あの人の背中は、大きくて遠い。


「兵長! そんなに突っ走ったら…!」
「うるせえ。お前らはアイツをやれ」
「あっ」

 あっという間に私たちとは別行動を取った兵長の背中は、一瞬にして小さくなってしまっていた。壁外の巨大樹の森。その奥深くの中心部へと進む私たちは今回、この森への先陣を切った班たちの援護が主な任務だった。森の入り口付近ではエルヴィン団長率いる者たちが何かを行っている。私たちはその内容までは知らない、知る必要がない。ただただ自分たちに与えられた任務に専念する。それだけだ。目的に不要な情報は、思わぬところで思考を横切り、この壁外では命取りになる可能性がある。そんなものは御免だ。任務を最優先とし、生きて壁内へ還れるように尽くす。それだけ頭に叩き込んでいればいい。

 私とエルドとグンタは先を駆けて行った兵長に下された命令に従うまま、すぐ目の前に迫っている5m級の巨人に向かう。こちらは幾多の壁外調査でそこそこの巨人討伐数を稼いでいる3人だ、滅多なことがない限りうなじを削ぐことができるだろう。だから兵長もこの場を私たちに任せた。
 エルドとグンタと目配せをして、私が囮役を担うと告げると二人は頷き返した。先に二人が巨人の横を過ぎ去り、私が巨人の標的になるようにアンカーを刺した木の枝に止まる。通常種の巨人はまっすぐ私に向かって地鳴りを響かせながら手を伸ばしてくる。そこへ巨人の背後を取っていたグンタが右足の腱を削ぎ、バランスを保てなくなった巨体が私のすぐ目の前で倒れ始めたところで、すかさずエルドがうなじを削いだ。絶命した巨人は蒸気を立て始める。

 もしもの為に後ろへ下がるか、私が直接うなじを削げるように周りにも目を配らせたけれどその必要はなかったようだ。

「…兵長のもとへ行こう」

 蒸発した巨人の肉体はものすごい熱気を放つ。いつまでもこの死骸の側に留まる必要はない。何より先に進んだ兵長を追いかけなければ。立体機動で先ほど煙弾が上がった方角へ向かう。私たちはそちらの援護に向かっていたのだ。


「――いた! 兵長!!」
「ナマエ!」

 一人で3体の巨人を相手にしている兵長の姿を確認して、一番手前にいた巨人の背中にアンカーを刺しうなじを削ぐ。エルドとグンタが追いついたときにはもう、兵長が残りの2体を片付けていた。辺りに視線を巡らせても、そこには数体の巨人の死骸と、仲間の変わり果てた姿があるだけ。見慣れたくはないが、見慣れたものだった。この班で生き残っている者はいないだろう。巨人の死骸の数は一見しただけで10近くはある。私たちが来るまでにはもっといたかもしれない。たった一人で巨人を殺すことは、私にだってそう何度もできるのもじゃない。条件が揃っていれば可能なだけで、分隊長たちや目の前にいる兵長と同じレベルのことはできない。特にこの小柄な兵士長は、今しがたのように一度に数体の巨人を相手にすることだってあるのだ。遠い。まだまだ。


「ナマエ、お前も一人で急くな」
「ひやひやさせられる俺たちの身にもなれよ、ったく」
「う……ごめん」

 両隣に降り立ったエルドとグンタに注意されるのはもう何度目になるだろう。兵長は一人で突っ走ってしまうけれど、私も私でそのあとを一人で追おうとする癖がある。気を付けてはいるのだけれど、どうにも集中しすぎると周りとの歩調を乱してしまいがちだ。この癖は必ずに直さなければ致命的なものになってしまうかもしれない。

 この場が前陣だったようだが、班は壊滅、生存者ゼロ。もしかしたら、と周りを見回ってみたけれど、やはり生きている者はいなかった。淡い期待はするものじゃない。もう巨人の血は蒸発して消えた。草木に飛び散っている液体は紛れもなく私たちの仲間のものだ。見知った顔も、誰のものかも分からない手足も、動かない。


「……エルヴィンたちは目的を果たした頃か。戻るぞ」

 団長のいる東の方から撤退の煙弾が上がる。兵長は一度、仲間たちに視線を向けた。一瞬のことだったけれど、その眼は酷く残酷なものを映したように見えて、思わず喉まで出てきた言葉を押し込めた。もう彼は前を向いている。たった今増えた重みを、その背中に背負って。
 遺品は持ち帰れないだろう。一人ずつそれになるようなものを集める時間がない。彼らは、此処に置いて行くのだ。手を合わせてから、私も再び兵長を追う。

 今回は森を囲うように配属された班と、中心部へ進むように命を下された班とがあった。比較的小さな森であるし、恐らくもう巨人は現れないであろう。中心部でこれだけの騒ぎがあったにも関わらず他方からの地響きがないのだから。一先ずの任務は完了。これから団長たちが待つ入り口にまで戻り、そこから陣形を立て直して壁内へと帰還する。今回はどれだけの人数が減っただろうか。帰還時の方が人数が少なく陣形が小規模かつ不安定なものになりやすい。無事に生きて還ることができたと安堵するには、まだ早いのだ。



「煙弾も上がっていないな。リヴァイ班が先陣を切る! それ以外の陣形の配置は予め伝えておいたものと変わりない。これより撤退する!」

 エルヴィン団長の低く太い声が響き渡ると、兵長が馬を走らせた。私とエルドとグンタに加えて、巨大樹の森で別方向から中心部へと進んでいた班の者たちでその役目を担う。彼らの班は被害は出たものの、前線に出たにも関わらず十分な人数が生き残っていた。

 兵長の斜め左後ろを走る私はその背中を脳裏に収める。大丈夫、私はこの背中を信じていれば、大丈夫。体力も消耗し、精神的にも疲弊した帰還時こそ気が抜けやすい。ここで疲れによりヘマをしてみせれば、リヴァイ班の名折れである。一員としてそんな無様な気の緩みを見せるわけにはいかない。何よりこの人を追いかけることが、私の誓い。


「……ナマエ」
「! はい」

 前を走る兵長が静かに私を呼んだ。彼に並ぶように少し馬の速度を上げる。近づいた距離で見る兵長の視線は、周囲を気に掛ける素振りもなく、前だけを見据えていた。彼が警戒するのは前であって、周囲は私たちが目を配らせているからだ。


「あいつらはああ言ったが、お前はそれでいい」
「え?」
「お前は真っ先に俺を探して、俺に追いつけ」
「……兵長、」
「命令だ」

 一度も私を見ることなく告げられたそれ。どう形容すればいいのかわからない、込み上げてくるこの想いを。先ほどの話だろう。いや、先ほどだけでなく今までの――そしてこれからのことを含めて。私が仲間との連携を乱し、誰よりも真っ先に一人兵長の背を追うことを、この人が許すと言う。絶命的なこの壁の外の世界で。一人だって欠けては班の存続、組織の生存に大きく関わるというのに、私のこの自分勝手な行動を許可すると。
 いや、恐らくもう班員も私の行動を理解した上で頭に叩き込んで動いているだろう。それだけの回数、私は勝手なことをした。申し訳ないと思う。けれど嬉しさが勝る。仲間はいつも、口先だけで私を叱り、強制的にその癖を直せとは言わない。私はそれに甘えていた。きっと、何度直さなくてはと思ってもこれからも甘えるだろう。そしてついに兵長から許可が下りた。この人が言葉にするということがどういう意味を指すのかわかっていて、だ。

 ああ、遠い。だから何処までも追いかけてしまう。――けれどたった今、許された。


「――はい」



自由の翼を追いかける
*130828/180314
ALICE+