――始めは、それだけでよかった。
 ただ遠くから見てるだけ。彼に顔や名前を覚えて欲しいだなんて思わない。ただの憧れ、という感情でしかなかった。
 風紀委員長としての役職をはたす彼を遠くからこっそりみてるだけでよかった。
 群れるのが嫌いで、ましてや女の子となんて論外。そんなところにほっとしていた部分もある。

 でもいつしかそれが、見てるだけじゃ足りなくなった。
 きっかけはただわたしが学校に遅刻して、彼は風紀委員長だからわたしを罰したこと。
 そんなありきたりのことで、でもわたしには奇跡ともいえる出来事だった。
 その時、彼に対し恐怖はあったものの話せたという嬉しさが勝り、彼はそんなわたしを見て小さく笑った。
 馬鹿にしたような笑いじゃなくて、本当におもしろいものを見つけたというような。
 その笑顔をみた瞬間、わたしは息をするのさえ忘れてただ彼を凝視していた。きっと、彼への深みに嵌ったのはこの時ね。

 その日以来、彼はわたしと廊下で会えば話しかけてくれて。応接室にだってお茶に呼ばれるようになった。
 なんて奇跡。群れるのが嫌いな彼が自らそんな真似をするなんて信じられなかった。
 自分が彼にとって特別な枠組みにいるのではないかと思えてしまうほどに。
 会えば会うほど、話せば話すほど、もうそれだけじゃ満たされなくなった。

 けれどそんな考えがわたし中を駆け巡っていた時にみてしまった、それ。
 応接室で女の子と口づけを交わしていた彼の姿に頭が真っ白になって、何がなんだかわからなかった。
 今まで応接室にわたし以外の女の子が居たところなんて見たことがなかった。彼がそんな関係の相手がいると聞いたこともなかった。
 応接室から聞こえる独特の音と甘い吐息に、ソファに崩れたふたりの躯に、無我夢中でその場から離れた。
 本当にわけがわからなくて……否、その光景を信じたくなくて逃げ出した。

 次の日、重い気持ちで学校へ登校するとそれまでと雰囲気の違う彼がそこにいた。
 無言で応接室に連れられた途端、ソファに押さえつけられて重なった唇。
 突然のことに戸惑って頭が混乱するわたしに彼は怪しく笑みを見せて

「昨日、見たんでしょ」

 ただ一言、そう言った。
 それからのことはあまり覚えてない。否、思い出したくないだけだ。
 だって、あんなに優しかった彼が全然違う人に見えて。わたしの好きだった彼じゃない、ただの餓えた男の人に見えて。
 怖かった、苦しかった。目の前にいる彼は、わたしの知らない彼。
 それだけで奈落の底へ堕ちた気がした。
 ただ理解できたことは、これが本当の彼だということと

「明日も、来て」

 ――これからも私は彼に縛られるということ、だ。






「っ、ひばりさ…っ」
「煩いよ」

 機嫌が悪いのかいつもより乱暴な手つきでわたしに触れる。
 でもそれに敏感に反応する身体は間違いなく、わたしのもの。

 あの日から一体いくつの年月が経ったんだろう。
 変わらずわたしは彼に縛られたままで、今日も彼の気の向くままに抱かれる。
 始めはそれで納得してたのよ。彼の心がわたしに向かなくても、身体さえ繋がっていれば何もかもが報われる、って。
 だけどそれだけじゃ足りない。足りないの。

「ぁ! ひばりさ、んっ」
「っ、名前っ」

 まるで甘えるようにわたしの首筋に顔を埋めてきて、どうしたんだろう。
 それに名前呼んでくれたのも、いつぶりだろうか。
 ただ彼にされるがまま身体を重ねて、あとに残るのはいつだってただ虚しさだけだ。
 彼はいくらからだを重ねても、心だけは絶対にくれない。
 わたしのものは遠慮も労りも何もなく全部奪っていったくせに、自分のものは何一つくれないなんて卑怯よ。

 荒れた息を整えながら昔よりも短くなった彼の髪を撫でれば目があった。

 わたしはあと何回、貴方の名前を呼ぶことができるのか。
 貴方はいつまで、わたしを必要としてくれるのか。
 わたしは、これからも貴方に縛られ続けるのか。


「名前、愛してる」
「……っ、」

 ――わたしは、一体いつまで、貴方を愛さなくてはいけないのでしょうか。




うたかた

純粋な愛なんて、忘れたわ。

090818/180323
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