疲れた。忙しい時期だとはわかっていたけれど、あまりにも過重労働が過ぎて普段寝る時間に帰宅するようになってかれこれ2週間。毎年この時期は死んだ目をして隈を作り仕事に行き帰ってきたら最低限の時間でご飯を食べ風呂に入り寝るだけの生活を送る。唯一の救いは昨年と人間関係が変わったことくらいだ。
今日も深夜にようやく家路に着く。幸いなことに明日は休みだからしっかり寝られる。過重労働だが休みだけは確保されてるのは救いかもしれない。いやそもそもこんなに残業させられる時点で救いではないが。そんなことを思いながら家につけば、灯も灯ってない我が家が…あれ、灯消し忘れて家出たっけ?なんかついてるけど…泥棒か?灯付けちゃう泥棒はうっかりが過ぎないか?
は〜もうだめだ、仕事で疲れてるのに泥棒とか信じられない。人生がハードモードすぎる。今更泥棒如きでぎゃあぎゃあ騒ぐほどか弱くはない。こちとら一人暮らし歴も長い上、護身用にと渡された剣も使い慣れてるからいざとなったらぶん投げてやる。そんな気持ちでそっとドアを開け、自宅に足を踏み入れると見慣れた姿があって、肩にかけていた荷物がずるりと落ちていく。音で気付いたその人は振り返って顔を緩めて、おかえりと口にした。

「え、あの、どうして…?」
「最近帰りが遅いと言っていたから、食事でもと」
「ありがとうございます…?」
「…、やつれた顔をしているが、本当に大丈夫なのか?」

これまで見たことがないほど心配そうな顔を見せられ、荒んでいた心がほわっとした。するりと頬を撫でられて、距離から鍾離さんの匂いを感じる。柔らかいけど男性の匂いだ。
匂いは本能で感じる部分が大きいと以前聞いたことがあり、誰かの匂いで安堵するのはその人物が好きだからとも聞いた。間違いなく私の好きな匂いに安堵して、もっと、と欲する本能に疲れた体と頭では抗えそうにない。
ぽすり、背の高い彼の胸に顔を埋めると、すぐにやんわり頭を撫でられ抱きしめてくれた。強過ぎない程度に、しかし確りと体温が感じられるそれにストレスが軽減していくのを感じる。ハグにはその日の1/3のストレス軽減効果があるっていうのは本当だった。

「すみません、少し疲れてまして」
「ああ、顔を見ればわかる」
「…、ごめんなさい、全然会えなくて」
「気にすることはない。忙しいのが終わったら、毎日でも会おう」
「…、鍾離さん」
「ん?」
「今日、一緒に寝てください」

ゆるやかに私の頭を撫でていた手が止まった。思考回路が半分壊れかけてるから何がダメだったか理解が追いつかない。もうとにかく今日はご飯を食べてお風呂に入ってこの体温と匂いに包まれて睡眠をとることが私の欲望だ。お願いします、と付け足せば、鍾離さんは一つ息を吐いてわかったと言ってくれた。
それから私がお風呂に入り、あがった際に鍾離さんが作ってくれたのか、珍しく買ってきてくれたのかは定かではないが温めてくれた料理をいただいた。美味しい料理に更に幸せが満たされる。ここの所ご飯も最低限しか食べておらず、ここまでゆっくりとした食事もできていなかった。
食欲が満たされるとすぐに眠気がやってくるのは人間としての本能なので抗わずに、しかし歯を磨いて翌朝何時まで寝ても良いように目覚ましは掛けずにベッドに潜り込む。社畜になってから引っ越しをした際に買ったベッドは睡眠の質を良くするためにと大きめだったお陰で背の高い鍾離さんと一緒でも狭さは感じない。
ルームランプの灯しかない部屋で、もう眠気も限界な私と口元にゆるく弧を描く鍾離さんはあまりにもムードなどと言うものはなく、まるで子供の世話をする親か兄のような感覚すらある。大変申し訳ないとは思うけれど、久しぶりに会えた恋人に安心しないわけがなかった。
じんわりと鍾離さんの体温を感じると意識の微睡が強くなる。起きたら朝ごはん作って、甘やかしてもらった分しっかり返したいな。結局私はまたこの人の優しさに甘えてしまった。恋人だけど、甘えてばかりで何も返せてない。背中をゆっくりとんとんされるとすぐに寝落ちることは既に知られていて、ああもう落ちる、そんな瞬間に額に熱を感じ、おやすみと聞こえた。

「しょ、りさん…ありがと」
「…、寝言でも礼を言われるとは、本当に律儀だな」


20210312