紅茶を飲みながら本を読んでいるゼフィランにタタルが話しかけてくる。その手には少し大きめの赤い花が花瓶に挿してあった。
ちらりと見たゼフィランは「何故私に」と問いかける。花ならばタタル自身やヤ・シュトラ、クルルなど嗜む人物が他にいるだろうと(光の戦士はまさに「花より団子」なので全く興味を示さないが)
そんなことを考えているとするとタタルは得意げにふふんと笑って「実はこの花は"ツバキ"って言うんでっす」と言った。その言葉に思わず本を捲る手が止まる。そして栞を挟みタタルの方を見ると「なら……」と受け取ったのだった。
ツバキ……光の戦士の名前の由来でもある。
ゼフィランは光の戦士のことが気になっていた。
最初の頃は嫌悪感しかなかったのだが、長い旅を経て彼女を理解しつつある。そんな彼女と同じ名前の花を見つめては、「こんなに綺麗な花だったのか」と。赤く美しいその花は彼女の深い赤色の瞳を彷彿とさせた。
受け取った花瓶ごと自室の棚に置くと、部屋に鮮やかさが増した気がした。基本的に花は愛でない人間だがあの幼くも強かな彼女のことを思えば胸が苦しくなる。ツバキの花を飾っていることに彼女はどう思うかはさておき、ゼフィランはこの花を大事に育てていた。
ある日のこと。ふと見るとツバキの花が丸ごと枝から落ちていた。その光景にゼフィランは思わず息が止まった。
花は花弁を散らして枯れるものだと思っていた彼にとってぽとりと落ちたその姿はまるで首を討ち取られたような姿に見えた。恐ろしい想像に鳥肌がたつ。
ツバキ──光の戦士の最期を想像してしまった。
否、彼女は強い。だから平気だ。そんなことを自分に言い聞かせながら近付き、落ちた花を手に取る。
するとザザッとノイズ音が聞こえ、ぐにゃりと視界が揺れる。何かに引き込まれる感覚。それは、まるでエーテル酔いした時のような感覚だった。
気分の悪さに吐き気すら催す。ゼフィランはその場に倒れ、気を失った。
何か金属音のような音が頭に鳴り響き、目を覚ます。
ズキズキと痛む頭を抱えながら目をゆっくりと開くと自室ではない、どこか異なる場所に立っていた。こめかみを押さえ、辺りを見回すと薄暗く冷たい空気で満ちていた。どうやら石造りの壁に囲まれているようだ。窓の無い部屋に、いくつかのロウソクが立てられており、辛うじて部屋にあるものを把握出来る。ゼフィランはロウソクに手を伸ばした。だがそれはするりと抜けてしまった。
驚愕し、己の手を見る。透けているのだ。まさかと思い、全身を見るとほんのり身体が透けている。一体どういう事だ?と事態を把握しきれずにいると、小さな呻き声が聞こえる。
そちらに視線をやると藁の上に小さな女の子が蹲っていた。その白い髪はボサボサで手入れをされていなかった。ゼフィランはその少女に近づく。だが、何かに遮られているようだ。ぶつかると軽い金属音が鳴り響く。ゼフィランはそっとその壁に触れた。今度は握れないが金属の冷たい感触は確かだった。
「さむい……」
少女はガタガタと震えている。ゼフィランは上着をかけようとするが、少女に近づくことが出来ずにいた。ボサボサの髪の隙間から赤い瞳が見えた気がした。
まさかと考えていると背後から足音が聞こえる。急いで隠れなければと振り向くが、既に背後に人が立っていた。黒い髪をまとめ、ボロい着物を着た壮年の女だった。
女はゼフィランをすり抜け、金属の塀をガシャりと鳴らすと、鍵を開けたようだ。そして狭く開けると手に持っていたものを雑に放り投げる。
「ほら、飯」
冷たく言い放った女はそれだけ言い残すとそそくさと立ち去っていく。ゼフィランは呆気に取られていると少女はのそのそとそれに近付き、むしゃむしゃと口にする。床に散らばったそれを一心不乱に口にする。えずきながらも口に入れる。
その様子を見ることしか出来なかった。ゼフィランはまだ確信に至らないが、思わず彼女の名を呼んだ。
「ツバ……キ」
少女は手を止め、空を見る。そして虚無の瞳でキョロキョロと見回した。まるで見えない誰かに呼ばれたかのように。ゼフィランは顔を青ざめる。
これは──……
これはツバキ自身の過去なのだろう。目の前の少女は首を傾げると再び残飯としか言いようがないそれをひたすら口にしていた。
視界が揺れ、ゼフィランはこめかみに痛みを覚え目を瞑る。すると次は外にいた。
「この化け物! 」
男の声が聞こえ、そのあと何かを殴る音が聞こえる。
ゼフィランはそちらに駆け足で向かう。
すると土の上に少女は横たわり、男の蹴りに耐えていた。
「勝手に出るんじゃねえよ! 」
男は容赦なく少女を踏みつけ、蹴り上げ、そのうち鼻が折れたのか鼻血を地面に撒き散らす。だが、男はやめない。
ゼフィランは男に近付き、「やめろ! 」と制止しようとするが、するりと抜けてしまう。
少女は泣きながらごめんなさいと謝っていた。そして男は満足したのか、少女の長くボサボサの白い髪を掴んで引きずって行ったのだった。「痛い」と喚く度に顔面を殴りながら。
「……っ」
何も出来ない自分に悔しさが増す。
また頭痛が起きる。今度はこめかみだけでなく、頭全体を締め付けるような痛みだった。そして次にはガンガンと中から叩かれるような痛みに思わず吐きそうになった。
その頭痛が落ち着いた頃には鈴の音が聞こえた。
今度は暗い森の中にいた。辺りを見回すと松明と錫杖を手に持ち、顔に布を掛けた白い装束の大人たちが整列し、山を登っていく。
シャン──……シャン──……
鈴の音と足音は綺麗に揃い、逆に異質とさえ思う。ゼフィランはそっとその列に近づくが誰もこちらに気付かない。
松明、錫杖、そして小さな駕籠を持つ者。それぞれが何かぶつぶつと呟きながら進んでいく。
そして先頭を歩いていた者がピタリと立ち止まるとしーんと静まり返った。すると駕籠を持った男2人が列から外れ、前へと進む。そして先頭の男の先にある暗い木造建築の前まで進むと2人は中へと入る。
そしてその2人が今度は何も持たずに出てくると先頭を歩いていた男が置いてあった木の板を入口を塞ぐように杭を打ち付けていく。
ゼフィランは声も出せずただ見ていた。
杭を全て打ち付け終えると、男たちはゾロゾロと山を降りていく。
ゼフィランは扉の方に向かうと、どんどんと中から叩く音が聞こえた。
「出して」
小さなその声はツバキのものだった。
「ツバキ……」
「出して、お願い、私何も悪いことしてない」
扉を怖そうにも武器を持っていない。近くに壊せそうなものも無い。ゼフィランは扉の前に立ち尽くし、「すまない……」と小さく謝った。
しばらくツバキの泣き声に混じって「ごめんなさい」「早く出して」「お願い」と出してほしいと懇願する声と扉を叩く音はしばらくすると消えてしまった。
ゼフィランはただその声を聞くことしか出来ず、静まり返った頃に顔を上げ、「ツバキ」と声をかけると今度は笑い声が聞こえてきた。
「ふ、ふふ……誰も助けてくれないのね」
「ツバキ……? 」
するとパチパチと音が聞こえてくる。足元を見ると小さな黒い煙が立ち上る。思わず2、3歩後ずさった。煙はだんだんと広がり、小さな火が燃え広がり、扉を燃やしていく。
「許さない……許さない……殺す……殺す……!! 」
先程までのか弱い少女の声とは異なり、怒りを含んだ老婆のような低く嗄れた声が聞こえてきた。
火は建物に燃え広がる。ゼフィランは中にいるツバキが危ないと、燃える板を蹴り飛ばそうとするが、次の瞬間燃えていたはずの板が凍りつき、そして音を立てて倒れた。
「殺す……全員殺す……」
裸足でぺたぺたと出てきた幼いツバキの目には復讐の魂が宿っていた。殺意しかないその目はただただ村の方を見つめ、ゆっくりと歩いて降りていく。
凍った板はすぐに溶け、建物全体は炎に包まれ崩れ落ちた。そして小さな炎たちは木々に燃え移り、山火事を引き起こす。ゼフィランもツバキの後を追った。
「山火事だ! 」
村人の1人が山が燃えていることに気付き、大声をあげる。村人たちは全員外に出ては燃え広がる山をただ見ることしか出来なかった。
一方、ツバキは怒りを顕に、手に出した炎を投げ、次々と木や建物を燃やしていく。
「あ……あぁ……!」
村の建築物にも火は移り、村人は全員がパニックに陥っていた。木造建築の家々は火の広がりを増幅させる。
ツバキは脇目も振らず、まっすぐ進む。そして、まだ火がついていない一軒家に入ると中から何かを手に取り、再び外に出てくる。
ゼフィランは止めらる訳もなく、ツバキをただ追いかけていた。
そしてツバキはある夫婦の元へと近づいて行く。
火災に怯え、立ち尽くす夫婦の顔に見覚えがあった。そしてツバキが近付くと、手に持っていた刃物を男の脇腹に刺した。
「お、お前は!?」
刺された男は痛みと、本来いるはずのないツバキの姿に驚き、腰を抜かす。深く刺し引き抜いた傷口から血がとめどなく溢れる。
「何故ここにいるの!? 」
女も腰を抜かし、後ずさる。だがツバキは近付くと容赦なく刃物を振り上げた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!! 」
女の悲鳴が響く。だが村の者は皆消化活動や避難に忙しく、悲鳴を聞いていなかった。
女に振り上げた刃物は目を貫き、血を流す。ツバキは笑っていた。引き抜いては別のところを刺し、痛みに悶える女を痛めつける。
逃げようとする男の足を凍りつかせ動けなくし、笑い声をあげながら男にも容赦なく刃物を振り上げ、体を刺していく。
「あは、あは、あははは! 」
壊れた人形のように笑いながら今までの復讐を遂げるツバキ。男と女は息を引き取っても尚、足りないとばかりに体中を刺され、無惨な死体となって転がっていた。
最終的にツバキはその死体を燃やした。
「これで、私は、自由になった……! 」
村人たちは逃げさり、1人になった燃える村の中でツバキは幸福と言わんばかりににっこりと笑っていた。
ズキッと再び頭痛に襲われ、次はすぐに痛みが治まった。次に目の前に広がったのは以前ツバキたちと訪れたことがあるウルダハの街だった。
「じゃあまたな」
そう言って立ち去っていく男と立ち尽くす少女、あれは見るからにツバキと分かった。その手には紙幣が数枚。それを見てはため息をついていた。
「嬢ちゃん俺といいことしねえか」
体格のいい髭を生やした男がツバキの肩を掴んで路地裏へと連れていく。
死んだような顔のツバキは拒否することなくそのまま男と消えていった。
何をしているのか、想像したくない。
だが、これが彼女の記憶だとしたら、それを攻めることは出来ない。ゼフィランは唇を噛み締めた。
ノイズが走ると、またツバキらしい少女が男を見送っていた。
ゼフィランは気付かれないと分かっていても近付き、そっと頭を撫でた。
「……? 」
撫でた感触に気付いたのか、目が合った。
そしてゼフィランはそっと小さな体を抱きしめた。
「……すまない」
そう小さく呟くと身体が吸い込まれる感覚を覚え、目の前が真っ暗になった。
「ゼフィ」
目を開けると、ぼんやりとした視界の中にツバキが覗き込んでいた。
「なんか変な夢見た? 」
夢……だったのだろうか。いや、あの感触は……ゼフィランは体を起こすと、ツバキを抱きしめた。
「ゼフィ……? 」
急に抱きしめられ、ツバキは困惑する。
「夢……だったら良かったのにな」
あれが前に話していたツバキの追体験だとするならば、この少女が抱えている過去が重すぎた。
「……その花」
ツバキに言われ、抱きしめる体を話すと、花弁が数枚散ったツバキの花がそこにあった。
「綺麗でしょ。でも縁起が悪いんだよね」
「お前の名前の花だろう」
そう呟くとツバキは目を丸くするがすぐに笑い。
「そうだよ。だけどね、ツバキの花は首落ち花って言われてひんがしの国ではすごく縁起が悪くてさ。こんな訳の分からない化け物が早く死ぬようにって理由でツバキって名付けられたんだよ」