「……あ」
ぽつ、ぽつと空から雫が落ちてきて髪や頬を濡らした。しまった、今日に限って傘を忘れるなんて……ため息をつきつつ、横のベンチに座った。今日はいつもより人が少ない。
ミナトさんが以前「昔は雨が嫌いだったけど、ホルテンくんといる時の雨は好き」と言ってくれたことを思い出して思わず頬が緩みそうになった。
「おや……見慣れた姿かと思えば」
ふと降り注いだ少し低い声。思わずそちらに視線を移す。
「……どうも」
僕は会釈をした。なぜなら実姉と付き合っている彼氏だったからだ。彼──キョウカさんはいつもの通り、言葉は悪いがニヤニヤと不気味に笑っている。僕はこの笑顔が苦手だった。だが、姉がお付き合いしているお相手ならば、多少の付き合いはしなければならない。
「隣、いいですか」
「……はぁ、どうぞ」
「ミナト待ちですかね」
「そうですね」
「彼女とはどうですか? 」
正直会話したくない相手と会話せざるを得ない……というよりも向こうから話しかけてくるから、それに応じなければならない。早くミナトさん来ないかな……と少し考えていると
「君は僕のことが嫌いなようで」
「えっ」
突然の言葉に戸惑った。彼は変わらずニヤニヤと笑いながらこちらを見てくる。だが、思わず視線を外してしまった。その見つめてくる目が、鋭く心まで本当に読まれそうで。
「ふふ、まあ普通の人間ならそうですよ」
短く笑ってキョウカさんは視線を逸らし、エーテライトに向けた。僕も思わずそちらを見る。エーテライトは変わらず青白く輝き、ゆっくりと回っている。だが、その背景とも言える空は灰色に染まっていた。冷たい雨の音と土を濡らした独特な匂い、そして苦手な人の不思議な匂いを感じた。
「ですが……リリエさんは僕を好いていてくれるようで」
脈絡のない突然の惚気に正直引いた。姉さん、なんでこの人とお付き合いしてるの……。
「ふふ、お互い恋人がいる者同士……あと義兄弟にあたる君に話しておこうと思いまして」
「いえ、結構です……」
「つれないですね。そこまで姉の事が心配ですか」
「自覚、されているんですか」
彼はまたこちらを見て笑った。
「彼女は受け入れてくださってるんです、僕のことを。僕のことを愛してくださっているんですよ」
「……時々姉から聞いてはいます。ですが、首の痣は姉の同意の元ですか」
姉は隠しているつもりだろうが、僕は気付いていた。首に絞められた痣があることを。
「過保護ですね」
「あなたが異常なだけです」
つい本音が漏れた。だが後悔はない。僕がこの人を嫌いな理由、それは姉のことを、ぞんざいに扱っているような気がしたからだ。じわじわと押し殺していた不信感からの怒りが湧き上がってくる。次の瞬間、彼は目の前から消えた。
「!?」
「遅いですよ」
気づけば首筋に冷たいものを当てられていた。そうだった、彼はリーパーだった。
「異常……そうですね、そうですとも、ぬくぬくと幸せな家庭で育った君にはこの苦しみは分からないでしょうね。実の親に忌み嫌われ、何をしても叩かれ、火のついたタバコを押し付けられ、挙句には首を絞められ殺されそうになったこの苦しみが!」
珍しくニヤニヤと笑った顔では無い、怒りと憎しみに満ちた彼の顔を初めて見た。そして彼の手にもつ大鎌はいやにサビ臭かった。少しでも動けば首を切られる。だが、僕も僕とて言いたいことは言わせてもらう。
「それを姉に八つ当たるのは絶対に違います。僕は姉の幸せを誰より願っています。だからこそ、そんなあなたを許せません。歪んだ愛をぶつけることを、姉を苦しませることを!」
その後雨の音だけが聞こえる。キョウカさんは鎌を下ろし、帽子を整えた。
「……だからこそ憎いんですよ君のことも、リリエさんのことも……」
雨の中に消えた彼を僕はただ見送るしかなかった。
「……姉は、受け入れる優しい人です。ですが、全てを受け入れて壊れてしまうのが僕は見るに耐えられない……あなたが少しでも変わってください……キョウカさん」
しばらくするとミナトさんが雨の中ずぶ濡れになって息を切らして走ってきた
「ごめんなさい、忘れ物しちゃって」
「僕は大丈夫だけど、濡れたままだと風邪ひいちゃから、宿屋にいかないと」
「……キョウカ」
「え? 」
「キョウカ、さっきまでいた? 」
「え、ええ……少し前まで話をしたよ〜」
「そっか……」
ミナトさんは俯いてそう呟いた。どうかしたのか尋ねても何も答えなかった。
「ううん、ただ、キョウカの匂いがしたから」
「彼は彼で元気みたい」
「ならいいや。あ、これ私が作ったクッキー。焦げたヤツは入れてないから大丈夫だと思う」
ニコニコと笑う彼女の笑顔で先程のことをすっかり忘れてしまった。