episode.3 死者



 フェイに連れ去られたヒヨを追うジェイドとフロイドが居なくなってから間もなく。残された三人は一度車に戻り、荷台に積まれた武器を担ぎながら施設の裏口までやってきた。「真っ正面から突入するなんて頭が悪い」と言う自論を掲げたボスの言葉にセダムとメイは黙りを決めながら拳銃の安全装置を外す。
 その間にアズールは端末を操作してとある人物に電話を掛けていた。セダムが裏口の扉をそうっと開けるが、中には閑散としているようでシンと静まり返っている。

『ゲシュペンスト施設……ですか?』
「そう言っていました」
『聞いたことのない施設ですが……。……待ってください、また何か巻き込まれているんじゃないですよね?うち、情報屋なんですよ』
「八割くらいは貴方の友人が原因ですけれどね」
『……今度会ったら、拾い食いはしないようお伝えしておきます』
「えぇ、助かります。本当に」

 なるべく声を潜ませているけれど、相変わらず人の気配はない。セダムと先頭を歩いているメイが「誰も居ないですね……」と不思議そうに声を出した。ポムフィオーレの情報屋とやり取りをしているアズールも片耳で微かな音も聞き逃さないようにしていたけれど周囲に動きはなさそうだ。

 まさか、ヒヨと拾った少年があんなことをしでかすとは思わず、メイは人知れず肩を落とした。できれば自分が解決したい気持ちもある。きっと、ヒヨも同じものを持っているだろう。そんな彼女の肩をポンポン、と叩いたセダムが「アズーはあんなこと言ってたけど、慈善活動も大事だよー?住民の信頼は得られるし、気持ちは良いし。今回は運が悪かったかもしれないけど神様は見てるよ。絶対」ね?と笑いながら首を傾げるセダムの仕草にじん、と胸を打たれながらコクンと頷いたメイが拳銃を構え直す。

『応援は必要ですか?』
「既に貴方の友人は何処かしらを負傷し、ジェイドも手負いなのは確定しています。お願いできるなら助かりますが」
『なんですかそれ!素直に必要だと言ってください!調べて直ぐに折り返しますから……!』
「……ふふ、ヒヨは良い友人を持ちましたね」

 切れたスマートフォンの画面を眺めながら、さてと呟いて二人の首根っこを掴む。ぐんと引っ張られた二人が鈍い声を出しながらアズールを振り返った。

「闇雲に動くなんて敵の思う壺です。優秀な情報屋の返答を待ちましょう」

 ♦ ♦ ♦ ♦

 狂ったように追い掛けてくるのは、なんと小学生に上がったばかりの少年である。愛らしい顔をしているが、その腕っ節から放たれる力は遠慮を知らない――いいや、それを遥かに超越した力が発される。一発食らえば今いる一階から三階のデッキまでは余裕で飛んでしまうだろう。そんな馬鹿力を発揮させといてきゃっきゃと楽しそうに声を上げている様子。それが逆に悍ましくジェイドの背筋に冷たいものを走らせる。
 愛銃であるコルトパイソンから鉄の塊を打ち出した。フェイはそれをひょいと翻しながらジェイドに殴打を送る。

「っ、く――!」
「ジェイド!」
「ジェイドさん……! あぁ、フロ、フロイドさん! やっぱり逃げてください!」
「んなこと言ったって、うみどりちゃん置いてジェイドが逃げてくれるわけねーだろッ」
「じゃあ引っ張ってってください!」
「此奴の動きが止まるならもうやってるっつーの! あと、普通に腹立つから今殺す」
「絶対ぜったい、そんなこと言ってる場合じゃないです……!」

 殴打を構えの姿勢で受け止めたジェイドが壁に叩き付けられる寸前、フロイドが腕をぐんと引いて彼への衝撃を和らげた。そのまま二人、フェイを囲むように二手に別れる。こうなれば何方かの相手をさせている間に、もう一方がトドメを刺すしかないかもしれない。チッ、と舌打ちを打ったのはジェイドとフロイド、何方だったのだろう。フロイドが助走を付けて壁を走り、そのままフェイに向かって飛びかかった。フェイが振り下ろした剛腕《ごうわん》を、フロイドは身体を翻して躱し、後ろ向きに抱え込む。そのまま身を捻るように回転させて、前のめりになる勢いを利用しながら――背負い投げの要領でフェイの小さな身体を床に叩きつける。施設の床がと重く揺れた気さえするほどの威力だ。
 その隙を見逃さず拳銃を打ち込んだジェイドを左目で捉えたフェイが自由になっている足をフロイドの額に向けて蹴り上げた。

「っ、はぁ!? どんな運動神経して、」
「フロイド!」
「ッ――!」

 二回目。今度はフロイドが壁に衝突する。ジェイドが反対側に居たのもあって助太刀が出来ないで居た。ずるずると落ちたフロイドの頭が垂れているのを見てヒヨが檻越しに名を呼ぶ。脳震盪だろうか、軽く意識を飛ばしている。
 駄目だ。見てられない。緊張とストレスで呼吸を浅くするヒヨは肋骨を折ったことなどとっくに忘れている。それから、何かできないかと自分のポケットを漁った。あった。端末。壁にぶつかった衝撃で画面が割れているけれど電源は入る。慌ててアズールに掛けようとして――やめた。もし彼らも同じく施設に入って居るとしたら何処かに隠れているかもしれない。このような状況だからこそ冷静に判断をすることが大事だ。もし、一度しか電話できないとしたら?誰に掛ければ良い。誰に――。

『もしもし〜? どうしたでござるか?』
「おに、ちゃ、助けて。助けて……ッ」
『……ヒヨ。簡潔に、端的に、伝えて。できる?」
「んっ……。……ゲシュペンスト研究所って、調べられる? 今、そこに居て、ジェイドさんとフロイドさんが、」
「っ、ぐ、ぁ……!」
「ジェイドさん! ッあ、あ、どうしよう。ジェイドさん、ジェイドさん! 聞こえてますか!?」
「……っ、えぇ……聴覚はしっかりしてますよ……!」

 ヒヨが震える手で電話を掛けた先はイデアだ。耳元からは既にカタカタとキーボードを叩く音が聞こえている。仕事が早いというか、受け入れるのが早い。流石はマフィアのボスとも言える。
 片耳でイデアと電話を繋げながらジェイドとフェイの戦闘を目に入れていたヒヨが二階の柵に腹を打ち付けたジェイドの名を呼んだ。眉を顰めてからそのまま柵の上に登り空中戦が開始されている。ヒヨの叫び声でフロイドの髪が微かに揺れ動いた。

『――ヒヨ、本当にゲシュペンスト研究所って言ってた?』
「フェイくんは、確かに、」
『ゲシュペンスト解析研究所は二十年前に焼け野原になってるはず』
「……へ?」

 まさか、そんな筈がない。フェイが嘘を付いているなら兎も角、確かに自分はそこに居るのだ。森の中に佇む真っ白な城。

『森の中にある、白い外装の施設?』
「っ、そう! 入り口を入って廊下を進むと扉があって、そこを開けると吹き抜けがある広い場所に出るの……10階くらいまでありそうで、階段と、落ちないように柵が設置されてることしか見えない……あと、天井に檻が設置されてて……」
『フェイ・トイ。実験体番号666。ゲシュペンスト解析研究所を運営していたファレナー・トイ教授の実の息子であり、死亡時の年齢は7歳とされている。――実験の内容は、大幅な運動能力の増加と精神異常の抑制』
「……死亡時?」

 どういうこと?私の目の前にはその彼が居るのに?

 今一度、小さな少年を見やる。イデアが「過去の論文がロック掛かってる……あ゛ー国の閲覧規制か。ちっ……面倒でござるな……」と歯軋りをしながら相変わらず凄まじい勢いでキーボードを鳴らした。
 ヒヨは端末を耳元に掲げながらフェイに向かって呟く。

「……実験体番号、666」

 ジェイドの頭に向かっていた脚がぴたりと止んだ。ジェイドと、フェイの視線がヒヨに向けられる。

「貴方、だれ?」

 そう呟いたヒヨの元に、床を滑っていたジェイドの愛銃をサッと拾い上げながら15メートルはあるであろう距離を三歩で詰めて来たフェイが近寄って銃を構えた。
 空気がピリ、と凍り付く。檻の間から拳銃を差し込んだフェイが表情に色を消してヒヨの額にそれをくっ付ける。

「――その名前で呼ぶな」

 銃声が鳴り響いた。ヒヨの手から端末が滑り落ちていく。くるくると滑って檻の間を抜けた。

「ねーぇ。なに余所見してんのぉ?……こっち見ろよ」

 短い気絶から復活したフロイドが、頭から血を流してヒヨとフェイの間に入った。天井に向かって撃たれたコルトパイソンの銃先は灰色の煙を出している。くるりと宙を舞った拳銃を奪い取ったのはフェイだ。フロイドの右目が微かに歪んだ。あと数ミリの差だった。

「余所見? してないよ。……三人同時に相手しようとしただけでしょ」
「はっ、すっげぇ余裕じゃん! もしかしてオレたち――なめられてる?」
「うん、なめてる」

 いい終わる前にフロイドの蹴りがフェイの顔面に当たった。壁を粉砕しかねない勢いで吹っ飛んで行った少年の身体は、そのまま壁を蹴り上げて飛び上がる。

「マジで化けもん」
「同意します」

 ヒヨの檻の前に立ったフロイドの横まで駆けて来たジェイドが中に居る少女を一瞥した。それと当時にフェイが二人に向かって飛び掛かる。それを見逃さず、フロイドがフェイの右腕を力任せに引き千切った――そしてそのまま、此方に向けられた口の中に突っ込んでやる。流石にこの光景を目の前で見たヒヨは目を見開いて、飛び散る血と肉の残滓が辺りに飛び散ったのを目で追うことだけで精一杯だった。脳の処理が追い付かない。
 ――目の前の光景より異常なのは、口の中に突っ込まれた自分の腕を咀嚼してしまうフェイの狂気性だったが。

「それだけ?」

 煽るような声を発したフェイの左腕を掴んで愛銃であるコルトパイソンを引き抜こうとしたジェイドは稚児のおもちゃでもあるような感覚で撃たれるそれから身を翻す。標準を僅かに逸らすだけでも相当な力を要する。正真正銘の化け物だ。

「片方殺すならぁ――ジェイドくんにしよう、かな?」

 片腕を失ったことを物ともせず、ジェイドへ向けた拳銃を――

「ジェイドォ!」

 ヒヨに向けたフェイ。

 それを見た瞬間、コンマ一秒でジェイドが自分の身体を間に滑り込ませた。鼓膜を劈くような銃声、衝撃、血飛沫。ヒヨは目の前に浮かぶそれを見て思わず手を伸ばす。届くはずなどないのに。

「ジェイドさん!いや、いやァ……!」
「ちぇ。腕かぁ」
「ッて、めぇ、ぜってぇ殺す……!!」
「っく、はっ……」

 ジェイドが左腕を庇い、右腕で檻を握りながらヒヨの前に影を落とす。はくはくと口を開きながら「しけつ、しないと、ジェイドさん、」と告げつつ、己の着ていたカーディガンを震える手で脱いで彼の左腕に押し当てた。ぼたぼたと床に垂れる鮮血の量から掠っただけではないことを表している。

「……じぇいどさん、逃げてください。お願いします……!」
「いや、ですよ。……ほら、心臓を、撃ち抜かれたわけでは――ないですから。ね?」

 やけに甘い声色が、その時だけは胸に響いて鼻の奥をツンとさせる。檻の間から無事を確かめるように伸びて来た右腕を握り返しながら、ヒヨはきゅっと目を瞑って、それから一人でフェイと対峙していたフロイドに向かって大声を上げた。

「フロイドさん!! ジェイドさんを連れて逃げてください!」
「っ、だからぁ! ムリだっつってんだろ!」
「良いから! 早く!」
「はぁ!? ――っあ゛ー! ほんっとにウゼェ!」

 後退してきたフロイドがジェイドの右腕を自分の肩に掛けて相棒の身体を背負った。ジェイドが「フロイド、やめなさい……!」ともがく姿があるが、手負いの彼を押さえ付けて引きずるくらい、あの化け物を相手にすることを考えると造作もなかった。

「え。何してるの? 行かせないよ」

 フェイが檻まで近付いて来たことを良いことにヒヨはもう一度実験体の名を呼んだ。

「実験番号666!やめて!」
「……――だからさぁ、僕、その名前で呼ぶなって――言ったよね?」

 意識が逸れる。その瞬間を見てフロイドがジェイドを引きずって近場の扉を蹴破った。檻の間から差し込まれるコルトパイソンと対峙しながら、ヒヨが彼の腕を掴んで、それから。

 拳銃が撃たれるのと同時に注射器を差し込んだ。