しまくった。神覚者に上り詰める。いや、登り詰めなくてはいけない。同情と憐憫を尊敬に変えなくてはいけない。嘲笑を瞠目に変えねばらならない。
試験に課題提出、決闘。神覚者選抜試験が近づいてきた今、級硬貨の乱獲が激しくなってきた。
その日、レインはひどく疲れていた。朝はうさぎたち全員をもふり損ねたし、一日中決闘が耐えないし、魔法薬学では鍋がひっくり返ってしまって全部やり直しになってしまったし、ふくろうにはものすごく怯えられた。なんて日だ。
渡り廊下をそそくさと歩く。決闘には勝てたものの、相手の魔法が厄介で治癒魔法がなかなか効かなかったので、一刻も早く医務室か部屋で休みたかった。うさぎとふれあいたい。癒しがほしい。
だから、だからだ、こんなチンピラに絡まれる暇などはないと言うのに。
「おいおい、レイン・エイムズじゃねえかよ!」
──嗚呼、今日は本当にツイてねェ。
粗雑な口調、それに反して滑らかな上流階級の発音。コツン、と硬質な革靴の足音。靴は上等なもののようで、新品のようにピカピカと輝いていたが、明らかにかかとが潰れている。靴を見れば、その人の[[rb:為人 > ひととなり]]がわかると言う。手入れが十分に行われている場合は金持ちか何かしらの余裕があり、そうでない場合は何かしらダメな部分がある、とのように。無論、靴だけでその人を推し量ることはできない。靴が汚くても良い人はいるが、少ない。とにかく、相手がどんな人間なのかを判断するのに、靴はひとつの指標になるということだ。
つまるところ、この男も級硬貨狙いのチンピラボンボンといったところか。
「持ってんだろ?級硬貨。寄越せよ」
ニヤリとさも嬉しそうに男は下品な笑みを浮かべながら、杖を弄んでいた。男はペラペラと身の上話を始めた。自分は貴族の出身であること、留年しているため同級でもレインより一歳年上であること、去年は金の級硬貨一枚得たこと、つい最近まで休学していたこと、手始めにレインからたんまりと級硬貨を奪おうとしていること。どうでもよかった。レインはどんな魔法が来るのか、逃げようか、しかしここで潰さないと後々また来る──といくつかばかり逡巡して、歯を食いしばり、杖を握りしめる。疲労も相まって血管が張り裂けそうになる。歩く度にひどい眩暈に襲われる。ぐらりと自分の頭の芯が揺らぐ気がした。目の前の男も舐められる自分も、不愉快だ。腕の傷が疼く。杖が小刻みの震えてきた。怖いのか、いやそんなことは無い。至って正常、いつも通りだ。
パルチザン、と唱えようとしたその時。ぱたぱたと慌ただしい足音。
「やっと居た!」
女子特有の高いソプラノが、渡り廊下に響いた。この状況においては、さながら不協和音。肩よりも短い髪が揺れる。見覚えのある生徒だった。だが名前が思い出せなかった。
「エイムズ先輩、ルッチ先生が探していましたよ」
少女は今日の夕食にはカレーが出るそうですよ、とでも言うかのようなトーンで告げた。おかしい。俺は何か呼ばれるようなことをしたか? 疑問に思って彼女の目を覗き込むと、意思の強いみずみずしい瞳がじっとレインを見返した。
「あ゛? 空気読めよ!」
「ですが大至急とのことで、呼びに行かないと成績を下げるぞって言われたんです……」
男の非難に少女は申し訳なさそうに眉を下げ、自分の愚かさを呪うような喋り方をした。これじゃあ、誰も非難できない。あくまでも自分は受け身≠ナかつ中立的立場を保って、レインも波風立てずに決闘から退出できる。あっという間に彼女はピンチをのらりくらり躱してしまった。
「さあ、行きましょうか。きっと今にもカンカンですよ」
よそゆきの顔で彼女は来た方向を指さし、レインも彼女と同じく踵を返す。今は何も聞かない方がいい。そう思った。
行くあてもなくふらふらと歩いていた。人気の少ない廊下につく。突き刺さるかのような視線がまとわりつかなくなった頃に、彼女はようやく足を止めた。
レインはその意味を分かっていて、けれども種明かしを期待して聞く。彼女の意図を知りたかった。
「……行かなくても良いのか?」
「まさか。嘘です。今日は会議ですので、先生たちは来ませんよ」
聞かれるのを知っていたかのように、少女は至って冷静に答えた。それはそうだが、知りたいのはそれじゃない。もっと根本的な問いだ。
「……なぜ俺を助けた」
少女はきゅっと目を細めてから、ふっと表情が緩んだ。
「今にも死にそうなくらい、顔色が悪そうでしたので……それとも、あの場に入らない方がよろしかったでしょうか?」
それは、違う。たとえ彼女が間に入らずとも、レインはきっと勝てた。だが、体調が悪いということは確かで、それを見抜かれたのは不覚だ。
「なら良かったです」
レインの心情を察したように、少女はこの話題を終わらせた。チラチラと腕の傷が気になっているようなので、治癒魔法が効きにくい旨を伝えると、少しというか、かなり嫌な顔をされ、腕を出すように言われた。
言われるがまま腕を出すと、少女特有のしなやかな指がレインの傷をハンカチでササッと巻いていく。丁寧で無駄のない手つきで、目の前の少女が甲斐甲斐しくやってくれているのは、なんとも言えないむず痒い気持ちになった。思わず見入ってしまい、まじまじと見ていると、
「何ですか」
突然、顔を上げた彼女の目と合う。どこまでも澄んでいて、それでいてやさしい色をしていた。きれいな目だ。
「……何も無い」
「はあ」
引き続き沈黙が続いた。布を擦る音だけが存在していた。けれども心地よかった。
「無いよりマシですが。ちゃんと手当てしないと、治るものも治りませんよ」
気づいたら手当てが終わったようで、少女は呆れた顔で呟いた。
今日はたまたま持ち歩くのを忘れただけだ。決していつも傷を放ったらかしにしている訳では無い。心外だ。
「礼を言う」
どういたしまして、と返されたところで、ちょうど鐘が鳴った。会議が終わる時刻になったようで、少女と別れ、レインは医務室に向かう。
うさぎ柄ではないハンカチには、ミョウジ、とファミリーネームが縫い取られていた。ここにきて、ようやく見覚えのある彼女の名前を思い出した。ナマエ・ミョウジ。マックスの幼馴染。アドラ寮の下級生。レインの後輩にあたる人物。
歩いていく中、ハンカチで包まれたところがほんのり熱を帯びている気がした。やはり微熱があるのかもしれない。
◾︎◽︎◾︎
結論から言うと、自分は風邪を引いていたらしい。医務室の見知らぬほどでもない天井で目を覚ましたレインは安堵した。道理で。思えば朝から体がだるかった気もする。眩暈がしたのも、手が震えたのも、そのせいらしい。それを言うと、マックスには呆れた顔をされ、りんごをうさぎりんごに切っていた魔法も一瞬止まった。やめろ、そんな目で俺を見るな。あと俺はバカじゃない。
それからしばらく時間が過ぎた。自分ではないファミリーネームが刺繍されているハンカチはずっと頭の中に残り続けていた。人伝に返すのは自分との関わりが明らかになるので避けたいし、マックスに頼むのも、なんだか良くない気がした。
結局返そうと思ってもなかなか上手く会わず、気づいたら季節はもうすでにめぐっていて、レインは今日もあのハンカチを持ったままでいる。
◾︎◽︎◾︎
図書館の中は真冬特有の澄んだ空気で満たされていた。長期休み明けだからか、人はいつもより大変少なかった。
ペンを置く。レポート自体は書き終えたが、提出期限まであと少し時間はあるが、参考資料を読んで手元に置いておきたい。カウンターには誰もいないし、あいにく図書館では呼び寄せ魔法は使用禁止とされている。仕方がない。レインは席を立った。
本棚の間を縫って探していると、机に教材を並べ、机にかじりついているマックスがいた。見慣れた明るい茶色のとなりには誰かのものが置いてあった。こちらには気づいていないようだし、目当てのものも無いので次に移った。
パラパラと本を捲る音が聞こえたのち、ぱちりと透き通った色と目が合う。
「……どうも」
「どうも」
数ヶ月ぶりに再会したナマエ・ミョウジは前と何も変わらず、今度はパタンと本を閉じ、また本棚に目を向けた。よく見ると、手に持っている本はちょうど一年くらい前、レインも苦戦したレポートに使おうと思っていた参考文献だった。学術的な表現が多く、専門性の高い本だった。
難易度が高いぶん、銀の級硬貨を一枚貰えたので、レインはよく覚えていた。しかしその本はちょうど、レインが必要としているもので。遠慮したいところだが、背に腹はかえられない。
「その本、借りるのか?」
「えっと……」
しばしの沈黙が流れた。困ったなと思っていると、すっと本を差し出された。
「あの、どうぞ」
「いいのか」
「はい。どうしても必要ってわけじゃないので」
「ああ、助かる」
目の前の少女を見る。ありがたいが、それだと彼女の課題の方が危うくなるだろう。確かにあの本は専門的だが、分からなくもない。少しばかりの自責がレインをこの場に引き留めた。一年前の記憶を手繰り寄せる。
「この頃だと……回復薬あたりか?」
「そうです」
後輩は戸惑いながらも頷いた。
一年の頃に使った本はどこだったかと本棚にある背表紙をなぞっていく。カパルディ、カパルディ……。案外早く見つかり、レインはそれをナマエの方に渡す。
「それならこっちの方が良いだろう」
彼女は目を丸くしながらパラパラと本を捲っていく。旋毛を見下ろしていると、ふと、懐のハンカチが重く主張し始めた。元の主人へ返すと、一瞬きょとんと目を瞬かせ、すぐに思い出したように相槌を打った。
「礼を言う」
「……ああ、いいえ、こちらこそありがとうございます! 顔色が良さそうで安心しました」
「最終試験、がんばってくださいね」
本とハンカチを抱え直して、にこりと見せられた真っ直ぐな笑みは、なんというか、可愛らしい、と思った。
◾︎◽︎◾︎
それからはというものの、なんだかんだばったり会うことも多くなり、何回か話すこともあった。視界の隅によく彼女が映り込むようになった。廊下、食堂、談話室、至るところ。課題で苦しんでいる中、友達と愚痴をこぼしあったり、ドゥエロにはしゃいだり、マックスと一緒に勉強している姿もよく見かけた。
「そしたらね、ジェーンったらルッチの服を真っピンクのドレスにしちゃったの」
「あはは。なんじゃそりゃ! よく怒られなかったな」
「怒られたよ。ついでに私も反省文二枚」
「え、関係なくないか?」
「それがあるのよ……私が一番笑ってたんだから」
「それは君が悪いな」
「ごもっともです」
こうして見ると、年上の兄に懐いている妹に見える。仲の良い兄妹といった感じだ。
冬の間に積もった雪は溶け、緑色の地面が顔を見せてきて久しい。さあさあと春の暖かい風が吹く日々が続いた。レインは最終試験が迫り、決戦に向けてひたすらに技術を磨いていた。息抜きで談話室に出てきたものの、うさぎさんの餌のストックを補充しにいこうかと迷っていた。
談話室の窓辺に、彼女がいた。頬杖をついていて、外の方の視線を向けていた。自分も何を見ているのか不思議になり、彼女の視線の先を探るように見てみる。見慣れた明るい茶色。マックスだ。陽だまりのなか、一人で歩いている。ほかのものでも見ているのかと思ったが、彼以外誰もいない。彼女はただただ、マックスをじっと見つめている。焦げ付くような視線だった。憧憬、あるいは尊敬──いや、もっと違う気持ちだ。
潤んだひとみ、柔らかい笑み。透き通った目は艶かしいほど輝いていて、口元にはほんのり弧が描かれていた。それは今まで見てきた顔よりもいっとう可愛らしくて。頬をほのかに赤く染め、無意識に息をつく彼女は、まるで誰かに恋をしているのではないかと勘違いするほどの表情をしていた。
◾︎◽︎◾︎
また季節が一つめぐり、レインは念願の神覚者になることができた。最年少、と枕詞がつくせいで広報の仕事が多く、日に日に眉間の皺が深まるばかりだ。肩書きと金を得て、レインはまず家族と自分の生活水準をあげるのに使った。やはり金。
マックスもナマエも無事進級でき、いとしい弟もボーダーギリギリだが高等部に進学できた。
学び舎で、きゃあきゃあと生徒の声が響く。
「ナマエー!早く!間に合わなくなっちゃう!」
「待って今行く!」
肩くらいの髪が揺れる。軽やかにレインの横を通り過ぎていくナマエの瞳に、レインは映っていない。それでいい。焦げ付くように熱い視線の先には、マックスが必ずいる。きらきらと星がまたたくような瞳は美しい。それで、いい。
日々の交流で、ナマエ・ミョウジについてはいくつか知っている。マックスとは幼い頃からの付き合いだということ。善良な生徒であること。首都から離れた南部出身であること。手芸クラブに入っているということ。頼み事をされると断れないこと。魔法薬学が得意だということ。グリーンピースが苦手だということ。それから、レインの同室であるマックス・ランドが好きであること。
レインに言わせれば、ナマエ・ミョウジはごく普通の少女だ。アザだって一本線、成績は特に良くも悪くも無く、ドゥエロのチームにも入っておらず、誰もが認めるほどの美人でもない。課題の山にうんざりして難しい顔をしたり、ドゥエロにはしゃいだりする、どこにでもいるイーストン生にすぎない。もし、彼女がルームメイトの幼馴染でなかったら、きっと交流がなかったと思うほど、自分とは関わりのない人間である。
たとえばったり会ったとしても世間話を交わすほどの仲だし、友人というほど仲が良いわけでもない。強いて言うのなら友人の友人。
だから、彼女が誰に恋をしようが、自分には関係無いはずで。
ただその輝く瞳を、一度くらいこちらに向けてくれないか、だとか。
喜んでいる彼女を見かけると、いつも見ている空が急に青く感じる、とか。
グリーンピースくらいなら食べてやらんこともない、だとか。
そういったことは決してあり得ないのだ。たとえ彼女がどんなに人格者であろうとどんなに強い魔法が使えようとも、そんなことは断じてあり得ないのだ。
レインが彼女のことを好いている、なんて。
心臓が早鐘を打つ。鼓動がやけに耳に響く。透き通った目のいろが目の前に蘇るようだ。
いや、まさか、そんな。