この山には双子の天狗の伝説がある。
天狗とは日本古来より伝わる伝説の妖怪。大概のイメージとしては赤い顔に高い鼻、山伏といわれる山で修行する者の格好、大きな翼。中には烏のような鋭い嘴を持つ種類、言わば烏天狗というものを想像することもあるだろう。

この双子の天狗様は元々は人間だった。
だがとある神様に魅入られ、天狗になってしまったのだ。いや、自ら天狗になったとも言われている。

もし妖(あやかし)が見える者なら天狗様に会えるだろう。もし会いたいなら山の中心にある祠へ行ってごらん。ただし――……

そこで老婆の話は途切れた。就寝時間になったそうだ。
引率の先生たちはそれぞれの部屋に戻れ、とおれたち生徒に指示を出す。

「天狗なんていねぇだろ。」

そう隣でボヤくおそ松に対し、一松は興味を持っていた。

「妖怪っているのかな……。」
「一松はそういうの信じる派だもんなー。トド松とは別の意味で。」

ケタケタと笑うおそ松に対し、どこかソワソワとしていた一松。その日は早く眠りについた。


これは中学時代、冬の林間学校で不思議な体験をした松野家の長男と四男の話である。

次の日、山の中を散策していいとの事で
おそ松と一松は山の中にある祠を目指した。

「俺はカリスマレジェンドだから妖怪とか見えるもんなー。」と語りはじめたのはこの頃からだろう。一松は単なる興味で慣れない山登りに着いていく。整備された道を歩いていく。恐らく参拝者がいるのだろう。雪が積もっていたが今朝降ったのか新雪で柔らかかった。

「転ぶなよー、一松。」
「うん、大丈夫。」

先を歩くおそ松は時々振り返り弟を心配する。山の中の気温は宿泊施設よりも低く、吐く息は真っ白で、だんだんと体温を奪っていく。

「あっ」とおそ松が呟く。指を指した先には小さな祠があった。

「これが天狗の祠?」
「ん?でもこの絵……狐みたいだけど。」

近寄り祠に覗き込むと祠の中にある石像は確かに一対だった。しかしそれは天狗というよりも狐の形をしていたのだ。

シャン――……シャン――……

ふと聞こえた音に2人は耳を疑う。鈴とは違う、金属の擦れ合う音。

「聞こえた?」
「聞こえた。」

2人は顔を見合わせ辺りを見回す。

「立ち去れ。」

背後から聞こえた声に2人はビクッと肩を震わせた。そして振り向くとそこには赤い顔の天狗の仮面を付けた男が立っていた。

「な、なんだよ……驚かせるなよ……。」
「去れ。」

男はもう1度言う。
一松は違和感を覚えた。
山伏の格好、それに高い下駄、一瞬天狗だと思ったが仮面に違和感を覚えた。

「……アンタは、」

一松は誰、と問いただそうとした瞬間、すっと懐から羽団扇を取り出してぶんと思いっきり扇げば、吹雪が起きたように
雪が舞い上がり、風と共に2人は吹き飛ばされた。

吹き飛ばされたその中で微かに見えたのは仮面を外したその下の顔が、彼らの兄弟であるチョロ松にそっくりだった事だった。

ズボッと雪の上に落ちれば2人は意識を取り戻した。

「いってぇ……。」
「兄さん、帰ろう……。」
「帰ろうつってもよ、道が分かんねぇだろ……。」

2人は目印のない林の中にいた。さっきの天狗に吹き飛ばされたせいかどこにいるのかさっぱりだ。

「……でも天狗っていたんだね。」

「あぁ、いるぞ。」

ふと目の前に現れた黒い影は低い声の主なのだろう。大きく黒い翼を持つそれは先程の男とは違い黒い嘴を付けていた。言わば烏天狗というものだろう。

「……マジかよ。」

もう大して驚きはしない。おそ松は苦笑いを浮かべて烏天狗を見つめた。

「少年たち、もうここへは来ない方がいい。あいつは手厳しいからな。」
「あいつ……?さっきの天狗のこと?」

一松が問えば烏天狗は頷く。

「あの祠の中を見ただろう?あれはオレたちが守る狐の兄弟だ。」

その話を聞いた瞬間、老婆の話を思い出す。

――この双子の天狗様は元々は人間だった。
だがとある神様に魅入られ、天狗になってしまったのだ。いや、自ら天狗になったとも言われている。――

「お前たちは……そっくりだな。」

柔らかく微笑む烏天狗の眼差しはまるで愛しいものを見るようなものだった。

「さぁ、山の雪も溶け出して危険だ。オレがいいと言うまで絶対に目を開けちゃダメだ。」

烏天狗の言う通りに目を閉じればすうっと風が吹き抜けた。

いいぞ

まるで耳元で囁かれたような細々とした声を聞くと同時に目の前には宿泊施設があった。
無事に帰ってきたのだ。

夢か現実かわからない不思議な体験を2人は誰にも話すことはなかった。



「……似ていても違うんだ。」

静かな山の中、祠の前に立つ緑の天狗は小さく呟いた。

「あいつらは"良い子"だった。祠を壊さなかった。」
「その前に僕らが追い払ったけどね。」



『もし妖(あやかし)が見える者なら天狗様に会えるだろう。もし会いたいなら山の中心にある祠へ行ってごらん。ただし……

祠を汚したり、壊したりしたら神隠しに遭うから気をつけな』
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