あの日
ざらついた風が頬を撫でる。不快だ。焦げ臭い匂い。赤い火の粉が、桜みたいに舞っている。
安っぽいビニール袋が手から滑り落ちた。ドサリ、と音を立てたかどうかは、覚えていない。ごろんと野菜が地面に転がったのを、ただもったいないなぁとぼんやり見つめていた。
見上げなくても、炎、炎、炎。
濃紺の空には鮮やかなまでの朱がうねりをあげていた。黒煙が数時間前まで喋りあった学び舎、剣を交わしあった道場を包む。何もかもが明るく、炎はより一層勢いを増した。何かが崩れる音がした。ぐしゃりと和紙を揉み潰したように、塾舎が潰えた音だった。
「どう、して?」
いつものように、おすそ分けをしに来ただけだった。婆ちゃんから「先生のとこに持ってって」って頼まれて、余った野菜を渡しにきた、だけ、なのに。いつもと変わらないはずだった。なに一つ。先生の笑みだけはいつも通りで、それ以外は見知らぬことばかりだった。
先生が連れ去られたことなんて知らない――と躊躇なく言えたなら、よかったけれど。
燃え盛る学び舎を。
泣き叫ぶ仲間の声を。
頬を滑り落ちた熱の塊を。
置いてけぼりの野菜の色を。
遠くで鳴き続けるフクロウの声を。
罪人のように縛られた先生の手を。
薄情な月の明るさも。
……あいにく、よく、覚えている。