「高校を卒業したんだから、あんたの喪服作らないとね」
高校の卒業式から数日たったある日、母が事もなく口にした。一人暮らしを始めるために荷造りをしている最中のことであった。
中学生のときに第一次侵攻が起きて、それから数年散々色んな人の通夜葬式火葬墓参りに行った。棺桶の蓋が閉じられたものばかりであったが、棺桶すらなかったものもあった。新品な墓だけ輝き中身はからっぽ、ということもあった。どのお葬式でも人々は泣き悲しみ、あるいは故人が死んだことを受け入れられない人がいたりした。
中高では制服での参列であったが、そうか大学では制服がないから喪服を用意せねばならない。侵攻がらみのものもあるが、うちは母方の両親が健在であるからまだこれから着る機会もあるし。
母親が着る見慣れた真っ黒いワンピースとボレロ。三門市のデパートやショッピングモールではリクルートスーツとセットでよく売られていた。それは三門市全体で葬儀を行うのはよくあることなのだという事実を静かに、だが確かに主張していた。
それから一年が経って、喪服はクローゼットの中で買った時のビニールを被ったまま、奥深くに仕舞われ存在を忘れ始めた頃、1人の後輩が亡くなった。
「この喪服で出る初めての葬式が後輩のだなんて思ってもなかった」なんて詭弁だ。三門市は戦争状態であるのに。
葬式は苦手だ。会場に染み付いた死の匂い、参列者の涙の音、痣のようにどす黒いフィルターが掛かったような空気。葬式の作法は完璧であるという自負はあれど、この陰惨な悲しみには何度参加しても慣れない。特にそれが知り合いのものともなれば。
本当は佐鳥に来させて、私が任務に出るつもりであった。あの子の方が彼女と仲が良かった。同い年であるというのもそうだし、今は違うが狙撃手の最初期のメンバーとしてずっと一緒にやってきたから、最期のお別れぐらいしたらどうかと思ったのだ。だが佐鳥の顔を見たらそんなこと言えなかった。強がりを言う子供には、今は好きなだけ強がらせてやろう。現実はあとから嫌という程追いついて来るのだ。
焼香を済ませ一礼をし、彼女の遺影を見る。澄ました顔だ。高校の入学式で撮ったものらしい。表情があまり顔に出ない子であったが、この時ばかりははしゃいでいたのか両手でピースサインをしている。スンとした顔とのミスマッチさが、殊更事故死である悲惨さを強調していた。
あなたとのお別れで、こんなにもたくさんの人が泣いているんだよ。手の中で実家から借りた焦げ茶の数珠が鳴った。
「東さん、今日残ってっていいですか」
狙撃訓練場は特に鍵をかけて施錠したりだとかの管理はしていない。ボーダーの隊員であれば誰でもいつでも利用可能だ。私が深夜まで残ってやっていく場合、東春秋にひとこと声をかけるのは、私たち二人の暗黙の了解だった。
東さんは報告書から目を離すこともなく、分かった。とだけ言って、冷めて美味しくないコーヒーを飲み干した。この人も何徹目なんだろう。熱いコーヒーを入れ直すため、私はカップを持って立ち上がった。
気付けば彼女が亡くなってから何週間も経っていた。引き金を引く、命中。死の匂いも涙の音もどす黒いフィルターも記憶に薄れて消えたと言うのに、あの棺だけがまぶたの裏にこびりついて離れない。引き金を引く、命中。
蓋が開くことは無い棺、花を入れることも声をかけてやることもできなかった。引き金を引く、命中。
死んだ人間はどこにも行かない。サラサラの乾いた灰白色になって、埋められて、おしまい。おしまいでは、なかったのか?引き金を引く、命中。
ボーダーは通常通り、正常に機能している。引き金を引く、命中。悲しむ者も悼む者も何も思わない者も、いつも通りの日常がやってきて、任務をして、ランク戦をして、ご飯を食べて寝て起きて、生きていくのだ。引き金を引く、命中。
彼女を、あの日に置いて。
引き金を引く、命中。
ボーダーには年若い少年少女達が大半を占める。彼らは若さゆえの感受性の豊かさでもって、悲しみに暮れる者もいればなんでもないフリをしている者もいる。引き金を引く、命中。好き勝手に噂を流していた人間と喧嘩になった、という話も聞いた。引き金を引く、命中。
そう彼らはまだ若いのだ。人の死に鈍感になれない子らは戸惑いながら日常に戻らねばならない。任務は彼らの大きな負担になるだろう。引き金を引く、命中。
その負担を軽くするのは年長者の責務であるし、慣れている者の役割でもあった。引き金を引く、命中。
三門市は、4年前の第一次侵攻からずっと、戦争状態にある。(でも彼女は、戦争とは関係の無いところで死んだんだよ。)……皮肉にもね。引き金を引く、命中。
そろそろトリオンも尽きるだろうその時、時間にして午前五時二十分。左側の視界の端で、長い髪が揺れているのが見えた。引き金を引く、穴は的の真ん中からかなりズレた箇所に空いた。
「……、そんな」
イーグレットが腕からこぼれ床に落ちた音が、私以外誰もいないはずの訓練場に大袈裟に響く。迅悠一とお揃いの隊服を着た、死んだはずの彼女が、隣のブースに立っている。澄ました顔は、あの時見た遺影と全く同じで、自然と息がつまる。人は死んだら、おしまいなのだ。ならばこれは、幻覚だ。そうに決まっている。彼女は死んだ。死んだのだ。こんなところにいるわけが無い。
目を一度閉じて、またゆっくり開けると彼女はもうそこにはいなかった。
「……あー…………、せっかく化けて出たんだから、何か言って欲しかったなあ」
幽霊が出るのはこの世に未練があるからと言うけれど、遺された人間が故人を見るのは、逝ってしまった人に未練があるからなのかな。なにか言葉を発するどころか笑いすらしなかった、すぐ消えていった幻覚を見て、ああもう少し話をするんだったな、とか、彼女の好物をもっと一緒に食べるんだった、とか、自分の中に残る未練がこぼれて、それで、そこで私は、ようやく、私自身、彼女を思いのほかすきだったことに気付いたのだった。
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