先日の壁外調査でも、多くの兵士が死んだ。巨人に喰われた者、握り潰された者、踏み潰された者、もしかすると、それ以外の事態で死んだ者もいるかもしれない。

 そしてその死亡者の中にあの男がいた。彼女の夫が。
 初列索敵に配属されていたその男が死んだ知らせは、壁外調査の最中に彼女の耳にも入っただろう。男の班が壊滅したという伝達がまわってきてすぐに、指揮を取る団長のエルヴィンは進路と目的の変更をした。
 今回の作戦に大幅な誤差が生じたものの、それでもマリア奪還への道に違いはない。わずかでも前進したのだ。何時になるかわからない奪還の為の大部隊が進行する道は。


 作戦を終えて壁外へ戻り数日経った今、壁の中でのうのうと文句を垂れ現実の見えていない人間、上層部への報告を行っている。
 各兵団の代表と、投資家。壁外調査の報告は本日のように大がかりなものから、書類だけでのものなど、その度の結果により変化する。
 そして今回はよりにもよって面倒な面子が揃っていた。それはつまり、今回の調査はそれほどまでに被害が出たか、或いは人類にとって衝撃的発見があったということだ。まあ前者であるのだが。

 毎度のことながら、リヴァイはくだらない外野の言い分に一つ二つと苛立ちを募らせていた。
 限られた土地の中でぶくぶくと腹を太らせたあの豚共の口から発せられる死亡者を侮辱する言葉の類は、いっそここで瞬時にうなじを削ぐのではなく、わざわざ巨人の餌にしてやろうかと、そんな考えが脳内を支配するほど胸糞悪いものだ。
 何時になっても現実を見ようとせず、巨人の脅威も知らず、兵士の心を知ろうともせず、ただ自分の保持の為にという考え。
 調査兵団の兵士はこんな豚共の為に壁の外へ出ているわではない。リヴァイの部下たちは、こんなくだらない人間の為に心臓を身体を命を捧げたわけではないのだ。


「……抑えろよ」
「っ」
「お前が動いたって難癖つけられて終いだ」
「……わかって、ます」

 この場に居る調査兵団の誰もが腸が煮えくり返って仕方ないだろう。それでも彼らの前に立つエルヴィンは平常の顔を崩さずにいる。彼らの上に立つ男がそうしているのだ。ここでその下に就く者が感情を露わにしてしまえば、真っすぐに連中を見据えている男の握りしめた手はどうなる。
 リヴァイの隣に立つ彼女も同じく作った拳が微かに震えている。おそらく爪が皮膚に食い込んでいるだろう。傷ができているかもしれない。けれどそんなもの、壁外調査で負ったものに比べれば……いや、比べるまでもない。

 彼女――ナマエの夫である男は今回の壁外調査で死んだ。そしてそれを突いてきた目の前にいる者たち。
 ナマエは抑える存在がいなければ暴れ狂っていただろう。彼女のなけなしの理性とプライド、そしてリヴァイの抑制。それが今必死に彼女を繋ぎとめている。
 ここで言葉を発するのはナマエの役目でも、同じく共にいるハンジやミケの役目でも、そして彼らの目の前で変わらず背筋を張りつめているエルヴィンでもない。


「だいたい、兵士同士で結婚するなど呑気なものだな! お前たちには膨大な資金と共に人類を――」
「いつまでも喚くなよ豚野郎」
「――っ何?」
「なんならてめぇらが今から訓練兵にでもなって一から兵士を目指すか? 外に出る度胸どころか力を付ける努力もしない豚共がよく鳴くもんだな」
「リヴァイ貴様、口の聞き方を弁えろよっ」
「生憎とこれは生まれつきだ。てめぇらが見捨てた地下街の人間に、てめぇらよりも力を付けた人間に見下されるのは不満か」
「リヴァイ」
「………」

 口を噤んだ連中を見て、もういいと告げたエルヴィンに従うリヴァイ。これでようやくこの胸糞悪い顔とおさらばだ。エルヴィンが一言二言と言葉を発し、部屋を退出するのに連なる。



「――……兵長! リヴァイ兵長!」

 調査兵団の本部に戻り、各々の仕事へ取り掛かろうと別れた後。足音を隠しもせず追いかけてくる存在に足を止めて、リヴァイは振り返った。

「……何だ?」
「何だ、じゃありませんよ! 報告のときっ、あんな態度で反発したら、あなたが標的になってしまうじゃありませんか!」

 眉を寄せて抗議をするナマエの目の下には隠しきれない隈がある。彼女は、当然ながら過去に何度も壁外調査を経験している。生き残った数だけ、ナマエには実力がついた。
 ただ壁外調査から生還するということは、つまり仲間の死を幾度と目の当たりにしてきたことと比例する。その顔がリヴァイの記憶にあるもののどれより酷いと感じたのは、やはり最愛の男が死んだ、という理由以外に何が考えられるだろうか。

「あなたは間違ったことなんて言ってないっ、私のためだってわかってます! けど、あれじゃあいつもと違って――」
「ナマエ」
「っ」
「実際に豚共は黙ったしエルヴィンからのお咎めもなしだ。それでいいだろうよ」

 少し痛いところを突かれたが、それで表情を変えてしまうほどリヴァイは甘くない。
 実際に口を挟んでエルヴィンに止められるまで、自分は八つ当たりとも言える言葉を口にしていた。どれも事実であるのだけれど、調査兵団に必要な金を投資している者も、武器の開発の手助けをしている者も、あの中にはいた。
 本来ならば真っ向からねじ伏せてしまえる話題も言い方もあったのに、リヴァイの口から出た連中への口撃は自身の怒りをぶつけるようなものだった。
 それに気づいた者は、あの場にいた調査兵団の者たちのみ。そして何故リヴァイがそのような責め立てをしたのかも、皆が理解していた。

「よ、よくありません! だって、兵長が、兵長は、悪くないのに……ッ」

 ナマエは数年前からリヴァイの下にいる。彼女が彼の部下となった日から、すでに彼女には恋人がいた。
 だからリヴァイは段々と芽生えていったこの想いを、目の前の女に伝えたことはない。
 ナマエの笑顔に曇りを見せたくなかったからだ。調査兵団に所属しながら、女としての幸せを掴んでいた彼女の人生を、更に掻き乱してしまうようなことはしようとも思わなかった。

 そしてそれは、今も。
 膝をつき泣いているナマエは――けれど兵長とリヴァイを呼びながらも、夫であったあの男を想いながら泣いている。
 その震える肩に手をかけ、引き寄せ、抱きしめることをリヴァイは考えた。
 一瞬浮かんだそれは、伸ばした右手は、彼女が誰を想い涙を流しているのか理解した途端に動きを止める。ナマエにとって自分はどうやったって「兵長」なのだ。
 惚れた女一人、慰めてやることができない。彼女はリヴァイのぬくもりを求めていないからだ。無理に与えたとしても、意味をなさないことは目に見えていた。それだけ彼女はあの男を愛していたのだ。



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