ACT.1



 オクタヴィネルに来てから、早いもので半年が経過していた。日々というのは目紛しいほどに変わる。生まれたての雛鳥のようにビクビクと船内を歩いていた私も、波に揺れる地面に驚くこともなくなったし、何より、怖いと思っていた幹部の彼らを前にしたって俯くこともなくなった。一番変わったと思うのは、あの私が医学書を手にすることが多くなったということ。怪我の応急処置から派生して、今では学べる限りの知識を習得している。未だ未だ未熟である私だけれど、少しずつ成長していると感じることができると思うのは鳥籠に居た頃と異なる、最も大きな違いだった。――けれど。

「レオナさん」
「よお。未だ生きてんのか、幸運なことだな」

 同盟を組んでいるサバナクローファミリーのボスが、久々にオクタヴィネルにやってきた。普段私の護衛をしてくれているメイちゃんは元々そちらに居て、フロイドさんが半ば強引に引き摺って来たらしい。普段から“家族”に会いたいと願っている彼女の幸せそうな姿を見ていると友人として、家族として、良かったと喜びの感情が湧き上がってくると同時に羨ましさを感じてしまう。――私も、イグニハイドに行けたら良いのに。感情を口内で転がすようにして飲み込んだ。メイちゃんと私は似たような境遇を持っているようで、正確には少し違う。既にオクタヴィネルへ立派な働きを見せようと日々奮闘している凛とした彼女と私は、――そう、違うのだ。立場を弁えなければならない。と、わかって居ても尚、あの家から全く出ない出不精の兄と、宙を飛ぶ可愛らしい弟に会いたくなってしまうのは罪だろうか。

「――ヨ、ヒヨ?どうかした?」

 慌てて顔を上げると、いつの前にか隣に立っていたセダムさんが心配そうに顔を覗き込んでいた。慌てて「あ、いえ、なんでも!」と取り繕うと納得していない様子で「そう?」と頷いて、それからサバナクローファミリーが居る近くまで背中を押される。VIPルームと呼ばれる特別な応接室には高級な菓子と紅茶が並べられていて、なんというか――彼らには少し、アンバランスにも見えた。
 セダムさんの隣に座って宝石のようなそれらを見下ろして居ると、サバナクローのボスであるレオナ・キングスカラーの視線が向けられる。鋭く、捕食者のような瞳。きっとメイちゃんを知る前に彼と出会っていたならば恐怖から直ぐに飛び上がって逃げていただろう(それが許されるかは兎も角として)しかし、メイちゃんを見る目が妹を見るような、はたまた子供の成長を喜ぶ親のような色を見せるものだから、私はすっかり可愛らしく見えてしまっていたのだ。勿論、マフィアとしてのこの人を見てしまえばそんなことは思えなくなってしまうのかもしれないけれど。

「……なんだ」

 低い声が、私に向けられる。室内に居た全員がレオナ・キングスカラーを見て、それから私の方に向いたものだからきょとんと首を傾げて、それから。

「あぁ……いえ。ごめんなさい。つい、その……。……ううん、気分を害してしまうかもしれないのでやめておきます」
「そこまで言っといて言わねぇってのはねぇだろ。言ってみろ。なに、獲って食いやしねぇよ」
「ヒヨ、……相手は客人ということをお忘れなく」

 同盟ファミリーのトップと、自分が身を置いているファミリーのトップに挟まれて、私は眉をきゅっと顰めながら。数秒思案した後に告げた。

「……。尻尾が揺れないように椅子に背中に隠している姿が、待てをさせられている犬のようで可愛くて、ごめんなさい」

 ピシ――っと、亀裂が入るような空気の冷たさが走った後に、レオナ・キングスカラーの右腕であるラギーさんが堪らないというように吹き出した。そしてそれが伝染したかのようにもう一人の幹部であるジャックさん、それから私の隣に座るセダムさんとフロイドさんに移る。普段から紀律を重んじているジェイドさんとアズールさんも、少々表情を柔らかくしているように見えた。

「っあっはっは!はー!レオナさんにそんなことを言う女、っふ、初めて見たっすよ!あっはは!確かに!」
「……っ、ふ。……いや、俺は笑ってねぇっすよ」
「ヒヨが、ヒヨがレオナを犬扱い……ッ!ふふ!」
「ネコじゃなくてイヌだってさぁ!うみどりちゃんオモレ〜!っは、笑えんだけどぉ」
「……まぁ、言われてみれば確かに、そう見えないこともありませんね」
「てめぇら……全員まとめて砂にしてやろうか……!」

 地響きのような声が部屋に響くと、メイちゃんがすくりと立ち上がって私の前まで来て、それから困ったような表情で、それでもどこか嬉しさを耐えきれないという様子を隠しきれないまま扉の外まで見送ってくれる。

「何かあったらいけないから……ね?」
「うん、部屋に居るね。……キングスカラーさん、怒らせちゃったかな」
「……ううん。照れてるだけだと思う」
「やっぱり?良かったぁ」
「……気付いてたんだね」
「メイちゃんに彼の言葉は要らないのかもしれないけど、……でもやっぱり、態度にくらい出して貰えた方が嬉しいかなって。……ごめんね、お節介だったかな」

 私の言葉を聞いて、突然ぎゅうっと抱き締めてくれたメイちゃんの背中をぽんぽんと叩いた。それから、その状態で「そんなわけない……!ありがとう、すごく、嬉しい……!」と、心の底から伝えてくれる声にほっと安堵の胸を撫で下ろしてから「久々に会う家族とのお話、楽しんできてね」と言うとにこりと頷いてくれたので身体を離して、それから手短に扉を閉めた。部屋の中が相当うるさいことには目を瞑ろうと思う。だって、あんなに嬉しそうなのにいつも全然顔にも口にも出さないもんだから少しちょっかいを掛けたくなってしまったのだ。昔の頑固オヤジ、みたいな感じかなぁ、なんて足取り軽く部屋に戻ろうとしたところで――思い付いた。
 今なら主要な人たちは誰もいないし、オクタヴィネルを抜け出せるのでは?少し、そう。散歩をするだけ。
 地下に行こうとしていた足をきゅっと方向転換させて屋上へと続く階段を上る。ドキドキと胸が高鳴った。それは冒険に出る勇者の始まり、のような気持ちと、久々に家族に会えるという喜びと、悪いことをしているという罪悪感とが入り混じっての反応だ。
 展望デッキまでやってくると、辺りをそっと見下ろしてから背中の翼を羽ばたかせた。地上から出てしまうと警備の人に見付かってしまうから、空からゆっくり慎重に。一時間以内に戻ればきっと見付からないだろう。そもそも、メイちゃんの護衛はお休みであるし、部屋に尋ねてくる人でもいない限り見付かることもない。これ以上ないチャンスに胸を躍らせながら、私は、船から飛び降りた。