episode.6 司祭



 目が覚めた時、ヒヨは言いようのない痛みを全身に感じて呻き声を上げた。特に胸の周辺に感じる強烈な痛みには思わず吐き気を催したほどだ。目の前が、チカチカと眩い光に支配されるのを見て死への感覚が蘇る。
 ヒヨの声を聞いたのか閉められていたカーテンが勢い良く開く。目の前に立っていたのは白衣姿のルーク・ハントだった。医学を学ぶヒヨの師匠でもある。

「ボンソワール、眠り姫」
「……|ボヌニュイ《おやすみなさい》」
「おや。鎮痛剤は要らないと言うのかい?肋骨を二、三本折っておいて。頼もしい限りだね」
「にっ……!? ――ッ?!い、ったぁ! え、なん、なんでぇ……!?」

 骨を折ったまま、ヒヨは彼方此方動き回れたはずなのに。今じゃベッドから起き上がることすら出来ない。ルークが近場にあったガートル台を引き寄せて鎮痛剤の入った液剤を設置する。ヒヨの血管に刺さった針に向かって一定の速度で薬が落ちて行くのが涙で潤む瞳の横から見えた。

「そりゃあそうだろう。当時はアドレナリンが働いて動けていただけだよ。お陰で重篤化したわけだけどね」
「……あの、それよりもジェイドさんは?」
「それよりも?」
「…………」

 嫌に圧を掛けて来る様子から見て、地雷を踏んだことが分かる。主治医がこんなに手厳しいのは仮にも人を治すことを主をしている自分が軽率な言葉を使うからだろう。一度口を閉じてから「ジェイドさんは、どうしていますか?」と言い直す。近場の椅子に腰掛けたルーク・ハントが長い脚を弄ぶように組み替えた。

「生きているよ」
「知ってます……それは。その、覚えてます」
「じゃあ、君と同じくベッドの上で絶対安静だということは?」
「……それは知りませんでした。あの、フロイドさんは脳震盪を、」
「他の彼らも無事だね」
「……良かった」

 ほっと息を吐いたヒヨは、あの日の最後を思い浮かべる。

 ジェイドの身体をできるだけ持ち上げながらヘリのプロペラが巻き起こす風を利用して身体を宙に投げ捨てた。彼方此方に向く突風に吹かれつつ、ヒヨはジェイドの身体を離すまいと胸を押し付けながらなんとかかんとか翼を羽ばたかせ、そして――。

 森の中に落ちた。

 巻き起こる小さな台風の渦に巻き込まれないようにしつつ、その風を使いながら百九十センチの男を抱き抱え、そして森の中まで飛ばされた。木の葉や枝で身体中を傷付けながら、逆にそのお陰で衝撃が和らぎなんとか生きて地面に着地したのである。最後まで、絶対にヒヨの頭を抱き抱えて離さなかったジェイドの姿を思い出してヒヨはきゅっと胸を締め付けた。
 段々、瞳に膜が張り、ヒヨは硬いシーツを顔の上まで引っ張り上げながらしゃくりをあげる。

「……よか、った、ぁ……っ」
「そうやって、素直に泣けば良いんだよ。……あ、でも。あんまり泣くと骨に響いて痛いんじゃないか?医学的にはあまり良くない」
「っ〜〜知ってます!」
「叫ぶのも良くないよ」

 シーツの上からぽんぽん、と頭を撫でるルークの手が温かい。あの施設に居る時、ヒヨはいつだって怖かった。もしかしたらジェイドがこのまま死んでしまうんじゃないかとか。他の皆が大怪我をするんじゃないかとか。全員、生きて帰れないんじゃないか――とか。何か一つでも失敗していたら、きっとヒヨは此処に居ないだろう。フロイドとメイが先に施設を出て、ポムフィオーレへの指示を的確に飛ばしてくれなかったら。アズールとセダムが爆弾の設置場所を少しでも間違えたら。ジェイドがあの時――フェイの胸元に銃弾を撃ち込まなかったら。誰がどうなっていたか分からない。
 冷静にならなきゃ、と、何度も自分に言い聞かせて。そうしてやっと手に入れた“生”だった。

「ジェイドくんに会いたいかい?」
「――! あ、あいた、会いたいです!」

 上から降ってきたルークの言葉に慌ててシーツから顔を出す。涙を滲ませたヒヨに、にこりと微笑みを浮かべながら、

「そう思うなら二週間は大人しく、ベッドの上に居ることだね!それじゃ、僕は君のボスのところへ報告に行って来るよ」

 パチン、と綺麗なウィンクを残してルークがヒヨの自室から出て行った。あ、これ、怒ってる。ヒヨはさっと顔を青くしながら、ベッドサイドに置いてあった液晶が割れた端末を目の端で捉えて拾い上げる。誰かが置いてくれたのだろう。ピカピカと通知を知らせるランプが止まない。そういえばイグニハイドに電話してから、何も返信をしていないのではないか――? 再び、すうっと冷たくなったヒヨの手に握られたソレが大きく震えた。

「……お兄ちゃん?ご、ごめん……今起きて――! う、るさぁ! 生きてる!生きてるよ!」

 なんとも騒がしい起床になったのに、ヒヨは小さく笑いを零した。
 あぁ――生きてて、良かった、なぁ。

 ♦ ♦ ♦ ♦

 結局、ルークの言う通り、ヒヨは一週間と半分の時間をベッドの上で過ごした。正確に言えば二週間どころじゃなく――四週間は絶対安静を言い渡されたのだけれど、制限より早く回復したジェイドがヒヨを朝食と夕食の席には抱いて連れて行ってくれたのでなんとか事なきを得たのである。左腕を撃ち抜かれたジェイドの悪運は強く、神経も動脈も通過していなかった。出血の量から、気の弱い人間だったら今頃死んでいたねと笑われましたと言い放ったジェイドを横目で見つつ「いや……笑い事じゃないです」と引き攣った表情で首を振ったのは記憶に新しい。
 その後、メイとセダムたちには泣き付かれ、アズールには永遠とも思える時間の説教を食らい、フロイドには「ジェイドが飛ぶとこ初めて見たぁ」と無邪気に笑われたあとで――正しくは叩かれたと表現した方が良い気もするが――頭を撫でられた。
 アンジュには今まで以上に大きな溜息を吐かれながら「……拾い食いも程々にしてくさい」と良く分からない台詞を言い放たれて、無限にりんごを食べさせられたのは良い思い出だと思う。

 全てが終わって、ヒヨとジェイドはフェイの墓場に訪れた。

 あの日、フェイとその母親であるファレナー・トイの墓荒らしがあったそうだ。何故今頃そんなことをしたのか。行ったのが誰なのか。早朝に行われた犯行だそうで目撃者が存在せず見付からないままなのだけれど、ヒヨはなんとなく、彼の父親が二人を掘り出したのではないかと思っていた。本当のことは分からないし、もしかしたらヒヨがそう願いたいだけなのかもしれない。けれど、イデアから教えて貰った『……母親だったファレナー氏の遺体は、フェイくんの近くで発見されたらしい、よ。……ま、まぁ。骨になっていて、今でも確証はないらしいけど』という、当時のゲシュペンスト施設の話を聞き、確かな愛情が真相ならそれだけで十分だと思った。
 フェイの墓石の前に青いバラの花束を置いてそっと手を合わせる。地面の中に、フェイは居ない。

「……アンちゃんに聞いたんですけど」
「はい」
「メイちゃんとフェイくんを見付けたあの日……私たちが見えない何かに話しかけて、二人しか居ないのにジェラートを三つ頼んで、子供服を買ったそうなんです。街の人が不思議がってた、って」
「…………」
「でも、……あの日、私たちは確かにフェイくんに会いました。……そう、ですよね?」

 不安そうに眉を寄せて、青いバラを見下ろすヒヨの髪が揺れる。夏の風が二人の間を抜けた。

「会いましたよ。そして、最後の最後に貴方が魂を救った」
「……救えた、ことになるんでしょうか」
「飢えた少年に愛情を与えた貴方は、もっと胸を張るべきでは?」

 ヒヨの頭を緩く撫でて、自分の方に抱き寄せた彼の左腕は小さな傷跡を残すだけで、すっかり元の状態に近付いていた。ヒヨの方も未だに激しい運動を制限されてはいるけが、早くも今までの日常を取り戻そうとしている。

「空の上で、……夢が現実になってたら、いいな」

 青いバラが、風に揺れる。花言葉は神の祝福。そして――

「夢は叶います。……僕がヒヨを手に入れたみたいに」

 ジェイドの琥珀色の瞳がきゅっと細められて、それから屈むように唇を合わせた。夏の終わりは、もう直ぐそこにある。