普段はラウンジに向かう足が、休みの日は大抵軽音部の方に向けられる。扉をノックするのは私だけだと分かって居ても、何となくそうしてしまうのは癖なのだ。中から三つの声が聞こえて扉の隙間からちらりと顔を出す。見知った顔ぶれににほっと息を吐き出しながら思わず浮かべた笑みをそのままにして、私は教室に踏み入れた。
軽音部に入ったのはケイト先輩の勧誘だった。ラウンジのステージに初めて立った次の日に「ね!一年生のヒヨ・ミューズちゃんだよね?」と声を掛けられたのを覚えている。三年生の先輩。明るい髪に、大きめのスマートフォンを手に握りながらニコニコと話し掛けて来たその人は私の警戒なんてなんのその、端末の画面を私に見せながら「昨日のラウンジ行ってたんだよ〜新入生が歌う、って聞いたから思わずアズールくんにお願いしてさ!あ〜動画はダメだって言われちゃったんだけどぉ……ほら!一枚だけおっけーして貰った写真をマジカメに載せたら大反響で〜」などと、正直半分以上は理解できない言葉をツラツラと述べられたからよく覚えている。ケイト先輩への第一印象は「口が擬人化したらこうなるんだろうな……」だった。兎にも角にも、投げ掛けられる言葉にコクン、コクン、と頷くことが精一杯だった私は「良かった〜危うく廃部だったよ〜トホホ……じゃ!入部届けが書けたら部室に持って来てね〜!」と押し付けられた紙を握り締めながら廊下にぽつん、と残されたのだった。斯くして私の軽音部生活は始まった。
「ヒヨ、ドーナツ食うか?ほら。あ!」
「自分で食べれますカリムせんぱ、ッ、ん!……んんん、おいひい……!」
「だろー!?いっぱい持って来たから食え食え!」
「リコリス飴もあるぞ、たんとお食べ」
「カリムくんもリリアちゃんも、ヒヨちゃんのこと孫か何かだと思ってない?」
「孫だとは思ってねーけど、小鳥に餌をやる感覚ではあるな!」
「女の子を育ててみたかったんじゃよ。ほら、可愛いお洋服とか着せてごっこ遊びができるじゃろ?」
「う〜ん総じて酷い」
軽音部、とは言っているが現在のメンバーはたった四人である。そして何より普段から楽器を触っているかと聞かれると――そういうわけでもないのだ。ただこうして放課後に楽しく喋るだけ。それが心地いいので変えようとはしない。入部届けを押し付けられた時は心の底から「終わった」と思ったものだが、ラウンジとは違って怖い先輩も居ないし、セダム先輩のように気さくで優しい先輩方だったので安心した。押しの強さだけはなんとかして欲しいけれども。
「あ、そういえばトレイくんが久々に試食をお願いしたいって言ってたよ〜何タルトだったか忘れちゃったけど」
「ほんとですか!」
「ハーツラビュルだって餌付けしとるじゃないか。やらんぞ、この子はディアソムニアのモノよ」
「いいなぁ、毎朝ヒヨが談話室の外で飛んでるところを想像したら楽しくなってきた!スカラビアに来ないか!?」
「あ、あはは……」
入学したばかりの私が聞いたら、喜んでハーツラビュルの掟を守り通すだろうし、スカラビアで歌え踊れの命令にも従うだろうし、ディアソムニアで忠誠を違うだろうな……と何だか気が遠くなった。彼らだって本気でそう言っているわけじゃないにせよ、なんとなく充実したものが胸の中にぽっと現れる。オクタヴィネルも好きだけど――そう言えるまでにどれくらいの期間が必要だったかは聞かないで欲しい――他の寮の話を聞くのも楽しい。どの寮も個性があるからこそ、だと思う。
「親、……リリア先輩、居ますか」
「ん?どうしたシルバー、入り用か?」
「あぁいや、マレウス様が……」
軽音部に客人が来ることは珍しくない。リドル先輩を宥める為にケイト先輩が呼ばれたり、ジャミル先輩がカリム先輩を引き摺りに来たり、こうしてシルバー先輩がリリアせんぱ、……リリアちゃんのことを呼びに来たり。扉を越しに見えるシルバー先輩の姿をぼうっと眺めているとケイト先輩が私の顔を覗き込んで悪戯に笑う。
「ヒヨちゃんってさぁ、シルバーくんのこと好きだよね」
「すッ、!?やめ、やめてください変なこと言うの!そういうんじゃ、そういうんじゃないです!す、透けるような髪だなぁ、とか、目の色が綺麗だなぁとか!」
「それってすっごい情熱的な告白の言葉じゃないか?」
「カリムくんのいう通りだよ〜目の色が綺麗だから良く見せて〜ってそのまま――キス!」
「滅多なこと言わないでくださいぃ……!」
揶揄われているのは分かっているが、言われれば言われるほど意識をしてしまいそうで私は慌てたようにケイト先輩の口を手で覆った。知らん顔で私の顔をパシャパシャと写真に納めている彼を咎めているとシルバー先輩と話していたリリアちゃんが此方を振り向きながら「なんじゃ騒がしい」と首を傾げる。その瞬間に、パチリと目が合う。誰とって、シルバー先輩とだ。わ、やっぱり目が綺麗。吸い込まれそうな色だ。
「……?」
「あ、や、なん。なんでもないです!」
「ヒヨがシルバーの目を綺麗で好きだってさ!」
「カリム先輩! 黙ってください!」
そういう意味ではないのに、影で告白をしたらバレたような気分だ。大体、私とシルバー先輩は殆ど接点がない。リリアちゃんから良く話を聞いているから、私だけが知ったような気になっているだけで。きっと真っ赤になっているであろう私の顔を見ながら、シルバー先輩は変わらぬ表情のまま「……褒められて悪い気はしない。有難う」と頷いたのだ。え、あ、いや、ちが、ほめ、褒めた――けれど。パクパクと開けて閉じてを繰り返している私の口を見ながらカリム先輩が「ドーナツいるか?」と口に突っ込んできた。ドーナツに付いている砂糖の甘さが、今は舌にこびり付いて離れない。飲めない癖にブラックコーヒーを口に入れたくなるくらいには、甘い。
「……ねぇヒヨちゃん一個聞いていい?」
「ひゃい……」
「シルバーくんへの気持ちってその……恋、じゃあないよね?」
「ち、違いますよ!私が好きなのはジェ、」
「ジェ?」
「……うぁ、なん、でも、ないです」
「あ〜!今のボイス録音してジェイドくんに高く売りつければ良かった〜!」
「お。ヒヨはジェイドが好きなのか?オレも好きだぜ、ジェイドのこと!」
「ななな、何も!言ってな。っう、やだぁ……!もうオクタヴィネルに帰ります……っ」
軽音部は今日も愉快。そこに歌声が響かなくても、楽しい声色が響けばなんでもいいのだ!