結局、憧れた魔法使いになれぬまま、私は大人になった。
 魔法の杖を握りたかった手はキャラメル色の鞄を握り、三角帽子を乗せたかった髪は適当に梳かしてまとめるだけ。薬やハーブの匂いに焦がれたって、私はプチプラの香水の匂いしかしない。
 ありふれたスーツを身に纏い、ありふれた化粧をして出勤する。桜色に彩った唇と控えめに光る目元のグリッター。メイクは、私の気をほんの少し強くするから好きだ。

 別に今の暮らしが不満というわけではない。そう、スーツこそ私のローブなのだし、車は私の箒だ。魔法が使えなくなって、現代にはそれをも勝る技術があるのだからいいじゃないか。クィディッチよりもフットボール、ダイアゴン横丁よりもハロッズだ。十分素晴らしい。たわごとホグワーシュとか言う変な学校よりも、普通な学校を卒業できたことが嬉しい。けれども、ふと。たらればを考えてしまう。

​───いくら歳を重ねても、幼い頃に憧れた彼女になりたくてしょうがないの。

 ええ、認めるわ。私はずっと魔法という存在に囚われているの。
 ふとカボチャの馬車の影かと思って振り返ったら、路上清掃車だった。
 魔法使いは存在しないわ、なんてマザーグースを口ずさんでは、車の鍵をクルクル回して、気乗りしないままパンプスで駐車場に向かう。
 脳裏で暴れる幼い私を宥めて時計を見る。まだ余裕がありそうだ。

 冷たい風が私の額に吹き付ける。髪の毛が靡いてうっとうしい。慣れた時間、慣れた場所、慣れた手つきで車に入ろうとして――止まった。
 車のワイパーには、何か紙が挟まっていた。
 手紙だった。宛名には、私の名前が書かれていた。チュニーが言っていたように、満遍なく切手がはられていないから、普通の人からかしら?
 しかし筆跡には妙に見覚えがあった。Yだけ筆記体になる字のくせは、プライマリーの頃から変わらないようで。私はこの人物をよく知っていた。
 好奇心をじっと押さえ、車に乗り込んでから開く。

​結婚しました
   リリーとジェームズ
ナマエへ お元気かしら? あなたのことも招待したかったのだけれど───

「あは、ははは、あははははは!」

​――ああ、この期に及んでも、まだ忘れさせてくれないなんて!
 やわい熱の塊が頬を滑り落ちて、手紙にいくつもの海を作った。今朝計算し尽くして引いたアイラインもマスカラだって、きっと台無し。エメラルドの瞳は相変わらず健在なようだった。未だに、私のことを覚えてくれていたのね、酷い女。私ばかり思ってて、狡い女。愛おしい女。……私の、たった一人の、幼馴染。いつも泣き顔を笑顔に変えてくれる、ひとりだけの、魔法使い。

 泣いた分だけ女は強くなれるなんて言うけれど、現実は全然変わらないと思い知っても、やはり私は泣くしかできなかった。ドアミラーで自分のことを見つめてみると、へたくそな笑顔をしていた。だけど今まで飽きるほど見てきた顔の中で、一番好きになれた顔だった。
 人間マグルらしくて、かわいそうで、子どもで、救いようのない馬鹿で、弱っちくて、かわいい。紛れもなく、私だった。

 鞄からクレンジングシートを取り出して、サッとボロボロの顔を拭う。この顔は人間っぽくて好きだけれど、みんなをびっくりさせちゃうからね。
 エンジンを入れ、ハンドルを回す。気が滅入ってはいけないわ、換気しましょ。
 子どもたちがじゃれ合う声が聞こえる。鳩が撒かれた餌を食む。自転車を漕ぐ学生がいる。ミセス・ホプキンスとその仲間たちがゴシップを交換しあう。二軒先の家のチューリップは相変わらず綺麗で、街路樹からは甘い香りがする。
 この町は今日も美しいマグル≠フ町のままだ。これまでも、きっとこれからも。
 
 ラジオのボリュームを上げる。今日のオープニング・テーマはビートルズの「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」のようだった。明るいメロディにつられて、私も鼻歌を歌い始める。
 
 ありふれたシルバーの中古車が、穴ぼこなアスファルトの上を走っていった。

Life Goes On

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