見知らぬ男に服を脱がされた。
それから素肌に自分よりも大きな手が体を這う。
声が出せない、身体は震えている。何も出来ない。
抵抗すれば殴れる、または殺されるのではないかという恐怖心に襲われる。
カチカチと歯がなり、目に涙が溜まる。
その様子を見るなり男はにちゃりと気味の悪い笑みを浮かべた。

──たすけて

声にならないその声は虚しく誰にも届かない。


「……っ! 」
女は目を覚ました。無意識に呼吸が止まっていたのかはぁはぁと息を吐き、整える。ぐっしょりと汗ばんだ身体は気持ちが悪い。
身体を起こせば辺りを見渡し、自分の部屋である事にとても安心した。
時計を見ればまだ朝の4時だ。起きるには早すぎるが、それでも冷や汗で濡れた服を着替えたくて仕方なかった。
「本当嫌な夢」
女──ヴァンプ・ファタールはまた大きなため息をついた。そしてベッドから降りればそのままシャワールームへ向かった。
備えられた設備はスイッチを押せばすぐに自然と暖かい空気が脱衣場と風呂場に流れる。服を雑に投げ捨てシャワールームへ足を踏み入れた。
熱すぎない自分好みの湯はすぐに出てくる。それを頭から浴びれば少しは気が落ち着いた。
それでも、生々しいあの感触は払拭出来ない。
髪を洗った後、身体を洗う。
ゴシゴシと洗うその力はだんだんと強くなる。

……。

…………。

突然訪れた痛みに思わずハッと我にかえった。
腕が、胸が赤くなっていた。

またやってしまったと深く後悔した。
あの悪夢を見る度にしてしまう。
あの気持ち悪い感触を思い出す度にそれを拭おうと擦り続けてしまう。そうして痛みが走ってからようやく我にかえる。

体の傷は癒えても心の傷は消えないのだ。
おそらく一生。

たすけてと、叫んだ声は届かない。
届かなかった。

あの地獄を見たあと、どうやって帰ったのか記憶が無い。
ただ鮮明に覚えているのは男の触れた感触と気持ちの悪い笑み、それから──……

それ以上は思い出したくもない。吐き気がする。

ヴァンプ・ファタールはシャワーを止めるとシャワールームから出てさっさと着替えた。
綺麗な赤い髪を乾かした後、再び寝床につく。
ふと思い出す顔があった。目の前のタブレットを操作してその名前を探ろうとした。だが、相手は寝ているだろう。
それにこんな個人的なやり取りなどバレてしまえばお互いに不利益でしかない。
そう分かっているのだが、それでもこんなに声だけでもいいから聞きたいと思う夜は何度もあった。
今日会えるだろうか、会いたいと願いながら目を閉じた。

◇◇◇

──アルカディアソサエティ控え室。

あのオーナーの件から数日が経った今、生身での戦闘による試合が盛り上がっていた。
全てはオーナーの願い。それが生身の挑戦者というヒーローの手によって叶い、アルカディアは新しくなった。
ヴァンプ・ファタールとしては正直あまりいい気持ちではなかった。
オーナーに恩があるからこそ、願いが叶って良かったという気持ちはある。だが、それ以上に魔物の魂を使えない今、自分で戦うことになる。

浮かない顔で座って試合の様子をモニター越しに見る。かつてタッグを組んでいたというハウリングブレード対ブルートボンバーの試合が実況中継されている。

「結構盛り上がってるね〜」
騒がしい中継を見ながら横から声が聞こえる。新人のブラックキャットだった。あえて返事はしない、恐らく独り言だろうから。
返事が返ってこないことを気にせずブラックキャットは少し離れた所に座って同じくモニターを見ていた。
あのダンシング・グリーンとかいう緑髪の男が居たら騒がしいのだろうが、彼女は静かに見れる人だからこそまだ気が楽だった。
「げっ」
背後から扉が開く音と同時に一切歓迎されていない声が聞こえてきた。
「あら、バカ面のハニー・Bじゃない」
ヴァンプ・ファタールはチラリと後ろを見やりそんな言葉を投げかけた。まさに売り言葉に買い言葉、ピキっと青筋を浮かべたハニー・B・ラブリーはいつもの可愛い子ぶった声はどこへやら。
ドスの効いた声で「はぁ? 」と言ったのだ。
一気に空気が張り詰める。完全に巻き込まれたヤーナは顔面真っ青になり、硬直した。口を出せばこちらに攻撃がくる。それを分かってて何も言い出せないし止められるわけもない。
だがヴァンプ・ファタールは何も言わなかった。いつもならハニー・Bのことを散々バカにして煽るのだが、それが無かった。
無言の時間が苦しかったヤーナはじりじりとヴァンプ・ファタールから更に距離を置く。
珍しく何も言い出さないヴァンプ・ファタールを睨みつけていたハニー・Bはしばらく考えた後「アンタ具合悪いんじゃないの? 」とようやく口にした。
「バカ面見てたら疲れるわ」とわざとらしくため息をついた。「黙ってるアンタなんか気持ち悪いくらいよ」と更に悪態をつく。
「今度こてんぱんにして泣かせてやる」と言い残せばハニー・Bは控え室を通り過ぎて奥の部屋へと行ってしまった。
一方ヤーナは足音を消しながら控え室から出ていっていた。

◇◇◇

その日の夜、居住殻9-11にフードを被った小さな人影が1つあった。その小さな人影はキョロキョロと辺りを見渡しながら慎重に進む。そしてある部屋の前にたどり着くと懐からカードキーを取り出して中に入った。
部屋の奥へと進むとベッドに寝そべる人物が1人。
「……来たよ」
そう声をかければ寝ていたヴァンプ・ファタールは目を覚ました。そして目の前の人物に微笑みかけると優しく強く抱き締めた。
「今日どうしたの」
「いつものことよ」
フードを脱げば現れたのはハニー・Bだった。抱きついてくるヴァンプを優しく抱きしめ返せば心配そうに問いかける。
「また悪い夢でも見たの」
「そうね」
「なんで連絡してこなかったの」
そう言い抱きしめ返すと、「さすがに朝の4時は気を使うわよ」と弱々しい声で呟いた。それでもハニー・Bは「寝てても忙しくてもあなたが呼べばいつでも飛んでくるから」と赤い髪を撫でたのだ。

ハニー・Bとヴァンプ・ファタールは恋仲関係だ。だが、それは誰にも知られてはいけない、秘密の恋。
なぜなら彼女たちは不仲を売りにしているから。そのおかげで2人の試合は即完売する程のものだ。ハウリングブレード対ブルートボンバーの試合に負けず劣らずの人気の試合だった。
そんな犬猿の仲の2人が実は恋仲だと知られてしまったら不利益すぎる。それを避けるため、あえて口喧嘩のふりをするのだ。でも心からの本心ではない。それを分かった上でやっている。
だからこそ今日の口喧嘩の際、何も言わなかったヴァンプ・ファタールへの違和感を感じ、合言葉を残して部屋に来たのだ。
抱きしめる力を緩めればハニー・Bは服を脱ぎ下着姿になる。そして寝ているヴァンプの横に潜り込んだ。
「アンタ忙しくないの? 」
金色の髪を優しく撫でればオッドアイの瞳は柔らかく微笑んだ。
「忙しいけれど、そこまでないかな」
「ちゃんと仕事はしなさいよ」
「どこかの誰かさんが寂しいって顔するから会いに来たのに」
そう言うと、自分の髪を撫でる手を取り頬に寄せた。

基本的に触られることが好きじゃない。
あの気持ち悪い感触を思い出すから。
だけど、彼女だけは平気なのだ。
心を許したからかもしれない。

「大丈夫、アタシはここにいるよ」

その言葉が何よりも安心する。
声が、温もりが、甘い蜜の香りが、全てが心を癒すのだ。
例えつかの間の幸せであっても、1分1秒足りとも離したくない。
「アンタってバカよね……」
「嫌いじゃないくせに」
お互い笑いあった。
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