白い羽のテラリウム



 今日は普通の平日――であるはずなのだけれど、私の周りを纏う環境だけが少しだけ浮ついていた。廊下を歩けばとある光景を目にし、話が聞こえ、そうしてラウンジの仕事に向かうと普段より大盛況な職場に思わずぽかんと口を開けてしまったのも致し方ないというものだろう。誕生日、というのは即ち人が産声を上げた日である。それを祝う習慣があることを知っているとは言え、こうして自主的に――それも多くの人から祝われているという光景を見るのは中々珍しいことである、と、思う。学園に入学してから二ヶ月ほどの月日が経ったけれど、少なくとも私は初めて見る光景であった。

「ヒヨごめん、着替えたら直ぐにホール出れる!?」
「え、あ、はい!出れます!」
「もぉ〜、あの二人のお陰で大盛況でさぁ……!アズールの目が金に眩んでるよ」
「想像付きますね……」

 既にホールを駆け回っていたセダム先輩に出会うと、トレンチの上にドリンクを数個乗せた彼女が私の肩をトンッと叩いて去って行く。その姿を暫く眺めながら慌てて更衣室に向かった。
 何の日であるのか、私は既に知っている。リーチ先輩とフロイド先輩の誕生日プレゼントを何にするべきかと悩んでいたセダム先輩の世間話や、フロイド先輩から「もう直ぐ誕生日なんだよね〜誕生日なにくれんの?」と既にプレゼントをあげることを当たり前にしてきたフロイド先輩の言葉があったからだ。そもそも誕生日と言えば、露骨に嫌そうな表情を浮かべて人前に出て行くイデアくんを思い浮かべてしまうのであまりピンと来なかったが双方が嬉しいお祭りのようなものらしいということを、私は身を持って知った。
 ホールを覗くと中央では女性陣に囲まれて、商品を運ぶはずである彼らの方が胸いっぱいにプレゼントボックスを受け取っている姿が目に入る。最早トレンチが見えなくなっていることにはツッコまない方が良いだろう。ほう、と息を吐き出して、ようやっと彼らが“人気者”であることを認識する。きっと、私が見ている彼らと、彼女たちが見ている彼らは違うのだろうな、と納得しながらキッチンから怒涛のように聞こえて来る指示を聞いて身体をぴょんと跳ねさせた。そうだ、あの二人がホールに立っているとは言え、今は戦力外。何より彼らのお陰で大盛況なこの状況ではキッチンもホールも手が足りていないのは火を見るよりも明らかだった。

「四番テーブル、持って行きます……!」

 忙しい日になりそうだなぁ、と思いながら、私はただ只管に商品を無事に運ぶことだけを考えなければならない。チラリと、中央に視線を向ければ柔らかい笑みで女性客の対応をしていたリーチ先輩と目が合った。軽く会釈をしたら、ふいと顔を逸らされる。今度は一年生の女の子に声を掛けられたらしい。

「すごいなぁ……」

 こんなに色んな人に誕生日を祝って貰えたらさぞ嬉しいだろうな。ドリンクを運びながら、更衣室に置いて来た誕生日プレゼントのことを考える。うーん、一応用意はしたものの出番はないかもしれない。あんなに貰っていたら逆に迷惑になるだろう。
 普段のクローズより三十分オーバーして店を閉めることになった店内は、主役の二人も含めて全員がヘトヘトになって終わった。かく言う私も、目が回るほどの忙しさにソファでへにゃりと潰れてしまったのは言うまでもない。が、唯一上機嫌な支配人が手を叩いたことでキッチンから大きめのケーキが運ばれる。何も聞かされていたなかった私はリーチ先輩たち同様、目をパチパチと瞬かせてしまった。

「僕の奢りです」
「アズー、そこは奢りじゃなくて“気持ちです”って伝えた方がいいよ」
「……気持ち、です」
「あはぁ、アズールの気持ちでっけ〜!」
「ふふ。本当ですね。これはまた」
「お前たちは良く食べますからね、それの所為ですよ」
「素直じゃないんだからぁ」
「う、煩いですよセダム!」

 そんな微笑ましい四人の会話を聞きながら、バイトの面々はケーキを運び、祝いの言葉を掛けてそそくさと出て行ってしまう。確かにこの空気では、四人にした方がいいだろうな――と思って、私も紛れ込むように歩幅を合わせて更衣室に向かった。人の誕生日をお祝いして、お互いが笑顔になれるってどれだけ幸せなのだろう。此方までそのお裾分けを貰ってしまった気がして、疲労した身体に比例せず、気持ちだけが浮ついていた。

「――ッ、ヒヨ!?」
「わ!え、あ、セダムせんぱ、」
「いやいやいや、何帰ろうとしてるの!?」
「えっ」
「ケーキ食べないの!?」
「えっ……」
「食べるよね!?」
「え……?」

 小声で鼻歌を歌いながら制服に着替えていた私は、ノックもなく開いた扉に飛び上がる。スカートしか履き替えていない状況でセダム先輩が更衣室に入ってきたと思うと、ブラウスを胸の前で抱えた私の肩を掴んで揺らした。ケーキ、……ケーキ。……いやでもあれはリーチ先輩たちのものなんじゃないのだろうか。私が食べることが当たり前、とでも言うようなセダム先輩に困惑していたらシャツを掴まれて着替えさせられた。なぜ。そうして「ケーキ食べようよ〜!ね?」と優しく微笑まれながら腕を引っ張ってくれるから、困惑したままの状態でなんとか鞄を引っ掴んでホールへと逆戻りすることになる。そこには既にケーキを頬張っているフロイド先輩と、誰よりも小さなサイズを前にしている支配人、それから綺麗に切り分けられたケーキの前に鎮座しているリーチ先輩が私を見ていた。

「えっ……、他の人は……?」
「他の人って?」
「……バ、バイトの……他の人たち……」
「気使って帰ったんじゃないかな〜。よくできる子たちだよね」
「まぁ、僕のオクタヴィネルですからそれくらいの空気は読んで貰わなければなりませんね」
「うみどりちゃんは空気読まずに帰ろうとしてたけどぉ?」

 逆に、空気を読んで帰ろうとしたのだけれど――という言葉はなんとか飲み込んだ。セダム先輩に促されるまま、私はリーチ先輩の隣に座らされる。四人の中にどうして私が居るのだろう……。入学式の時だってこんなに緊張していなかったような気がする。

「どうぞ」

 真っ白なお皿の上に、たっぷりの生クリームが掛かったケーキが目の前にコトン、と置かれた。横を見ると、リーチ先輩がにこり、と普段通りの笑みを浮かべている。主役にケーキを切り分けて貰うのってどうなんだろう。軽く会釈をしてからフォークを手にしようとした――ところで。

「あ!」

 私が思い出したように声を上げると、セダム先輩が「なぁに?」と首を傾げ、四人全員の視線が此方に向いた。

「お誕生日おめでとうございます……、で、良いんですよね……?」

 シン、と静まり返る空気。……言葉を間違えたかもしれない。いや、でも、他の人たちに言われていたし。あ、や、でも私が言わない方が良かったのかも。慌ててかき消す言葉を吐き出そうとした私の隣で、誰よりも先にリーチ先輩が「ありがとうございます」と返して来た。

「あ、」
「え〜うみどりちゃんそれ、今言うことぉ?タイミング面白過ぎるでしょ」
「あっはは!ね!?何を言い出すのかな〜と思ったら」

 ――あ、なんだ。良かった。ほっと、息を吐き出した私を見て、ジェイドさんが握り損ねたフォークを差し出して来る。食べろ、ということだろうか。あの大きなケーキが切り分けられて私の前にあるけれど、白い生クリームの上に乗っかったイチゴがキラキラと輝いている。
 フロイド先輩が「立食じゃないのマジで良いよねぇ。こんな感じでケーキ食う方がオレは好き〜」と言い出すので、支配人とセダム先輩が何度か頷きながら「フロイドは特にそうでしょうね」「言われなくても知ってる」と返していた。そんな会話を耳に入れながら、フォークでスポンジを掬って口に放り込んでみる。美味しい。甘い生クリームの中に、甘酸っぱいイチゴ。溢れていくようなふわふわのスポンジ。思わず口をきゅ、と窄めてしまった私をいつの間に見ていたのか、隣から小さく笑い声が漏れる。

「……?」
「あぁ、いえ。すみません。美味しそうに食べるので」
「……美味しいです」
「そうでしょうね、キッチンのメンバーが作ったものでしょうから。何よりアズールの指示です、それはもう、何度か試作品でも作ったんじゃないでしょうか」
「うーん、先輩からは聞いてなかったんですけど」
「……なるほど」
「なるほど……?」
「此方の話です」

 そういえば、鞄の中には彼ら宛てのプレゼント――と言えるのか定かではないものが入っていることを思い出して、ソファの下に置いたそれをチラリと盗み見た。けれど、仕事中にも思っていたように一回では部屋に持って帰れないほどの贈り物をされていた彼らに、私の些細なそれは邪魔になるだけだろうからやっぱり渡さなくて良いかな、と、二口目のケーキを頬張る。
 そんな、イデアくんとオルトくん以外の誕生日に初めて“おめでとう”を送った私は、ただケーキを分け与えられて終わった。これで良かったのだろうか――と考えながら眠りに付いた日だったけれど、そんなこともすっかり忘れた翌日だって、昨日のお祭り騒ぎは何処へやら普段通りの一日が待っている。そんな、一年目の誕生日。


○ ○ ○ ○


 正直、二年目の誕生日だって去年と然程の差はなかったかもしれない。ただ一つだけ言えるのは、あの時に苦しんだ仕事の忙しさも今では少しだけ動けるようになったからか疲労はそこまで残っていない。そして何より変わったと思うのは――そう、ジェイドさんとの関係だった。そういえばリーチ先輩なんて呼んでいたなぁ、と懐かしさすら覚えるほどのそれに苦笑いを浮かべてしまったのも無理はないだろう。

「ヒヨ」

 愛おしく呼ばれた声に意識を覚醒させる。ラウンジで二人の誕生日を祝った際には去年より一人、大好きな先輩の姿が増えていた。笑い声も去年より増して、そうして楽しくケーキを頬張った思い出はきっと忘れることができない。
 全てが終わってから自然とジェイドさんとの小幅を合わせ、私の部屋に、約束をした訳でもないのに向かえたことにほっとしながら座って、普段みたいにシャワーを浴びて、それから部屋着に着替える。

「どうしたんですか?」
「一つ聞いても?」
「答えられることなら……」
「去年の誕生日プレゼント、まだ持ってます?」
「……、……え?」

 電気も消していない状態で寝転んでいたから、私の驚いた表情もくっきり見えているんだろう。ピアスを外したジェイドさんのピアスホールだって良く見えるくらいだ。当たり前かもしれない。ぽかん、と口を開けてしまった私を見て目を細めたジェイドさんが、頬に手を伸ばして来る。

「用意してくれていたんでしょう?プレゼント」
「……なん、なんで知って、」
「なんとなくです。確証はありませんでしたがその反応を見るに事実だったようですね」
「カマ掛けました!?」
「おや、人聞きの悪い。ふふ」

 フロイドがプレゼントを強請っていると知っていたので貴方の性格上、一応用意していたんじゃないかと思っていたというのが事実なんですけれど。という、追記された言葉に眉を顰めた。それならそう思った時に言って欲しい。一年間温められているなんて誰も思わないだろう。

「、捨てちゃいました」
「本当に?」
「……今年のプレゼントだけでは不満ですか?」
「そういうわけではないんですけれど。僕のことが嫌いだった貴方が僕を考えて選んだプレゼントに興味がある、と言いますか」
「き、嫌いじゃなかったです!」
「でも好きではなかったですよね?」
「う、」

 嘘でも違いますと言えば良かった。そう思うのに、もう一度吃ってしまった時点で白状しているようなものだろう。そもそもこの人に嘘が通用するとは思えない。思わず身体を起こした私を追って、ジェイドさんもベッドに腰を掛けた。

「……フロイドさんには普通にお菓子を買いました。自分で食べちゃいましたけど」
「僕には?」
「……、」
「消耗品でしょう。何を買ったんです」
「……本当に何をあげれば良いのか迷って、」
「えぇ」
「……マドル、を、」
「……」
「包みました……」
「……僕をアズールと勘違いしていました?」
「……」
「否定してください」

 流石に、心外だと言うような彼の表情を見て萎縮した。今の自分を思うと、流石にあり得ないだろうと思えるのだけれども、如何せんプレゼントの内容を考えるのにとある人のパーティーを思い出してしまって、お金がプレゼントになるのだと当たり前のように思っていたのだから仕方ないだろう。それにしても渡さなくて良かった。英断だ。一年越しにバレたわけではあるけれど。

「うぅ、でも今年は……!その、ちゃんと、わたしも考えて」
「……えぇ」
「テラリウムの素材、選びに行って……」
「そうですね。マドルからの成長が誇らしいです」

 ジェイドさんの大きな手が私のそれを包んだ。見上げるように顔を覗くと、それはそれは優しい表情を浮かべているものだから、私は思わず喉を鳴らしてしまった。それに気が付いたこの人が、握っていない方の手で喉を撫でて来る。そうすると身体は正直で、きゅう、と、鳥が鳴いた時のような音が喉の奥から出てしまうのだ。

「……誕生日なので、一つ強請っても良いですか?」
「……はい」
「貴方の、……ヒヨの羽。一枚ください」
「……?……良いですけど、どうして……?」

 部屋着の、背中が開いた洋服を撫でるようにジェイドさんがなぞって来る。翼を小さくパタパタと揺らすとそれを宥めようとしたのか優しく撫で付けられた。

「テラリウムに入れようと思って」
「……なる、ほど?」
「ヒヨの羽を貰うのは二回目ですけど、白い羽は初めてですね」
「え……っと、あれ……?あげたことありましたっけ……換羽の時とか……?」
「内緒です」
「えぇ!?」

 誤魔化すように、ジェイドさんが顔を近付けて来た。キスをされるのだと思って目を閉じてみたけれど思っていた感触が降って来ない。薄く目を開けて様子を伺えば、ゼロ距離で彼の瞳と目が合う。

「……いじ、わる」
「そんな僕が好きでしょう?」
「どんなジェイドさんも、好きです」
「……それは良かった」

 ちゅ、と短いリップ音。深いものではなくて、短く何度も降って来るキスに、私はジェイドさんの首におずおずと腕を回す。

「っ……ん、う、ジェイドさん……」
「……えぇ、なんです」
「私に会ってくれて、ありがとう」

 生きていてくれてありがとう。海の中でどれだけいろんなことがあったのか、私には到底想像も付かない。それでも今こうして私の目の前に存在してくれて、出会ってくれて、そして愛してくれてありがとう。
 お誕生日おめでとうございます、なんて、なんだか他人行儀だから今年は言ってあげない。