ジェイド・リーチのマリネ




 透き通った白身は新鮮である証。フォークが切り身を掬って、赤く熟れた舌の上に乗せた。指を差し込んだら火傷をしてしまうほどの熱を孕んだ口の中が、魚の肉をひと噛み、ふた噛み。その瞬間、彼女の髪がふわっと揺れる。手で頬を押さえて、溶けるような笑みを浮かべた。

「どうでしょう?」

 僕が分かりきったことを問い掛けると彼女は「美味しい」を何重もの言葉にして返して来た。この酸っぱさが白身に合うとか、コクがあってまろやかだとか。

「酸味はワインヴィネガーで、コクはオリーブオイルです。仕上げに少しのレモンと塩胡椒。そんなに難しい料理じゃないんですよ」

 彼女はラウンジのカウンター越しに告げた僕を見上げ「でも美味しい」と再び笑みを浮かべて二口目を頬張った。魚を切って、調味料を掛けただけ。それだけ。――美味いマリネに必要なのは“新鮮な魚”であることに過ぎない。
 彼女に「この魚、実は二日前に婚約していたんですよ」と告げたら今見せている笑顔は消えるだろうか。現在進行形でまな板の上に乗っているイカは弟を庇って犠牲になったのだと告げたら、椅子から飛び降りてまな板をひっくり返すのだろうか。
 ――優しい彼女のことだから、きっとフォークを置くのだろう。試すまでもなく、答えは直ぐに出た。

 僕は、彼女の舌に乗ることを許された、既に息もない、ただの無機物へと変わった白身魚に嫉妬する。知っていましたか?魚は双葉型の尾鰭を切断されても素早く再生して元通りになるんです。海に潜った人魚の僕を見て「キレイ」と口説いた貴方のことだから皿に乗せられた僕の尾鰭だって「キレイ」と言ってくれるでしょう。

「次の試作品ができたら、またお呼びしても?」

 マリネをぺろりと平らげた少女は嬉しそうに笑って、それから少しだけ恥ずかしそうに「……私で良いんですか?」と吐き出しながら、机の上に置いていた手を摺り合わせる。

「貴方が良いんです。――好きな人にほど、食べて貰いたいですからね」

 魚だって恋をする。然らば、嫉妬の対象に同族が当て嵌まるのは当然だ。貴方の咥内が火傷しそうなほど熱いのか、それとも案外ハマる程度の温もりなのか。あぁ、今から待ちきれないですね。