目が覚めても春は来ない

記憶の中に居る母はいつも顔を覆って泣いていた。その弱々しい背をいつも見ていた。見ていることしか出来なかった。この日常が永遠に続いていくのだろうと、憎しみや恐怖を抱えていたある日。誰も予期していなかった人物が家を訪ねた。

エンデヴァーの訓練で負った傷を包帯の上から撫でる。母は俯き、必死で涙を堪えているようだった。そんなとき、普段は兄姉と一緒にいるお手伝いさんが慌てた様子で部屋へと入ってきた。お手伝いさんの言葉を聞いて、急いで立ち上がった母につられて自分も立ち上がる。駆け足で玄関まで向かう母の背を必死で追いながら、一体誰がやってきたのかと酸素の回らない頭で考えていた。

「お久しぶりです、冷さん」

手土産を大量に抱えて家の玄関に立っていたのは、テレビの中でしか見たことがなかったヒーロー「ゼファー」だった。

「■■さん・・・・・・?」
「仕事で近くまで来たので、久しぶりに皆の顔が見たいなって。あっ、連絡も無しにすみません。炎司さんに電話したけど、あの人全然出なくて・・・・・・」

ほんと相変わらずですね、なんて笑う「ゼファー」に、母が言葉を失ったように口元を抑えた。お手伝いさんがそっと席を外し、廊下の奥へと行ってしまう。多分、兄達のところへ行ったのだろう。

「これ、俺の地元のお土産です。皆と最後に会ったの何年も前だから、味の好みとか変わってるかもしれませんけど・・・・・・全部日持ちするものだから、ご家族でゆっくり」
「・・・・・・っひ、っ」
「えっ」

突然泣き出した母に、ゼファーはこれでもかと目を見開いてから慌て始めた。とりあえず両手のお土産を棚に置くと、その場に片膝をついた。

「なにかありました? 俺でよければ話を聞きます。俺に言いにくいことなら、サイドキックの女性がすぐ近くのヒーロー事務所に待機してるので、ここに呼びますよ。なんでも言ってください」
「・・・・・・っ・・・・・・ごめんなさい」
「悪いことなんてしてないんだから、謝らないでください。ほら、俺、これでもヒーローですから! じゃんじゃん頼ってくださいよ!」

ゼファーは当時、既にNO.3の座に居た。ゼファーを知らない日本人なんて居ないだろうに、驕り昂ぶった様子は微塵もなく、俺は一番身近なヒーローとの比較をしてひたすら戸惑いを隠せずにいた。長いスカートを履いた母の真後ろで縮こまっていた俺に、ゼファーはようやく気付いたように顔を綻ばせる。

「もしかして焦凍くんかな」
「・・・・・・」
「俺は■■■■、君のお父さんとは昔からの友人でね。何年か前までサイドキックとして一緒に働いてたんだ」

テレビで見たゼファーと同じだった。暗い雰囲気を消し飛ばすような笑顔が眩しくて、俺は母のスカートにぐりぐりと額を押し付けてゼファーの視線から逃れようと腕をあげて、

「―――その、包帯は?」

二人分の息を飲んだ音が、静かな玄関に響いた。怖いくらいの静寂が続いて、恐る恐る顔をあげる。

酷く怯えていた母と俺の表情を見て、ゼファーは顔をみるみる青ざめていった。

「冷さん」
「ごめんなさい」
「! ・・・・・・ッ、冷さん」
「ごめんなさい、私じゃ、もう」

両手で顔を覆った母がひたすら謝罪を繰り返す光景をただ見上げる。母の足に縋り付く俺を見て、ゼファーはぐっと顔をしかめて目を強く閉じた。再び目を開けたときのゼファーの眼差しは別人のようだった。宝石のように赤く、光を閉じ込めたように輝く目がまっすぐに俺たちを見る。

「大丈夫。なにがあっても、俺はあなたたちの味方です」