出会った時からずっと、彼はわたしを通して、違う誰かの影を見ている。
 普段は冷めている瞳が、初めて会ったその時に色濃くわたしを映していたことに気づいたのは、もう随分と昔のことだ。

 ああ、この人の中には、誰かがいるんだ。

 それもおそらく、あの力強い手に掴むことのできない人が。
 想像するのは容易ではないけれど、彼の瞳の意味を考えれば自然とそうであろうと思えた。

 そして同時に理解してしまった。
 力もお金も知恵もある彼が掴めなかった、今でも忘れられない人がいること。
 わたしがどう足掻いたって、この先もずっと彼の一番であり続ける、敵わない人がいるということ。

――わたしに似ているけれど、わたしと違って、この世で唯一、彼に愛されている人。


「――テゾーロ様……」


 起きているのに目を開けないのだろうか。それとも眠ったままなのか。
 何も纏わない身体にシーツだけを纏って、無防備な姿を晒している彼の頬をそっと撫ぜる。
 好きにさせてくれているのだろう。彼が起きないはずがない。

 ならばこのまま、目覚めないで。

 わたしの醜い感情に気づかれたくない。わたしはこの人の一番になれなくても、わたしを見てくれなくてもどかしい苛立ちや不安を、一生全てを抱えてでも離れたくないのだ。

 ゆっくりと離れた唇が惜しくて、何度も指でなぞる。
 やがて先程までの感情を潜めてもう一度、今度は押し当てた。
 たぬき寝入りはやめて、応えてほしい。


「ずいぶんと……色気のある起こし方じゃないか」


 そういう彼の掠れた声にこそ、たっぷりと色気が含まれている。
 彼の指になぞられる唇はきっとカサついて魅力なんてないのに、しつこいくらいにその指を往復させてわたしを見上げる。

――なんて意地の悪いひとだろう。

 僅かに開いていた唇の隙間から舌で太くて厚い指を舐めれば、見下げている顔がおかしそうに歪んだ。
 その瞳には思わず顰めた顔のわたしが映っているけれど、やはりどこか違うところを見ている気がしてならない。
 カリッと力を入れて指に噛みついた。
 そうすれば彼が指を引き抜いて、わたしの頭を引き寄せることを知っていたから。



世界はまだ息をしている/160915
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