「たまにはクガネ温泉に行かない? 」
とある日のこと、ミナトはホルテンにそう伝える。
終末が消え去り、暁の血盟は(表上)解散し、各自休暇という名の自由を謳歌している。
光の戦士であり英雄と呼ばれたミナトは旦那であるホルテンと共に提案したのだった。
「もちろん」
ホルテンはミナトの提案を拒否する理由など無かった。長い長い戦いで疲れたであろう妻であり英雄であるミナトをどうにか労りたかったのだ。
「ふふ、やった」
喜ぶミナトの笑顔がホルテンは好きだった。

出会いは姉から友人であると紹介された日のことである。出会った当時のミナトは白銀の長い髪だった。血のように赤黒い瞳はどことなく虚ろな目をしていた気がする。
──綺麗な人だ
それがホルテンの第一印象だった。軽く挨拶を交わした後ミナトは姉と2人で出かけて行った。
ホルテンは完全に一目惚れしていた。だが、どことなく昔々にあったような感覚に溺れる。
あの人の隣にいたい、いつしかそう思うまでになっていた。
が、ミナトは知らない男と仲むずまじく歩いている事が多かった。ホルテンはただ見つめているだけ。ジリジリと焼けこげるような胸の痛みを誤魔化して。
そんなある日、ミナトは虚ろげな顔で立っていた。その日は雨だった為、傘もささずにずぶ濡れになっている。ホルテンはそんな彼女を見守っていたが、待っているであろう男はいつまでも来なかった。
目も当てられなくなったホルテンはミナトに傘を差し出す。何も言わず、微笑みこれ以上濡れないようにと。
ミナトは驚いた顔でホルテンの顔を見上げる。
「ありがとう…」と小さく呟いた。
ホルテンは気付いていた。ミナトの銀髪の根元が青く染まっていることを。だが何も言わずただ一緒に過ごした。
結局男は来なかった。
ミナトは悲しそうに笑っていた。
数日が経ったある日、ミナトの髪色は深海のように深い青色になっており、また長かった髪はバッサリと切られていた。
ホルテンは、変わらずミナトを好きでいた。
それからミナトに猛アタックし、今に至る。
英雄と呼ばれた彼女を守りたい、その一心で共に行動し、第一世界に一緒に渡り、暁の血盟と共にミナトを支え、終末を消したことを。

リムサ・ロミンサから船に乗り、クガネへ渡る途中、ホルテンはミナトと出会った頃のことを思い出していた。
クガネに到着すると、見慣れた景色が広がった。
ミナトは元々クガネ出身だと言う。確かにミナトのファミリーネームは「キサラギ」というらしい。
ホルテンも結婚した今そのキサラギをファミリーネームとして名乗っている。
そして、ミナトにはもう一つの名がある。
今のミナト・キサラギは実の両親から名付けられたものでは無い。改名というのだろうか。とある育ての老夫婦に貰った名前だと以前語っていた。
「前の名前は嫌なことを思い出すから嫌い……」
そう言って震えていた事を思い出す。
「僕はミナトさん自体が好きだから名前なんて関係ない。ミナトという名前もすごく素敵だよ」と優しく抱き締めれば、安心したように微笑んでくれた記憶があった。
クガネ温泉へ向かおうと歩み始めた瞬間
「ツバキ」
と、ミナトとホルテンの耳にハッキリと聞こえてきた。
ミナトは怯えた表情で固まる。それを察したホルテンは手を握り、「大丈夫、気のせいだよ」と優しく声をかけるがもう一度低い女の声でハッキリと「あんた、ツバキだよね」と聞こえてきたのだ。
ミナトは完全に恐怖で動けなくなっている。ホルテンは声のした方を振り向くと、痩せこけ、ボロボロの服を着た50代くらいの女が立っていた。
ホルテンは女の方を睨むように見るとミナトの肩を優しく抱き、隠す。
女はこちらに駆け寄ってくる。
「……どなたですか」
ホルテンはいつもより声を低くして近寄ってくる女に威嚇するように尋ねる。
女はそんなホルテンを無視してミナトに触れようとする。
「嫌っ……! 」
「やっぱり、あんたはツバキだ!その血のように赤い目、私に似た顔立ち、お父さんにそっくりな眉! 」
女は唾を飛ばす勢いで大声で話す。ホルテンはミナトの前に立ち塞がると「あなたが彼女の親ですか? 」と聞くと「あぁそうだよ、誰だいあんたは」
と更に聞いてくるので、ホルテンは「僕は彼女の旦那です」とハッキリ伝えたのだ。
「えらい男前を捕まえて……! しかもお前は英雄と呼ばれているらしいじゃないか! 」
興奮した女は不気味に笑いながら、どうにかしてミナトに触れようとするが、ホルテンはそれを必死に阻止する。
「彼女が嫌がっています、離れてください」
「その子は私の子供だ、連れて帰るから」
「嫌っ……嫌だっ……! 」
ミナトは耳を塞ぎ、泣き出した。
ミナト──この女の言う「ツバキ」とはミナトの前の名前だ。それを知っているのはミナトという名前を与えてくれた育ての親である老夫婦と過去を話した相手であるホルテンのみだ。
ホルテンは睨みつける。ミナトが産みの母にこんなに怯えきっている理由も知っている。

ミナトはこの女に虐待されていたからだ。

父親と共にろくに食事も与えず、暴力を振るい、毎日怯え泣き暮らしていた。
そんな彼女は大雨の中、逃げ出し衰弱しきっていた所をその老夫婦に救われたのだった。
それを知って尚、差し出すことなどできるわけが無い。
今は英雄でもなくただ1人の女性である彼女を守れるのは自分一人であると。
クガネでの刃傷沙汰はご法度である事を知っているホルテンは、下手に剣を抜刀など出来ない。
「いい加減にしてください! 」
あまりにもしつこい女にとうとうホルテンは大声を出した。ミナトも初めて聞くホルテンの怒りの声だった。
急に大声を出され、女もさすがにビックリし固まった所をホルテンはミナトを姫抱きしその場から逃げ去った。

船着場から赤誠組屯所近くまで逃げると、ホルテンはミナトを降ろし、息を着いた。
2人の間にしばらく沈黙が流れる。それを先に破ったのはミナトだった。
「ごめんなさい……」
ホルテンは即座に「違う」と言いきった。ミナトは驚いた顔でホルテンを見つめる。息を整えたホルテンはミナトの方を見て「違うよ」と改めて普段の口調で優しく伝える。
「ミナトさんは悪くない、だから謝らなくていいんだよ」
「……でもっ」
「本当はニンジョウザタ(刃傷沙汰)が無かったらあの人に斬りかかっていたかもしれない。でもそれはここでは最悪首を飛ばされかねないからね」
はぁと、項垂れるホルテンにミナトはどうしようとオロオロする。
「……僕は英雄の盾だ」
ホルテンは小さく呟く。
「そうなりたいが為に強くなったんだよ。でもね、それ以前にミナトさんを守りたいんだ。ミナトさんという1人の女性を」
「……ホルくん……」
「赤誠組に一応報告しておこう。そうしたらもしもの時対応してくれるかもしれないしね」
すくっと立ち上がるとミナトに手を差し伸べ、握られたその手を引いてミナトを立たせる。
「僕がいつでもそばに居るから、もう心配しないで」
優しくミナトの頭を撫でる。いつも通りのホルテンにミナトは安心したのか少しだけ泣いた。
赤誠組にあった事を報告、巡回強化をしてくれるとの事。それから2人は望海泉にて本来の目的であった温泉に浸かることが出来た。
日帰りの予定だったが、うつらうつらしているミナトを見かねて急遽1泊することにした2人は綺麗に並べられた布団に寝転び寄り添いながら眠った。

ホルテンはその日夢を見た。

かつて見たエルピスのような神秘的な空間。
自分は誰かを探しているようだ。花園を歩き続けていると、黒いローブを着た女を見つける。顔はハッキリと見えない。霧がかったように顔だけは見えないのだ。
「───」
聞きなれない名前を呼んだ、自分はその名を知っているようだが記憶にない。名を呼ばれたであろうその女性はこちらを見て静かに微笑んだ。
そして自分は、ポケットからリンゴを1つ差し出した。それを受け取った女は少しだけ口角を上げ、大きく口を開けて齧り付いた

──そこで目は覚めた。

ぼんやりとした視界の中、ミナトの寝顔を捉えた。すやすやと、時々口をモゴモゴしているが、可愛いと思った。
そしてホルテンは何となく察した。きっとあれは前世の記憶なのだろう、と。

彼女と初めて出会った時に感じた昔から知っている記憶のようなもの。

僕は今も「彼女を守るために生まれてきたのだ」と──。
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