赤とんぼ
絵の具の赤が無くなった。
ぼくは赤が好きじゃない。
でも、今日の絵の宿題は、身近にある赤いものを描いて来いということだったから、仕方なく赤を使うことにした。
赤は嫌いだから、どの色よりもたくさん残っていた。
でも、今日の宿題で、どの色よりも先に無くなってしまった。
赤が嫌いなぼくにとって、赤が無くなるのは別に構わないけど、でも、ぼくの画用紙いっぱいに赤いものが描かれているのは不愉快で不愉快でたまらない。
いますぐ破いてしまいたい。
ちょっと汚れたパレットも、毛先が飛び散っている絵筆も、何度も水を取り替えたバケツも、どれもが赤一色だった。
ぼくは、画用紙を目の前の夕焼けに掲げ、見比べてみた。
ぼくは夕焼け空を描いたんだ。
濃い赤から、薄い赤。
時間が経つにつれ、どんどん変わる赤を、ぼくは再現したかったんだ。
嫌いな赤が、こんなに変化するなんて思ってなかった。
画用紙の角に、ふいに停まるものがあった。
とんぼだった。
こいつも赤だった。
こいつも描き足してやろうかと思ったけど、もう赤は無いんだった。
「ばーか、お前なんか描いてやんないよ!」
とんぼが停まってるすぐ下を指で弾いて、とんぼを追い払う。
「あら、描かないの? せっかく君の赤を気に入って飛んできてくれたのに」
ふいに柔らかい声がした。
夕焼けの赤に染まる長い髪が、ぼくの顔の前に流れてきた。
「綺麗な赤ね。どうせなら、さっきの赤とんぼも描いてあげたらどう? わたしはそっちのほうが好きかな」
髪の長いお姉さんが、ぼくの絵を見ていた。
知らない人だった。
綺麗な人だった。
「とんぼ? 描いてやってもいいけど、もう赤の絵の具が無いんだ」
「あら、そうなの?」
お姉さんは髪を耳にかけながら、ぼくの隣に座った。
「だから、描いてやんない!」
「だったら、わたしの赤をあげる」
お姉さんは、ぼくの手に赤い絵の具を握らせた。
「お姉さんは要らないの?」
「わたしは描かないから」
「ふうん。じゃあ、お姉さんのために描いてあげる、赤とんぼ」
「そう? ありがとう。じゃあ、わたしはお礼に歌を歌ってあげるわね」
「歌?」
「そう。歌」
そう微笑んで、お姉さんは良く通る声で歌い始めた。
夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
ぼくにはその歌の名前が判らなかった。
でも、いまは判らなくてもいいと思った。
いまは、お姉さんのために赤とんぼを描こう。
「できた!」
夕焼けの絵に、いくつか飛ぶ赤とんぼ。
お姉さんのくれた赤は、ぴったりの色だった。
お姉さんのおかげで、すこしだけ赤が好きになれた。
「ねぇ、見て!」
隣に画用紙を差し出すと、もうお姉さんの姿は消えていた。
描くことに夢中になって、お姉さんがいつ居なくなったのか判らなかった。
「ねぇ‥‥お姉さんのために、描いたのに‥‥歌の名前も、知りたかったのに‥‥」
画用紙の夕焼けの中を飛ぶ赤とんぼの上に、ぼくの涙がひとつぶ落ちた。
鮮やかな赤とんぼが、滲んで飛んだ。
了
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意図的パンダ