ACT.3



「ジェイド!」

 数分遅れて到着したセダムが車から飛び出してしゃがみ込むジェイドの傍へ駆け寄った。それに続いてアズール、フロイド、それからメイが続く。雨に打たれるジェイドを心配そうに覗き込んだセダムが「何があったの?」と声を掛ける。

「……何かがあった、のは明白ですね。この様子だと」
「ビル全体が歪んでるもんねぇ……どんだけどでかい魔力使ったらこーなんのさ」
「ヒヨ、ちゃんの、魔法……」

 イグニハイドを見上げながら三人が呆然と口を開けていると、ジェイドが漸く立ち上がった。雨に濡れているだけで外傷はないことを確認し四人はほっと胸を撫で下ろす。

「……帰りましょう」

 ジェイドが濡れた髪をそのままにして車までスタスタと歩き出す。当然、この場に居る全員が耳を疑った。

「な、に言ってんの!?ヒヨは!?」
「イグニハイドに居るんでしょう。……ジェイド、何があったのか言いなさい。これはボスからの命令だ」

 腕を引っ掴んだアズールが言葉に重しを乗せた。切れ長の瞳はどこか虚ろで光がない。――彼、らしくないと、アズールも流石に動揺する。普段冷静沈着で、どちらかと言えば皆を窘める側のジェイドがこのような表情をすることなど滅多にない。いや、アズールはまだ、この長い年月を共にしても見たことがなかった。

「ヒヨはお父様に会ったようで、頬を殴られていました」
「へぇ……お父様、にねぇ?」
「殴る……ッ!?ちょ、私、乗り込んで来る!」
「待ちなさいセダム。最後まで話を聞きましょう」
「……ッ」
「酷く狼狽していましたから、“本当のこと”を聞かされたんでしょう。直接、ご本人から。……そして、余所者と罵っていた僕の手を払いのけてイグニハイドの中に入って行きました。それが全てです」

 ジェイドが、たった一人の少女に拒絶された程度でここまで落ち込むとは流石のアズールも想定外だった。言葉にはしないものの、この男があのヒヨという小鳥に恋慕を抱いているということなど正直な話、当の本人以外は全員気が付いていただろう。どうしたものかと濡れた眼鏡を外そうとしたところで横から華奢な腕が伸びて、ジェイドの胸倉を掴む。

「ちょ、まきがいちゃんどーしたの?」
「……一回拒絶されたくらいで、貴方はヒヨちゃんを諦めるんですか?」

 普段、比較的温厚な彼女が怒りを露わにすることは殆どない。それこそフロイドとの鬼ごっこや、敵への潜入調査を依頼した時はそれなりの感情を出すけれど。プルプルと震えた腕をそのままにしてメイが叫んだ。雨にかき消されないように。

「ヒヨちゃんは――ヒヨちゃんは!貴方に何度拒絶されたっていつも後ろを着いていたのに!貴方の気持ちに微かな期待と恩を感じていたんです!ジェイドさんにどんな想いがあったのかなんて私もヒヨちゃんも知らないけど……っ!こんなのあんまりですよ!私は、私だけでも行きます!」
「お、落ち着いてメイちゃん」

 ヒヨの護衛として一番近くで彼女を見てきたメイだからその表情はよく知っている。傷付いている癖に笑みで隠して「未だだめかぁ、」と寂しそうな声を漏らしていたことも。それから、彼女がジェイドに向ける気持ちも。正直お互い早く素直になれば良いのになぁと思ったことは一度や二度ではないけれど、それでも応援していたんだ。友達として、家族として。
 ぐっと唇を噛み締めたメイの横でセダムが背を撫でる。伺うようにジェイドを見詰めながら。

「まきがいちゃんの言う通りじゃね?今のジェイド、すっげーダッセー」
「……」
「まだ海鳥ちゃんの方が根性あったよ。あんなにジェイドから邪険にされてんのに後ろを雛鳥みたいに着いてんだから。……あの子の気持ち、気付いてたんだろ」
「……」
「ダッセーの。……行こ、まきがいちゃん」
「……うん」

 フロイドに連れられてメイがイグニハイドの入り口に足を向ける。気持ちを落ち着かせたのか、彼女の表情は既に軽やかだ。

「……ジェイド、どうするの」
「……」
「ねぇ。良いの?ヒヨがこのままイグニハイドに連れて行かれちゃって」
「貴方、……勿論最初はオクタヴィネルの為にあのようなことをしたんでしょうけれど。……今はそれだけじゃないですよね。ジェイド・リーチ。……一人の男として、どうしたいんですか?これは……オクタヴィネルのボスではなく貴方の家族として問いています。言いなさい」

 終始無言を貫いていたジェイドの口が僅かに空いた。アズールの隣に立っていたセダムが重い溜息を吐くのが見えた。

「……取り返します。何が何でも」
「あは。それでこそジェイドだよ!」
「えぇ本当に。……早く行きましょう、フロイドを放っておいたら何をするかわからない」

 勢いよく駆け出した三人の濡れ姿を見ながら車の中で待機していたラギー・ブッチが窓を閉めながら笑った。後部座席に座るレオナはまるで興味がないと言いたげに欠伸を零しているが。

「いやぁ、面白いものが見れて良かったっすねぇ」
「なにがだ」
「可愛い子供の成長と、憎らしい敵の弱みが一気に見れたことっすよ。これが見れんなら雨も悪くないっすね」
「……ま、そうだな」

 欠伸を終え、曇りガラスからイグニハイドを眺める男が口角を上げた。

「……お転婆娘が随分どでかい武器を持ってるってことも分かったしなぁ?」

 映像を細かく揺すり続けているかのように動いているイグニハイドのビルを見上げて、レオナが「戻るぞ」とラギーに指示を下す。彼らに教えてやった“地下”の近道の対価はまた今度貰うことにして。