白骨にモルヒネ



「弱小マフィアを一つ潰す程度の任務になんでオレたちが呼ばれてるわけぇ?」
「先程アズールから説明があったでしょう?」
「長すぎて寝た」

 フードを被った影が二つ、静まり返ったスラム街の外れに延びている。眠たそうに口元へ手を当てながら欠伸を零したフロイドを、フードの隙間から一瞥したジェイドは頼もしいその姿に笑みを零しながら、廃墟とも思えるボロボロのビルの前で立ち止まった。

「このビルに送った構成員、24人全員との連絡が取れていません」
「はぁ?ちっせぇマフィア潰すのに何やってんの?……舐められんだろ」
「まぁまぁ。……うちの子たちが粗相をしたのなら謝罪に、寧ろ歓迎されてしまったのなら――お礼に行って来い、というのがアズールからの指示ですよ」

 割れたガラス窓から、不規則な電球の明かりが見て取れた。このビルがマフィアの拠点になっていたことは事実であろう。しかし、既に生きた動物の気配はない。――生の気配、は、の話である。

「おっじゃましまぁす」

 例え気配が感じ取れなかったとしても、罠がある可能性等を考慮して慎重に行くべきだ。しかし、フロイドはこの任務を早々に終わらせてさっさと船の上に戻りたかったし、彼の辞書に「慎重」などという丁寧な言葉は載っていない。フロイドが入り口を蹴破ると瓦礫がパラパラと崩れて落ちて行った。口元を裾で覆った二人は、その煙が過ぎ去ってから中を見て感嘆の声を漏らす。

「随分と豪華なお出迎えです」
「24人、ピッタリぶらさがってんねぇ――ジェイド、何したの」
「さて。ゴミの捨てた場所を一々覚えておくほど記憶力は良くありませんから」

I will not forgive jade ジェイド、お前を絶対に許さない

 ジェイドはフードを下ろしながら、その文字が書かれた壁の傍まで近寄った。赤黒く染まった液体が何であるかなんて、エレメンタリースクールの問題を解くよりよっぽど簡単だ。なんせ、彼らの足元には大量の血液が滲んでおり、そして――目の前には、24体のぶら下がった屍体があるのだから。
 肉吊りのS字フックに吊り下げられた人間の屍体は肉加工の工場などで見られるような光景だった。それと違うのは、ここが加工工場などではない事と、対象が豚ではないこと。それから、うなじにフックを打ち込められただけではない屍体の気色悪さだった。きっとジェイドやフロイドではなかったら胃の中のモノを全て吐き出し、泣きながら外へ転がり出て行ったであろうことが予測される。
 フロイドが近場の肉へ近付いて“背中から飛び出ている肺”を眺め、ハエと蛆虫の姿に「うぇ、」と目を逸らした。

「保存方法がさいぁくぅ……」

 ここにアズールが居たら「そこじゃないでしょう!」とツッコんでくれるところだっただろうが、生憎彼は船の上で大量の書類に立ち向かっているところだ。
 ジェイドは静かに肉を見てから直ぐに足先を変えた。

「ジェイド、相当ブチ切れてね?なに、この中に仲の良い奴でも居た?オレ妬けちゃう〜」
「そうだったら良かったんですけどね」
「……どしたの」

 外に出て、車の置いてある方まで早足に脚を進める。フロイドが同じ歩幅で後を追った。ジェイドの背中から出ているオーラを感じ取る兄弟には、彼の髪に隠れた瞳が確かに見えている。今、この場に罪のない一般市民が歩いていたら間違いなく彼は嬲り殺すだろう。銃ではなく、彼独自の方法で、この苛々を解消するために。何が地雷だったのか分からないフロイドがジェイドのポッケに手を突っ込んで車のキーを抜き取り、指先で回した。

「オレが運転すっから、ジェイドは助手席乗って。絶対に酔う」
「安全運転が主義なんですけどね」
「あーソウ……。で?何がそんなに嫌だったの」

 気色の悪い屍体を見せられたこと?いや、あの程度の行為、正直オレたちは何度も何度もしているし、今更だ。
  じゃあ自分へ宣戦布告をされたこと?いいや、誰かに恨まれることなんてそれこそ今に始まったことではない。それじゃあ。
 助手席に乗り込んだジェイドが長い脚を組みながらグローブ越しに人差し指の爪を噛んだ。

「あれは、スカルド詩に語られる処刑法です」
「で?」
「うつ伏せに寝かせ、刃物で助骨を脊椎から切り離し、生きたまま肺を体外に引き摺り出して助骨に突き刺しながら――翼のように見立てる残酷な殺し方の名を“ ブラッド・イーグル血の鷹” 」
「……へぇ。悪趣味ぃ」
「北欧の出身でもないあのファミリーのボスが、何故わざわざあんな面倒くさい処刑方法を?それも、24人もの屍体を全て天井から吊り下げて、蛆が湧いても放置したまま僕たちに見せた」
「ジェイドに運転を任せなくて良かった――うみどりちゃんを出されたら正気じゃねぇもんね」

 普段の彼なら、ここで皮肉にも笑みを見せて「いやいや、怒っていませんよ」なぁんて冗談を言っていただろうけれど今のジェイドにはそんなことをする冷静さはない。フロイドは大きく溜息を吐きながら「……だぁから弱小止まりなんだよなぁ、」と面倒くさそうにアクセルを踏んだ。ジェイドが早くしろ、とでも言うように踵を鳴らすからである。普段なら突っかかっていたところだが、触らぬ神に祟りなしというもの。アズールへの報告はジェイドがやってくれるだろうし、自分は早いところメイの元へ寄って散々な目にあったと泣き付こう。




 ヒヨは既にシャワーを浴びて、読んでいた医学書を本棚に詰め込んだところだった。そろそろ寝ようか、とジェイドが用意してくれていた寝巻きを纏ってベッドに入り込もうとしたところをノックもなしに扉が開く。

「え、……え!?ジェイドさ、!?」
「今日は此方で寝かせて貰います」
「ん……?ん、ん……どう、ぞ……?」

 普段だったら4回のノックが聞こえた後に「ジェイドです、入っても?」と声が聞こえてから鍵を開けられるのだけれども、今日はどれ一つとして無かった。突然開いた扉と、そこに居たジェイドの姿に嫌な鼓動を鳴らしても仕方がないだろう。あまりの驚きに翼を瞬かせたヒヨの姿を見て、ジェイドが表情のないまま近寄る。

「驚かせましたね」
「だい、じょうぶです……何か、その、嫌なことでもありましたか?」
「……。そうですね、ありました。とっても」
「怪我は……?」
「擦り傷ひとつありませんよ」

 彼の言うことは嘘ではないだろう。しかし、目の前の彼から石鹸の匂いが漂って来ないことが珍しい。外から帰って来たら必ずシャワーを浴びて自分に会いに来る彼が、それもなく、そしてノックも鍵の音もさせずに部屋に入って来る様子は普通ではない。不安そうに眉をきゅっと顰めたヒヨの姿を見下ろして、漸くジェイドの肩から力が抜けた。

「すみません、ちょっと気を張っていました」
「大変なお仕事だったんですね。フロイドさんと二人でって聞きましたし……」
「……いえ。それほどではないんですが」
「?」

 ジェイドが上着を脱いで、それをハンガーラックに掛けた。シャツ一枚になったジェイドがヒヨへ「そろそろ眠る時間では?」と声を掛ける。時計を見ると、時刻は既に0時を回っていた。

「……ジェイドさんは、シャワーを浴びてから寝ますか?」
「そうですね。流石に汚いまま貴方の隣に居ることはできませんし」
「私は気にしませんけど……」
「僕が気にしますので」
「……シャワーから、出るまで、その――待ってても、良い、ですか?」

 今日はもう会えないものだと思っていた。夜が更けてからジェイドとフロイドが出て行ったので、きっと遅くなるだろうな……と予想を立てていたのだ。不安になりながら、頬を軽く染めてジェイドの指先を握るヒヨがスルスルとグローブを抜き取った。

「……えぇ。お願いします」

 その言葉にほっとして、ヒヨはふわりと笑みを見せた。ジェイドがこの部屋に入って初めて見た笑顔である。
  あぁ、やっぱり胸糞が悪い。
  普段は自分の言い付けを守って翼を隠している彼女だけれど、こうして部屋の中では生まれ持った姿を曝け出している。男がどこでコレを見たのかは知らないが、視界に入れただけでなく、今度は彼女を辱めたと来た。そんなことをされて赦せる男が居るわけもない。一秒でも早く無残に殺してやろう。

「ヒヨ、申し訳ないんですが明日は居住区から出ないようにお願いします」
「ど、して?」

 不思議そうに首を傾げたヒヨの肩から、白の髪が落ちた。

「鷹が彷徨いているみたいなので」
「……?」

 益々分からない、と言いたげなヒヨに短くキスを施してからシャワー室に向かったジェイドの背中を見送りつつ「……ジェイドさんの言うこと、偶に凄く難しい」と文句を漏らしたヒヨはいそいそとベッドの中に潜り込んで横になった。取り敢えず、明日は切羽詰まった予定もない。薬の材料を買いに行くのは明日以降に先延ばしにして、ジェイドの言うことを聞こう。
  流れるシャワーの音を聞きながら、ヒヨは緩む頬を隠すように枕の中に顔を埋めた。


♢ ♢ ♢

 ジェイドは、プライベートビーチの奥深くに足を運んでいる。暗い、暗い、夜更け。灯台もない海の上は闇に支配される。頼りになるのは月の光だけだ。
 手に持っている空になった牛乳とハチミツの瓶を袋に詰めて木船に乗せた。
「監獄にご招待しようと思ったんですが、満月までかなり時間がありまして。貴方から吐き出される空気を彼女が吸っていると思うと虫酸が走ってしまうんです。……あ、これから虫に這われるのは貴方でしたね。ふふふ」

ざぶん。ざぶん。

 穏やかな波の音が聞こえる。月の光に反射したジェイドの翡翠色をした髪が良く映えた。呻く男に牛乳の瓶とハチミツをぶち込んで、下痢を起こさせた上で木船に放り込む。虫にたかられて身体を喰われなくても、自身の排泄物で溺れて死ぬのが関の山だ。
  スキャヒズム、という昔の拷問方法を用いてジェイドが彼に行った残虐な行為。船を海の上に浮かべて、長い足で蹴飛ばす――前に。

「僕を許さない?……ふふ、結構ですよ。地獄で呪い殺してください――ただ、」

 彼女に手を出したら地獄まで追い掛けてもう一度殺します。

 ふわり、と笑ったジェイドの姿は人間だったか、それとも幻の人魚であったか。男は体液をだらしなく零しながらそんな彼に懇願する。えい、という可愛らしい声と共に船が出航した。
 彼の長い航海に幸があらんことを――なんて、嘘でも言う訳がありませんよね。苦しんで絶望して、それから死ね。