クガネの望海楼の一室に光の戦士と呼ばれたツバキとその付き添い人であるゼフィランは同じ部屋で寝ていた。
東方風の寝床は畳の上に布団を敷くスタイルで、ベッドに慣れ親しんでいたゼフィランにとって違和感でしかなかったのだが、身体を休める以上慣れないなりに横になっていた。
元々東方の出身であるツバキは既にすやすやと眠っている。そもそもツバキ自身がどこでも寝れる体質なのだが。
そんな彼女の寝顔を見ると再び天井に視線を移し瞼を閉じた。
真っ暗な中、ゼフィランは眠りが誘うまで深呼吸をする。
少しでも休まなければ。元々眠りが浅い彼にとって入眠というものが難しかった。
静かな部屋に呼吸が2つ。だんだんと意識が朦朧としてきた。
──……よ
ゼフィランは意識を取り戻す。
誰かに呼びかけられた。
目を見開き、気配を探るが自分とツバキ以外いない。
──……卿よ
頭が割れるような痛みが走る。その声に聞き覚えがあった。
「うぐぁぁっ……!」
ゼフィランは頭を抱えて悶えた。その度に声はゼフィランの名を呼ぶ。
──ゼフィラン卿よ──
「猊、下……」
かつて忠誠を捧げたトールダン7世の声だった。
そうだ、あの時──……俺は……
何かを思い出したゼフィランはチラリと横を見る。
(そうだ、こいつがいなければ……)
横ですやすやと眠るツバキを睨みつけると身体を起こして彼女の方へ動く。
自分よりも小さな身体でありながら、その中に秘められた力は蛮神をも覆すほどに強力なものだった。
(たかが、この女に……)
その手は無防備に晒された白い首に手をかける。
細い首は力を込めればすぐに折れてしまいそうだ。
ゼフィランは憎しみを込めて力を入れる。片手でも十分に握れる。
じわじわと喉を潰せばさすがにツバキも苦しさに目を覚ました。
何が起きているのか分からないといった赤い瞳はこちらを見やり、状況を把握すれば睨みつけ、自分よりも小さな手で己の首を絞める手を強く握る。
「お前が……お前さえいなければ……! 」
テンパードにされていたゼフィランはまだその力は薄れきっていない。教皇であるトールダン7世への忠誠、自身の身体がどうなろうとと共に朽ち果てる運命を変えてしまったツバキが憎い。
「ぜ、ふぃ……」
ヒューヒューと喉笛を鳴らしながらも名を呼ぶ。
「お前が俺を救わなければ、猊下と共に果てたというのに! 」
「ぜふぃ……」
「黙れ、気安く名を呼ぶな」
赤い目から涙がこぼれ落ちる。ゼフィランはそれを目にした瞬間思わず力を緩めてしまった。
ゴホゴホとむせるツバキを横目に首から離した手を見つめていた。
「ゼフィ……」
「……」
危うく殺しかけた申し訳なさが何故か押し寄せてくる。呆然と己の手を見つめるゼフィランにツバキは声をかける。
「殺さないの」
その言葉にハッと我に返り、ツバキを見つめた。
その目に光はない。悟りを開いたかのようにただ天井を見つめていた。
「……私、は……」
「神様なんていないんだよ」
その言葉にゼフィランは眉間に皺を寄せた。この少女は信仰心が無いからそのような事を言うのだろう。
「猊下は……戦神ハルオーネの代弁者だ。つまりあのお方が神で……」
「祈りの言葉で人は救われるの? 」
虚無の瞳はゼフィランに向く。まるで初めて出会った頃のような人形のように冷たい表情を浮かべていた。
真顔、なんの感情も無い、恐ろしいと思うほどに。
「祈りの言葉で救われるなら、小さい頃の私も救われたはずだよね」
「……そ、れは……」
「私は何もしていない。私はただ、白い髪に赤い目、少し魔法が使えただけで悪魔だの化け物だの言われ、暗くて冷たい座敷牢に閉じ込められ、殴られ蹴られ、ゴミのようなご飯しか与えられない私を救うものなんかいなかったのに。誰も救ってくれなかった。皆に無視された。だから私は親を殺した。見ず知らずの男に股を開いて身体を売ったの。それをしないと生きていけなかったから」
「ツバ……キ」
「これが運命だと言うのなら残酷だよね、神様って」
「……」
「殺すならちゃんと殺してよ」
「……っ」
ゼフィランは思わず目を背ける。ツバキの赤い瞳がとても恐ろしかった。
しばらく無言が続いた。ツバキはじっとゼフィランを見つめていたが、ため息を一つつくと「ごめんね」と謝っていつもの幼い顔に戻ったのだ。
「ゼフィ、おいで」
その言葉にいそいそと身体を寄せる。寄せた彼女の身体は冷たかった。
「お互い簡単に死ねない運命なんだよ」と抱きしめられた。罰の悪いゼフィランは「明日の朝飯は何がいい」と問いかけた。
すると「いらない」と割と早い返答に驚く。しかも食い意地を張っているツバキがいらないというのだ。
「ゼフィが信じたいものを信じればいいよ。でも私は神様なんていないと思う。結局人の思いや願いを人が実行してるだけだから」
「私には、猊下が希望に見えた……」
ゼフィランは思いを馳せる。トールダン7世が教皇になったあの日、純粋無垢だった幼いゼフィランはアルトアレールとアイメリクに意気揚々とトールダンの素晴らしさを語っていた。
(……私、は……)
神がいなくなった今、何を信じればいいのだろう。
祈りの言葉は何処に向ければいいのだろう。