episode.1 脈動



 ――銃声が鳴った。
 
 小さな少年の胸元に風穴が空く。パライバ・ブルーの宝石に似た青い瞳を大きく見開いて、小さな口から大量の血飛沫を吹き出した。ピシャリ、飛んだ血の末端がヒヨの頬に生温い液体として降り掛かる。

「僕を死神だと思いますか?」

 二人とは反対側に倒れた少年の、痙攣した口元を眺める彼女の傍に近寄って、ジェイドが後ろから抱き締めながら耳元で囁いた。

 ♦ ♦ ♦ ♦

 雲ひとつない空の下を歩くヒヨが肩掛けの鞄を肩に掛け、ガラス張りの店に駆け寄る。半歩後ろを追い掛けるメイも歩幅を大きくして同じように近寄ると、マネキンに着せられた洋服の豪華さにほうっと息を吐いてから、店の看板を見上げた。ひくり、と頬を引き攣らせながら自分の視線より幾らか低めの少女を見下ろして、それから腕を掴んで弱々しく引いてみせる。

「……ヒヨちゃん、むり、むり」
「なんで?メイちゃんに似合いそう!」
「た、たか……高いよ。私でも知ってるブランドのお店……」
「でもメイちゃん、給与を全然使わないって聞いたよ」
「誰から!?」
「ジェイドさん」

 にっこりと笑ったヒヨの悪意のなさに、ほとほと溜め息を吐き出しながら、今度は少しだけ力を入れて引っ張る。今の自分には必要ない物だ――きっと、多分。隣を付いて回る誰かがディナーの予約でも入れなければの話であるけれど。
 比較的大人しく店から離れたヒヨが残念そうに口を尖らせながら次の店へと歩みを進めようとしたところで、店と店の間に座り込む少年の姿が目に入った。路地裏、とはいえ、高級ブティックが並ぶ表通りに程近い場所に居るというのに擦れ違う人間は皆して見て見ぬ振りをしているようだった。急に方向転換をしたヒヨの腕を掴んでいたメイが「えっ」と小さく声を上げて、同じように足先を変えた。

「もしもし」
「……」
「聞こえていますか?どこか痛い?頭、それともお腹?あ。私、怪しい人じゃなくて、医学を……そう、医者。お医者さん。えっと、言葉、わかる?」
「えぇぇ……ヒヨちゃん……!?」

 七歳前後の男の子が、ボロ切れのような服を着て体育座りをした足に顔を埋めている。話しかけるとほの暗い瞳がヒヨの方に向いた。

「どこもいたくない。……けど」
「けど?」
「……迷子になっちゃった」
「ご両親と遊びに来たの?じゃあ探して、」
「違う。……家出した」
「……い、イエデ」

 言わんこっちゃない……と言った表情のメイをそろっと見上げると、それでも膝を付けて「名前は?」と聞く。
 迷子の少年は名前を「フェル」だと名乗った。家出かぁ、家出……まぁちょっと反抗したい気持ちがあるのも分からなくはないお年頃。とは言え、一人で生きて行くには難しい年齢の少年を此処に置いて行くこともできない。正しい人間であるならば警察に連れて行くのだろうけれど、仮にもマフィアに属しているヒヨとメイがそこに行くことは叶わないのである。なんとか言葉の誘導で自ら行ってくれないかとも思ったが「家出」をしている少年がそんなことをするわけもなく、道端にスッと蹲って離れなくなってしまった。道行く人が、三人を異端の目で見やる。

「……ようし!じゃあジェラートを食べよう!ね!美味しいジェラートがあるから、そうしたら帰ろ?お姉ちゃんがおうちまで着いてってあげる!」
「ほんと……?」
「ほんとほんと!何味が好き?」
「食べたことない」

 ボロボロのシャツから腕を伸ばした少年が、差し出された手を握った。ヒヨからしてみればオルトと大差ない背丈の少年を弟のようで可哀想――と見るのも、まぁ仕方のないもので。メイは二度目の溜め息を吐きながらも二人の後ろを着いて行く。元々スラムのような出であった自分も、そういえば同じような出会い方をしたっけな……なんて懐かしい思い出に浸りながら。そうすると段々同情が芽生えてしまうもので「お洋服も、買う?」と口に出してしまっていた。パッと表情を明るくしたヒヨが「子供服のお店に入るのは初めてだね!」とポジティブな考えで頷く。
 話の通りジェラートを食べ、服を新調し、様々な話を交わした双方に嘘の話はない。ヒヨとメイが船の上で生活していることを告げると「行きたい!海に行ったことがないんだ!」と目をキラキラさせながら身体を乗り上げて来たので「帰る約束は……?」と聞くとにっこり笑われた。意外とできる子、であることに冷や汗をかきながら、渋々「船を見たら帰るからね……!?」とだけ告げて。
 そんなこんなで、帰りのバイクは三人乗りになってしまった。今更三人乗りは交通違反になってしまうなどと言うつもりはない。ないけれど、ヒヨの膝の上に座り、メイの腰に腕を伸ばす少年の袖口が風で揺れて素肌を露出させた際に見えた痣の痕跡には思わず眉を顰めてしまう。家出の理由が、そこで全て分かってしまったのだ。あぁ、これが猫の拾い物だったらどんなに良かっただろう。返せと言われたら元の場所に戻したり、はたまた新しい飼い主を見付けてやれただろうに。これが人間の少年となると難しい。

「で、拾って来た、と」
「……直ぐ帰すつもりだったんです……でも、あの、アレを見ちゃうと……」
「分かってます?これは立派な“誘拐”ですよ」
「うっ、」
「まきがいちゃんもねぇ?」
「……ごめんなさい」

 バイクを降りて、まず出迎えたのがジェイドだった。ヒヨの手を握る少年を一瞥してから、笑みを消した彼がメイの方を見やる。やむを得なかったんです……と表情で訴える彼女を察しながら「取り敢えず会議室で話を聞きます。メイさんはフロイドとアズール、それからセダムも連れて来てください」と指示を出して、ヒヨの手を握る少年の指を解いた。メイの呼び掛けで集められた三人が欠伸を零しながら会議室に入ると、セダムが「え〜かわい〜どこの子?」と早々に駆け寄って、直ぐに名前を聞き出していた。今は窓の外に映る魚の動きを二人で追っている。その姿を見つめながら、ヒヨが弱々しく提案する。

「家まで一緒に帰って、ご両親にお話を聞く、とか?」
「マフィアが一般家庭の教育に説教ですか。なるほどなるほど」
「うっ、……アズールさんのお考えをお聞き、したく…… 」
「捨ててきなさい。以上です」
「ね、猫じゃないんですからぁ……!」

 言われるような気はしていたけど、という言葉を転がして飲み込んだ。ただ、彼の言い分が間違っている訳ではない。マフィアのボスとして、大勢の人間の命を預かる彼としては少しの危険分子も排除したい気持ちがあるのだろうし、それよりもあの小さな彼をこちら側の世界へ巻き込みたくないのもあるのだろう。決して酷いことを言っている訳ではない。それは分かってるけれど。

「仕方ないですね……僕が彼の実家を捜索して、それから児童相談所に無名義で連絡を入れておきましょう」
「ジェイドさん……!」

 ぱっと表情を明るくしたヒヨとメイがそれは良いと何度も頷く。ここで出会ったのも何かの縁。まだ自分の足で歩けない子供を擁護するのは大人の務めなのである。
 そんな、話が落ち着きそうになったところで、セダムと魚を追っかけていたフェイが、トトト……と近寄った。「ヒヨちゃん」とスカートの裾を引っ張って来るから「なあに?」と返すと「もう帰るよ」と言ったのだ。

「えっ!?帰る、帰るっておうちに!?」
「うん。海も見れたし。そういう約束だったでしょ?」
「え、え、でも……フェイくん、おうちに帰りたくないんじゃ……?」

 メイも慌ててフェイの顔を覗き込んだ。それに対してフロイドがソファの背もたれを存分に使いながら「帰るって言ってるんだしそれでいーじゃん」と横入りをする。セダムがアズールの肘掛に腰掛けて「えーでも可哀想」と口を尖らせた。

「……まぁ、彼が家を教えてくれると言うのなら明日にでも役所に電話を入れれば良いでしょう」
「そう、ですけど……それだと発見が遅くなっちゃうし……」
「うちは慈善団体じゃないんですよ。分かってます?」
「…………はい」

 ヒヨもヒヨで預かられている身であるし、ここは彼より上に立つのが難しい。メイも同じくである。そもそも、二人が食って掛かったとしてもジェイドの口先に勝てる訳もないのだ。

「じゃあ、僕はフェイさんを家まで送って来ますから――」
「え!私も行きます!」
「わ、わたしも」
「え〜まきがいちゃんが行くならオレも行く〜」
「皆が行くなら私たちも行こうよ、ね。良いでしょアズール」
「……まぁ、大きめの仕事は昨日終わりましたしね。他の者に任せましょう」

 大きな話になってしまった……と思いながら、スカートの裾を握るフェイの顔を見下ろすと彼がにっこりと笑うので苦い笑みを返した。後ほど、彼が帰った後はお説教だろうな……などと思いながら、それでも比較的家探しに協力的な面々を見ていると優しさにふわっと胸が温かくなる。これが他のマフィアであったのなら、問答無用で冷たく暗いあの路地裏に放り出されていたことだろう。
 黒塗りの車が止まり、中に潜り込んだ。七人が座ってもゆとりのある大きさに改めて感動しながら、フェイの道案内で車が進む。ジェイドが運転席に座りながらバックミラー越しにフェイの姿を見た。助手席に座るヒヨがその視線に気が付いて首を傾げる。後ろではしりとりで盛り上がっているようだが、決着が着くよりも先にフロイドが飽き性を発揮するのが先だろう。しりとりの最中に「フロイドさんとジェイドさんって、本当に双子なの?」という問い掛けが聞こえる。「それ、なにか問題ある?」と面倒くさそうに答えるフロイドに対して「気になるだけ」と返すフェイへ暫くの沈黙を浮かべてから「双子つーか相棒って言うか。ま、難しいトコ」と言葉を述べたので子供相手に強い言葉を使うのではとヒヤヒヤしていたメイもほっと胸を撫で下ろした。

「どこで拾ったんでしたっけ。彼」
「45番街と46番街の間にある4丁目の路地裏です。ほら、あの、アズールさんがよく着てるブランド店の近く」
「なるほど」
「何か、ありました?」
「いいえ。子供は良く動くなと」
「……そう、ですね?」

 ただ迷子の子供を送り届けて、それから直ぐに帰るつもりだ。……そう、普通の、ただの、送迎。それに違いないのになんだかソワソワして落ち着かない。そんなヒヨの様子を一瞥しながら、ジェイドが一行に声を掛けた。

「さ、もう直ぐ着きますよ」