その黄金色に、心臓を鷲掴みにされた気がした。
「言っておくけど、俺はあんたの事を信用したわけじゃない」
自分の生き死にはこの人次第だと直感する。いつも通り自室で眠りについたはずが何故か明治時代の札幌にて爆死寸前で杉元さん一行に救出され、何やかやの末に彼らの旅に同行させてもらえることになったけれど、最後まで渋い顔をしていた彼はやっぱりアシㇼパさんの判断を全面的に受け入れたわけではなかったらしい。私を見据える、朝日に照らされた冷たい眼差しから目を逸らせない。
「あんたの珍妙な話が本当か嘘かはどうでもいい。何かあればケジメはつけてもらう。裏切るなら相応の覚悟をしてくれよ」
明るい色の双眸がすっと細まる。凄みの利いた声と早鐘を打つ音が頭の中で反響し合い何も考えられずに、何度も何度も必死に頷く。
「杉元、なまえ、どうかしたのか?」
「、ぁ」
「何でもないよアシㇼパさん」
少し離れた先からの少女の問いに朗らかな調子で答えた杉元さんが軍帽を下げ視線が遮られた瞬間、我に返って素早く下を向いた。あんな目を向けられたのは生まれて初めてで、ふわふわのルームウェアと引き換えに手に入れた着物の上から破裂しそうな胸を押さえつける。
怖くて怖くて今すぐここから逃げ出したいのに逃げる先なんてどこにもなくて、とうとう溢れた涙が地面に落ちる。でも泣いたって彼らが私を置き去りにする理由が増えるだけ。そう自分に言い聞かせて、残りの涙を袖に逃した。
===
「アシㇼパさん、ここから上がれそうだよ」
ただ一人に向けられる優しい声。近寄った小さな身体を容易に持ち上げ彼女の背丈より高い岩の上に下ろすと、「よっと」の掛け声ひとつで自らも造作もなく登ってしまった。後に続くため示されたスタート地点に立つ。見上げたゴールの高さに一瞬後ろにいる牛山さんを待つことも考えたけど、それは最後の手段。最後尾の尾形さんにまた耳の痛い指摘を受ける前に登らなければと気合を入れ直していたら。
「ほら」
頭上から降ってきた声の低さで自分に向けられたものだと悟り顔を上げると、目の前に差し出された手あって肩が跳ねた。大きくてゴツゴツしててでも何でもこなす器用な手の先にこちらを見下ろす真一文字の口を見つけて、慌てて目線を下げる。あれから彼の目をまともに見ていない。
「手。どうせあんた1人じゃ登れないだろ」
「あ、や、ここでご迷惑をおかけするつもりは…」
「…この体勢も楽じゃねぇんだけど」
「すみませんすみませんすみませんッ…!!」
1トーン下がった声色に急いで眼前の手を掴んだ途端、力強く引き上げられる。咄嗟に全体重を預けてしまったのに危なげなく引き受けられて、次の瞬間にはいつもと同じ高さに逞しい胸元があった。緊張と興奮でその場から動けない私を置いてアシㇼパさんの元へ向かおうとする彼の背中に辛うじて「ありがとうございました」と伝え、何気なく自分の手に意識を向ける。強く握られた感触と熱い体温が、まだそこに残っていた。
===
「今空いてるのは三部屋だってよ」
釧路町で私たちを待つ間利用していた宿の従業員さんと軽く言葉を交わした白石さんが、こちらを振り返り指を3本立ててみせる。一方こちらの人数は計8名。早速全員でその場に輪を作り部屋割りの確認が始まるが、もちろん文無しの私は希望を言える立場にないので、頭数に入れてもらえていることを切に願いながら最終決定を待つ。
「じゃあ一部屋は俺とアシㇼパさんとなまえさんな」
「ぇ」
「えぇ〜?俺だってなまえちゃんと一緒がいいっ」
「いいわけねぇだろ何しでかすかわかりゃしねぇ」
そっか、そういうことか。極々自然に与えられた居場所に浮ついた心は、不満な白石さんを黙らせた一言でストンと元より低い位置に収まった。たしかに見張るなら同室の方が都合がいいよね。
一瞬でも杉元さんとアシㇼパさんの部屋に招き入れてもらえたと勘違いした自分が恥ずかしくて俯いていたら、軽く袖を引かれて隣を見る。
「なまえ、心配するな。使い方がわからないものがあれば教えてやるからな」
札幌で私を拾ってくれたあの日から、アシㇼパさんはこの時代の常識をたくさん教えてくれた。お陰でおつかいや調理の手伝いと、できることも少しづつ増えてきている。もちろん他の人たちも聞けば答えてくれるけれど、私がものを知らなすぎると初めて知った時に一番驚きや呆れを表に出さずにいてくれた彼女をどうしても頼ってしまう。
「うん。アシㇼパさん、いつもありがとう」
変わらない優しさに感謝の気持ちを伝えた私へ、アシㇼパさんは満足そうに微笑んでくれた。
===
「ん」
「ひょっ……え…?」
条件反射で身構える私に動じることなく、差し出されたままの指先。そこに挟まれた琥珀色の塊におっかなびっくり目をやる。
「…あめ、ですか…?」
「さっき旅館の旦那さんにもらった。これも今回の礼だってさ」
宿代をタダにしてくれて食料も分けてくれた上におやつまで。この旅館がどれだけ盲目の盗賊たちの噂に悩まされていたか垣間見ながら、飴を見つめたまましばし沈黙の時を過ごす。腕が引っ込む気配はない。なら、私は何をすべきか。
「…えと、私からアシㇼパさんに渡しますか?」
「もう渡してある」
「あ、じゃあ白石さんに…?」
「…いらねぇの?」
「すみませんいただきますありがとうございますすみません」
「ん」
また糠喜びになりそうで口にできなかった選択肢。上がった語尾に不穏の前兆を感じて急ぎ受け取ったそれを口の中に放り込むと、舌の上に強い甘味が広がった。純粋な砂糖の味に、ここに来る前の記憶を少しだけ思い出す。
「杉元ぉ〜ん!アシㇼパちゃんが食べてる飴ちゃん俺にもちょーだいっ!」
「んー」
白石さんの呼びかけに返事はすれどなかなかその場を動かない杉元さんの声を間近に聞きながら、耳の内側でカラコロと響く音色を楽しんだ。
===
「杉元もなまえちゃんと仲良くしたけりゃさっさと折れたらいいのにねぇー」
「……?」
北見に向かう途中立ち寄った宿の裏庭。預かった上着の汚れを払いながら交わしていた雑談中飛び出た奇想天外なセリフに、耳が肩にくっつきそうなくらい首が斜めに傾く。ところが縁側に腰かける白石さんも私を見て腑に落ちない表情を浮かべている。
「…もしかしてなまえちゃん気付いてない?今までの杉元の態度を許してないワケじゃなくて?」
「……すみません、なんのことだかさっぱり…。でも自分の怪しさは重々承知していますから、杉元さんに警戒されていることを許せないなんて思ったことはないです」
「警戒ぃ?そんなもん旭川で合流した時にはもう
──あー、はいはいそういうことね」
何やら1人納得している白石さんに視線で理解が追いついていない旨を伝えたら、「なまえちゃんさあ、いっつも杉元と目ェ合わせないようにしてるだろ」と突然図星を突かれて後ろめたさに俯く。
「……怖くて」
「はぁー…ま、自業自得だわな」
そう、杉元さんに怖い顔をさせているのは私自身。言い逃れできない正論を「おっしゃる通りです…」と受け入れたら「違う違うそっちじゃない」とぞんざいに返されてわけが分からず顔を上げる。でもそんな私を呆れた顔で一瞥した白石さんは畳んでおいた半纏を拾い上げ、「ま、そんなに納得いかないならいっぺんアイツの顔見てみなって」と揃えた二本指を振って建物の中に消えてしまった。
===
最後に自分の上着を払いながら、白石さんの言葉を思い返す。杉元さんが私と仲良くしたいと思ってるだなんて、白石さんの勘違いとしか思えない。
確かに最近の杉元さんからはそばにいるだけで身が竦む恐怖を感じることはなくなったし、何気ない話題や私への気遣いをきっかけに話しかけられる機会も増えた。でもそれは杉元さんの万人に対する人の良さが漏れ出ただけ。その証拠に釧路で合流したチカパシくんやインカㇻマッさんにも、杉元さんは同じように気をかけて
──……あれ?
「なまえさん?」
「ひゃいっ!?」
突然背後から名前を呼ばれて悲鳴じみた返事が口から飛び出す。ドコドコ鳴り響く太鼓を手で押さえつけいつものクセで目線を下げながら振り返ると、縁側に見慣れたズボンと靴下。声質と視界の端に見切れた着物が、彼が尾形さんではないことを示している。
「こんなに上着預かったの?」
「は、はいすみません…」
「…別になんとも思ってないよ」
「すみ、はい」
ここに来てからすっかり口癖になってしまった言葉を呑み込む。アシㇼパさんにも注意されているし、いい加減直さないと。
「そろそろ夕食だって言うから様子見にきた。終わってないなら手伝うよ」
「ちょうど終わりました。あとは皆さんにお返しするだけで終わります」
「じゃあ土方たちの分は俺が返してくる。なまえさんは俺たちの分を部屋まで運んでおいて」
「いえ、このくらいなら私1人で
──えっと、やっぱりお願い、できますか…?」
手間をかけまいといつも通り断ろうとしたけど、縁側にかかる自分の延びた影を見て考え直した。最近は日が落ちるとかなり冷えるから、早く上着を返した方がいい。
初めて自分から杉元さんにお願いすることになって変に緊張して身構える私に返ってきたのは、「うん、もちろん」。ほっとする私の前でさっそく縁側に置いた上着を集める杉元さんに倣って縁側に上がると、「はい」と差し出された青いコートと白い毛皮。受け取って目の前の頑丈そうな胸板に「ありがとうございます」と伝えた後に、ふと気付く。今の杉元さんの声、柔らかくて優しかった。そういえばさっきも…ううん、今日だけじゃない。私、いつからこんなに穏やかな声をかけてもらっていたんだっけ。
“いっぺんアイツの顔見てみなって”
白石さんの言葉が脳裏をよぎり、視界が徐々に持ち上がる。よく似合うチェック柄のマフラー、引き締まった顎の輪郭、少し乾燥気味の唇とはっきりと通った鼻筋にかかる大きな傷跡
──私を見つめる、夕日に照らされた暖かな眼差し。
私と目が合った瞬間見開かれた双眼。煌めく虹彩がわずかに揺れたかと思えば、ふっと眩しそうに細められる。彼が照れくさそうな、嬉しそうな微笑みを浮かべていることに気付いたのは、ほんの少し時間を置いてから。
その黄金色に、心臓を鷲掴みにされた気がした。
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