episode.5 終焉



 結論から言うと大きな衝撃音は、三人が探し歩いていた人物が作り出したものだった。力任せに扉を蹴り、それが壊れた音。
  フロイドがジェイドの腕を首から外して床に横たわらせる。血を吸い込んだサマーカーディガンは大きな血が染み付いていた。

「ジェイド……ッ」

 一階から二階に登った三人が双子の名を呼ぶと、彼らの視線が三人に向く。フロイドが子供のような表情で「ジェイドが、……」と顔を歪ませるので胸を締め付けたメイが一目散に近寄って、彼を抱き締めたい気持ちを押し殺しながらヒヨの手付きを見様見真似で習いながら止血する。サマーカーディガンがヒヨの物であるということを、彼女が認知して、手を震わせながら。

「……ジェイド、手を握ることは?」
「っ、えぇ。なんとか」
「幸い神経からは外れているようですね。……本当。幸い、ですけれど」

 ジェイドの止血作業を終えたメイがフロイドの額にハンカチを当てた。もう血は乾ききっているようで布を赤く染めることはない。フロイドがメイをぎゅっと抱き締めながら「無事?」と弱々しく聞くので「……フロイドより、全然元気」と柔らかく返しながら背を叩く。
 そんな二人の再会を横目に、アズールはジェイドの横に膝を折って問い掛けた。

「ヒヨは何処に?」
「この扉を真っ直ぐ行って、実験室のような場所をひたすら進むと吹き抜けの広場があります。そこの――檻に」
「……なるほど、僕が行きましょう。フロイドは皆を連れて先に入り口を目指し、施設の外へ出ていてください」
「っ、アズール一人なんて無理に決まってんじゃん!オレとジェイド二人掛かりでもこんなんになってんのに!」

 アズールが立ち上がりながら「ポムフィオーレに応援要請は出しています。彼らが来るまでの時間稼ぎ、をするだけですよ。最初から幽霊相手に殺害を企ててはいません」と言って眼鏡のブリッチを上げた。

「待って、アズーが行くなら私も、」
「――僕も行きます」
「…………ジェイド、マジで言ってんの?正気?その怪我で?は?……足手纏いだってわかんねーの?」

 ピリ、と辺りが凍りつく。フロイドの言っていることは正論だ。命からがら、なんとかあの場所から逃げて来たというのにまた戻る奴が居ると思っているのか、ということだろう。だがしかし、そんな当たり前の反応を返したフロイドも本当は分かっていた。

「止血はしましたし、幸い利き腕は残ってます。……何より、ヒヨを置いて逃げるなんて僕にはできません」
「うみどりちゃんが自分の命と引き換えに逃がしたのに?」
「いいえ、引き換えにしたわけじゃない。時間を作ってくれた、と考える方が正解ですね」

 フロイドとジェイドの言っていることが、どちらも正解で、どちらも不正解であった。受け取り手によって解釈は変わるだろう。決して混じ合うことのない二人の論争。フロイドが大きく舌打ちを零しながらジェイドが立ち上がる姿から目を逸らす。痛々しい二人を目の端で捕らえているとアズールの端末が再び鳴り響いた。

『無事ですか?』
「一応、息はありますよ」
『ポムフィオーレがヘリで其方に向かっています。……幽霊の怪物相手に真っ向勝負を挑むのは分が悪いという結論に達しましたので――二十年前のゲシュペンスト研究所と同じように焼け野原にするつもりです』
「……なるほど、いい案ですね」
『全員撤退できますか?幽霊だけをその施設に留めて』
「――やるしかないでしょう」

 オクタヴィネルの面々と目を合わせながら頷いた。ヘリが到着するまで十五分程度。十五分でヒヨを檻から救い出し、幽霊を残したままこの施設を脱出するのは至難の技であろう。しかし、今のところ方法はそれ以外考えられない。電話を切ったアズールが簡単にその説明をしつつ、全員で先ほどジェイドとフロイドが死闘を行った場所まで足を進める。なんとなく各々が早足になっていた。

「取り敢えず、ヒヨを救うのが第一ゆうせ、」

 と、彼が告げたところで。
 五人が目を丸くしながら、ゆっくり開く扉の先を確認した。光の差すそこから純白の翼を持つヒヨが一人で立っていたのだ。彼女も彼女で彼らの姿を見付けては「え?」と首を傾げる。それと同時にジェイドが歩幅を広げて、押し倒す勢いでヒヨを抱き締めた。

「ッ――! 本物、ですか?」
「い、いちおう……幽霊じゃ、ないです」
「初めて出会った場所は?」
「オークション会場……?」
「僕が貴方に告白したのは」
「……ベッドの上」
「はぁ、……本物ですね」
「っ、それより!ジェイドさんの腕は!?」

 胸に押し付けられていた顔を上げて確認しようとしたヒヨが血を垂らす左腕が丁寧に止血されているのを見て、ジェイドの奥に居たメイを見遣った。涙目で此方を見詰める彼女に此方もくしゃりと表情を歪めながら笑い掛ける。

「貴方こそ、胸は平気ですか。あまり激しく動くと臓器を損傷します」
「ジェイドさんの腕の方が危ないです……!神経は大丈夫ですか?動脈は?」
「――二人が激しく負傷していることはわかりました。お互い“大人しく”していなさい」

 コツ、と靴音を鳴らしてやってきたアズールが腕を伸ばして髪をくしゃりと撫でる。ヒヨを一瞥したアズールが「……よく生きて居てくれましたね」と優しい声色で褒め讃えた。それは宛ら、子供を褒める親のような口振りで。ヒヨは瞳に膜を張りながらもコクン、と頷く。

「……ヒヨ、貴方、どうやってあの檻から?」
「ワイヤーで鍵穴を弄っていたら偶然開いたんです。……へへ、泥棒の才能があるかもしれません」
「……嘘でしょう」
「嘘じゃないです。その証拠にほら、わたし、ブラジャーを着けてない」

 何が証拠になるのか分からないがヒヨがジェイドの右手を掴んで胸に押し付けたので流石に動揺した。ヒヨからしたら真面目な行動であったのだけれど――。
 後ろで見守ってたフロイドが、メイやセダムと共に近付いて「あのバケモンは?」と聞くので「……寝てるだけです、」と申し訳なさそうに告げる。

「子守歌を歌ってたら寝ちゃって、」
「……んなこと有り得る?バケモンだよ?」
「元々は子供ですから……。あと、不確かですが私が使ってる睡眠薬が作用しているみたいです。“実験されていた自分にこんなものは効かない”と言って一度起き上がったので、薬の効果なのか、本当に子守歌で寝てくれたのかは分かりませんが」
「まぁ何方にせよ眠っている今が好機ってことでしょう。ほら皆さん、逃げますよ」

 ヒヨの傍までやってきたセダムが腕を差し出して「行こ、怪我してるんでしょ?支えになるよ」とあの優しい笑みを浮かべてくれたものだから思わず目を潤ませながらコクンと頷いて言葉に甘えた。セダムの腕を掴みながら、アズールに支えられるジェイドを横目で見る。それから思い出したように、歩きながらジェイドに向かって空の拳銃を差し出した。

「持って来ました」

 これを、この人が大事にしていることを知っている。男女の営みが終わったあと、一人ベッドから出て適当に服を羽織りながら拳銃の手入れをするジェイドの姿を何度か見たことがある。そんな彼が好きだった。拳銃を受け取りながら神妙な表情で礼を良い、にこりと笑い返したジェイドにほっと胸を撫で下ろす。

 無事とは言えないまでも全員で合流はできた。あとは入口まで辿り着けば良い。それだけ――なのに。何故だか心臓が落ち着かない。これで終わると思えない、という謎の焦燥感。後ろを振り返ってもあの男の子は居ないはずなのに。

 アンジュに送って貰った見取り図を見ながら出口を目指して居ると上からカラン、と音が鳴った。横でも前でも後ろでもない。上。上の階から何か地響きのようなものが――。

「ッ、みんな伏せなさい!」

 アズールの叫び声。セダムの腕に捕まっていたヒヨも彼女の行動を習うように端に転がって頭を低くする。
 轟音が辺りに響いた。パラパラと瓦礫の破片が降ってきて、頭を覆う腕を傷付ける。慌てて顔を上げるとそこには先程まで睡眠をとっていたフェイの姿がある。武器はない。素手で、己の身ひとつで研究所の床に穴を開けたというの?
 再びヒヤリと、背中に悪感が走る。やはり、これで終わりになどしてくれないのだと悟った。愛に飢えて、母を求める子供の駄々は諦めるという言葉を知らない。それが巨大な力を持ってしまわなければどうとでも出来たのに。

「――ヒヨちゃん、なんで出て行っちゃうの?」
「……どうして出ちゃいけないの?」

 フェイの仄暗い瞳が、全員をぐるりと見渡したところでヒヨとかち合った。標的が自分になったことでセダムからそっと離れようとしたけれど目敏い彼女が許してくれるはずがない。逆に離さないという意思が伝わるくらい力強く腕を握られる。

「僕が勝って、実験の材料にしなきゃいけないんだ……お母さんに、あげないと……その翼、きっと欲しいって言う。僕に付けたらもっともっと強くなる――!」
「そのお母さんはもう居ませんよ」

 ジェイドの横槍がフェイを刺激した。ギロリと黒目を光らせた彼が飛ぶようなスピードで近付きジェイドの頭を鷲掴もうとしたところで、彼も同じように床を蹴って場所を移動する。チラ、とアズールの方を一瞥したジェイドに一瞬困惑させた表情を見せるアズールがフロイドとメイに顔を向けてから出口へと促した。
 最初は反論の表情を見せたフロイドもジェイドを見て、それから唇をきゅっと噛み締めながらメイを引き摺りつつ出口へと走る。

「お母さんは居る、僕を置いて行ったりしない……!」
「何処にいらっしゃるのですか?ご挨拶がてら、一度お会いさせてください」

 飄々と語るジェイドがフェイをわざと刺激しようとしていることは理解した。ヒヨは隣に居るセダムにこっそりと「……爆薬、まだありますか?」と聞いて見る。先ほど、フェイ以外の謎の怪物と対峙していた話を聞いていたので手榴弾が残っているか聞いてみたのだ。戸惑うような表情を浮かべたセダムが「ある、けど……効くと思えない」と首を振る。

「フェイくんじゃなく――この施設に、仕掛けて欲しいんです。アズールさんと一緒に」
「……どうして?」
「燃やすにしても、この大きさの施設を燃やしきるにはかなりの時間が掛かります。爆弾の効果があった方がもっと早く燃焼させられると思うんです」
「ヒヨはどうするの」

 要するにセダムは、小鳥が自を犠牲をして皆を逃がそうとしているのじゃないかと聞いている。オッドアイの瞳は真剣な色でヒヨの表情を映していた。

「フェイくんと話をして、それからジェイドさんと施設から出ます」
「……本当に?絶対?」
「私が一人なら兎も角、ジェイドさんを巻き込んで死ぬと思いますか?」

 セダムが表情を歪めて首を振る。
 意を決して、手元で遊ばせている手榴弾をピンが付いたまま数メートル先で待機しているアズールの足元まで転がした。この会話を聞かずともヒヨの案を理解したようで、彼もセダムと同じような表情を浮かべた後にジェイドがフェイの気を引いている隙を着いて後ろ手に回りセダムの腕を引く。

「ヒヨ」

 一瞬足を止めたアズールが振り返る。

「……オクタヴィネルの掟、守ってくださいね」

 返事は聞かないでセダムを引っ張る。その姿を見送りながらジェイドと死闘を繰り広げているフェイの傍まで近寄った。ジェイドが片腕を負傷しているように、フロイドがフェイの腕を引き千切ったお陰で最初ほどの威力はない。とは言え、痛覚はないのか獲物を追うスピードはそのままだ。

「フェイくん」

 ヒヨが翼を羽ばたかせながら名を呼んだ。確かな殺意を含んだ瞳がヒヨの方に向けられる。

「私もお母さんに会いたいな。案内してくれる?」
「……お母さんは居る」
「そうだよね、居るんだよね。……会いたい」

 数秒の沈黙の後、フェイがジェイドから距離を取る。瞬きをした瞬間に、彼はヒヨの真横に突っ立って人差し指をきゅっと握り絞めた。逃げたらこのまま指を折り曲げて捕まえてやるという子供らしいとも――残酷とも取れる仕草を受け入れながら道案内をする少年に連れられて、後ろに居るジェイドを振り返る。険しい表情を浮かべながら左腕をだらりと垂らしてヒヨとフェイの後を着いて来るジェイドを一瞥し、そして直ぐに前に向き直った。

 フェイが連れてきたのは真っ白な施設に似合わないくらい豪華な扉の前であった。豪華と言っても宝石が付いているわけではない。彫刻の入った木の扉にステンドグラスがキラキラと輝いている。それだけで、ほうっと息を吐き出したヒヨの顔を見ずに、フェイは表情を落とす。扉を開ける様子はない。

「…やっぱり、会いたくない」
「……どうして?」
「……有り得ないけど。そんなわけないけど、――お母さんが居なかったら、」

 この子は頭が良い。それが実験の結果なのか、はたまた生まれ付きなのか、境遇のせいなのか分からない。実の母がとっくに死んで居ること、それから、自分が置いていかれてしまったこと。全てを理解している。
 握られていない方の手でフェイの黒くツヤツヤとした、綺麗な髪を撫でながら「居るよ」と力強く声を掛けたヒヨの目には確かな確証が浮かんでいる。

「どうして、そう思うの」
「子供を置いて行く母は居ません」
「……居なかったら?」
「その時は、私の翼でも命でも、なんでもあげる」

 馬鹿なのか?と目元を歪ませてヒヨを見上げたフェイが人差し指を力強く握り締めながら扉に手を掛けた。居るわけがないのだ。居るわけがないと、フェイが一番良く分かっている。あの日、施設の中が燃えて呼吸も苦しくなった時に檻の中に閉じ込められたフェイが母の名前を幾ら呼んでもその女が来ることはなく。フェイは身を焦がすまでひたすら母の名を呼んだのだ。あの女も、自分も、この施設で朽ちた。二十年前の今日、ゲシュペンスト解析研究所――基、フェイの家が終焉を迎えた日である。

「|小鳥の夢見《ドリーミング バード》」

 扉の先は小さなチャペルだった。横椅子が数個あるだけの、簡易的な教会である。それでも天井に近い壁には色取り取りのステンドグラスが飾られ――フェイの母を、優しく照らしている。
 隣から息を呑む音が聞こえた。人差し指からフェイの指が抜け落ちる。

「……おか、あさん?」

 少年の目が真ん丸く見開かれたと思った瞬間に彼が“何もいない空間”に向かって走りだす。彼には確かに見えているのだ。フェイだけが知っている母の姿を。フェイが離れて一人になったヒヨの隣にやってきたジェイドが端末を起動させながら「アズールとセダムは戻っていますか?分かりました。……それじゃあ3分後にお願いします」と簡潔に連絡を取りながらヒヨを見下ろす。3分後に、再びこの施設は火の海となる。今すぐ離れなければならないのにヒヨの足は自然と彼の傍に向いていた。

「おかーさん……!あいたかっ、……!」

 床に泣き崩れるフェイから離れたら魔法が解けてしまう。そうしたら彼の魂は二度目の絶望を知りながら天に向かうのだ。絶望を味あわされた彼が追い掛けてくる最悪の事態、そして、同情を芽生えさせてしまったヒヨの心情から考えても、そのようなことが出来なかった。
 イグニハイドに向かったあの日。あの時の自分と彼を重ねる。嘘の幻覚を見せる自分と、最後まで突き放してくれた父のどちらの罪が大きいのだろう。
 フェイに近付いて背を撫でたヒヨが「……寂しかったね、」と優しく伝える。

「さびしかった」
「お母さんとずっと一緒に居たいね」
「いっしょに、いたい」
「…………」
「つれていって」
「………………」
「僕、さびしい」
「……そうだね」

 一人は寂しいよね。

 そんな同情に溢れた悲しい台詞を吐き出しながら、床を濡らす涙の痕を眺める。術者であるヒヨにも彼がどんな夢を見ているのかは分からない。彼の母がどんな容姿をしているのか、どんな声を掛けているのか。けれど、それは全てフェイが望んだ夢なのだ。何度も望んだ、見た彼の夢。

 連れて行って、と願った少年の首へ。震えるように両手を添える。
 生前この子と出会えていたらまた違った関係を築けたかもしれない。そんな、たらればを考えながらゆっくり力を込めるヒヨの目の前でフェイが首を絞められながら口角を上げる。千切られていない方のフェイの手が素早くヒヨの首を掴む――前に

 銃声が鳴った。

 小さな少年の胸元に風穴が空く。パライバ・ブルーの宝石に似た青い瞳を大きく見開いて、小さな口から大量の血飛沫を吹き出した。ピシャリ、飛んだ血の末端がヒヨの頬に生温い液体として降り掛かる。

「僕を死神だと思いますか?――申し訳ないですが、この子を連れて行くことは僕が許しません」

 二人とは反対側に倒れた少年の、口元を眺める彼女の傍に近寄ってジェイドがヒヨの腹に腕を回して抱え上げる。
 はく、はく、と息を吐きだすフェイが「おかあさん……」と何もない空間に腕を伸ばす。それと同時に施設内のどこかから爆破の音が聞こえた。

「……もう待てません。行きますよ」

 ジェイドに抱え上げられながら、ヒヨは扉を閉めるまで少年の亡骸を見詰めていた。
 最後に、確かに彼は「ありがとう」と言った。ヒヨに向かって告げたのを見逃さなかった。本当は誰も殺したくなかった彼の本音だ。そうすることを強要された彼の悲痛な心持ちを考えながら、ヒヨは初めてぽろりと涙を零す。

 ジェイドがヒヨを抱き抱えながら猛スピードで出口へ向かうが各所で爆発が起こっているのか先ほどから破裂音が鼓膜を揺さぶる。ポムフィオーレが用意した炎と相まって凄まじい勢いで崩壊しているのが分かった。

「ッ――ジェイドさん、」
「なん、ですか。置いていけという話なら聞けませんよ……!」
「違います!……入り口、が、燃えてて……!」

 出られない、という言葉を言い切る前に爆風と共に炎が二人を襲った。急いで身を隠しなんとか難を逃れたが出口から逃げれないとなると――。
 ジェイドが小さく舌打ちをしながら急いで方向転換をする。その足は階段に向かい、二階から三階、そして四階へと歩みを進める。熱と煙。視界を狭めるそれをヒヨが翼を羽ばたかせながら追い去って、ジェイドと自分の口元を袖口で覆った。

「アズールとセダムがあの短時間で爆弾を仕掛けるなら中央の棟から広げて行くはずです……!左右は手が薄い」
「……ジェイドさん、屋上に向かえますか?」

 一番右の棟、そして屋上へと向かいながらジェイドが「何をする気だ」と目で訴える。何が何でも、この人の命だけは失えない。いいや――自分の命も。ジェイドの胸ポケットから端末を取り出してとある人物に電話を掛ける。

「ッ――メイ、ちゃん?あの、お願いがあるの。一番右の棟、屋上から――ジェイドさんと飛び降りる。……ううん、違う。だからね、お願い」

 作戦を伝えて電話を切ったヒヨを見てジェイドが抱き抱える手を強くする。ヒヨも同じようにジェイドの首に巻き付きながら火の手が薄い屋上までやってくると勢い良く扉を開け放ち、上から地面を見下ろす。
 ここから飛び降りれば間違いなく死んでしまうだろう。二人とも地面に衝突して、地面とぶつかる頃には息がない。上空を飛んでいるヘリコプターを見上げながらヒヨがジェイドの腕から飛び降りる。

「貴方ひとりが飛べば済む問題だということは分かっていますよね?」
「まず、その選択肢がないです」

 メイに伝えたのは二つだ。アンジュに連絡して、ヘリをギリギリまで施設に近付けて低空飛行をして欲しいこと。それから――必ず二人とも生きて帰るから待ってて欲しいということ。
 ヒヨの指示の通り、ヘリはジェイドとヒヨの目の前を飛んでいる。操作席に座るエペルという男が心配そうな表情で此方を一瞥した。安定した低空飛行を続けるのは難しいのだと、流石のヒヨも知っている。後ほど感謝の言葉を送らねばならないだろう。

「ジェイドさん。絶対に絶対、私から手を離さないでください。……手を離したら呪います」
「……ふふ。怖いですねぇ」

 お互いの首に腕を回す。ヒヨが翼の状態を確認するようにパタパタ、と羽ばたかせる。既に炎が施設全体を包み、屋上までの階段も崩壊の道を辿っていた。後戻りはできない。
 視線を絡ませて、熱い視線をそのままに唇を重ねる。そしてそのまま――二人の身体が、宙に舞った。