もう、待てない



 普段より高いヒールを鳴らす。首元を飾るのは、今朝方ジェイドさんが選んでくれた緋色のネックレスだ。その中心を、お守りのように指でなぞる私は舞踏会が開かれたメイン会場を離れて個室の並ぶ廊下を小走りで駆け抜ける。

「(203号室……)」

 舞踏会を開催するような会場。小休憩ができるような個室が連なっていることに疑問を抱いて「どんな用途があるんでしょう。舞踏会ってそんなに疲れるものですか?」とジェイドさんを見上げたら、無知な子供を笑うかのように彼が私を見下ろして「見知らぬ男女がセックスをするための部屋です」なんて言葉をサラッと、当たり前のように伝えて来るので、何もない床で躓いて危うく両膝を殴打するところだった。
 そんな一連の会話を思い出し、この部屋の奥では見知らぬ男女が交わっているのか――と、改めてはしたない想像をする。緋色のネックレスほどではないが、私の頬はそれに近しい色になっているだろう。

 203号室の金庫を開けたらそこにUSBがある――はずだ。私は警備員の隙を縫って部屋に潜り込み、金庫の番号をバレないように開ければいいのだ。監視カメラの操作はイグにハイドのボスが動かしてくれている。
 舞踏会でちょっとしたハプニングを“起こした”ので、警備員の手は薄い。203号室の近くまでやって来たところで、私はほっと胸を撫で下ろした。

「そこで何をしている?」

 ――手は薄い、はず。後ろから掛けられた声に、なんでもない顔をして振り向くと警備員の手が肩に乗っていた。

「その部屋は今日、使われる予定などないはずですが?」
「……す、すみません。部屋を間違えてしまったみたいで」
「なるほど。ではお送りしましょう――パートナーの男性はどこに?」

 訝しげな瞳。それと同時に、彼の瞳から劣情が垣間見えた。腰をするりとひと撫でされて、寒気立った肌を隠しながら無理やり笑みを貼り付ける。ぱっと見は分からないだろうその表情で「あとで来る予定になってるんです。……ほら、舞踏会の騒動でお召し物が濡れてしまったからお手洗いに行かれているみたいで」とその場しのぎの嘘を吐いた。

「そうでしたか。それでは此方のお部屋に――」
「お待たせしました」

 警備員の背中越しに声が聞こえる。彼の身長が高いから、顔が良く見えた。「……まち、ました」と掠れた声で返事をするも、当初の予定では彼は此処に居ないはずだ。警備員の男が帽子のツバを下げて「……此方のお部屋が空き室で御座います。ごゆっくり」と罰の悪そうな声を絞り出しながら去って行く。

「……すいません」
「話は入ってから」

 耳元で囁かれて、私はこくんと頷く。他の男性に触れられたそこを、ジェイドさんが同じように撫でる。今度は寒気など感じなかったけれど、罪悪感と仄かな熱が身体中に巡った。
 202号室、すなわち、203号室の隣の部屋にやってきて、私たちは無言で見詰め合う。

「すいませ、……っ!?」
「ん、……」

 扉に押し付けられながら、唇を奪われる。抵抗するように動かした腕は軽々と封じ込められて、甘い香りのする部屋でお互いの息を混ぜ合うようにキスをした。どれくらいの時間だっただろう。酸欠で、頭がくらくらと悲鳴を上げた頃。ジェイドさんは私の羞恥心を煽るように、唾液で濡れた私の下唇をちゅっと吸い上げてから名残惜しそうに離れて行く。

「っ、は、ぁ……っん、じぇ、どさ……!」
「えぇ。なんです」
「……へや、まちがえて、ます!」
「あの状態で隣の部屋に入ることなんてできなかったでしょう?」

 それはそうだけど。そもそもしくじったのは私なので何も文句は言えないのだけれど――キス、をする必要はなかったはずだ。言うことを聞かない私の腰を抱いて、そのままベッドに誘導した彼からは非を詫びる様子が一切ない。仕方なく息を整えながら、恨めしい気持ちを仕舞い込みつつ部屋の奥にあるカーテンを開けた。鍵が掛かっていないのなら、そのまま外に飛んで隣の部屋に入ることだって可能だろう。
 真面目に仕事をしようとしている私の横で、ジェイドさんが窓に手を付いて、髪を上げた私のうなじに熱い唇を当てる。

「ジェイドさん……!?な、なに、何をしてるんです、かぁ……!」
「なにって。ここはセックスをする為の部屋です」
「んんん!私たちはその為にここに入った訳じゃないでしょう!?」
「そうでしたっけ」
「絶対に忘れてませんよね!?」

 良くもまぁ、そんな嘘をいけしゃあしゃあと……!長くて細い彼の指が、私の耳朶を撫でる。手で耳を抑えて、彼から逃げるように床に転がる。見上げた彼が楽しそうに私を見下ろしていた。

「身支度をしている時に、待てをされたのでそろそろ良いかと」
「良くないです……!そ、それに、ドレスに着替えたあと、ちゃんとキスはしました!」
「足りません」
「えぇぇ……」

 何その、子供みたいな。という感想を彼に告げたらきっと拗ねられる。ちゃんと言葉を飲み込んだが、彼のことだから私の意思なんて手に取るようにわかっているだろう。目を細めたジェイドさんが、逆光で恐怖を煽った。

「……わかり、ました。仕事、仕事が終わったら――部屋に戻ったら、し、しましょう」
「なにを?」
「……、……っち、」
「え?」
「……え、えっち……!」
「具体的にはどんなことですか?……ほら、言って」

 窓を背にして床に座り込む私に合わせるように彼がしゃがんで、顎の下に指を這わせる。猫を撫でる時のような動作に、小さく声が盛れてしまう。

「ぁ、……っ、う、」
「うん?」
「……キス、を、して、」
「はい」
「ジェイドさんの……を、受け入れます、」
「何処に?」

 優しくて、甘くて、うっとりと目を細めたくなるような声。導かれるようにして私は彼の手を取る。ヘソの辺りまで導いて、震える手をそのままに喉を鳴らした。

「……子宮の入り口、まで」

 にこり、と満足げに笑ったジェイドさんが私の胎をするりと撫でる。

「じゃあ、もう少しだけ“待て”をしておいてあげましょう。良い子でしょう?僕」
「……」
「ふふ、もう待てないのは貴方の方みたいですけど。仕事ですから、ね。そうでしょう」

 この人は意地が悪い。最初からこうなることを見据えて私を誘導したのだ。待て、が苦手な私に「褒美は後で」と再度確かめるように。熱を持ってしまった胎を抑えながら、私はふらふらと立ち上がる。

「……ご褒美、ちゃんとくださいね?」

 飼い主はいつだって貴方の方なのに。ご褒美だけ強請って来るんだから、そんなの狡い。