バーテンダーとして働くディルックは一部例外を除き、お客さんにはある程度の礼節を持って接する。ごく稀にリップサービスがあることもずっと前から知っていた。
たまたまエンジェルズシェアに訪れた際にカウンターに座っていた女性二人組がディルックのことを慕っているのもすぐにわかった。でもディルックはまぁ適当にいなすだろうと思っていたら、「君が好きだ」なんて聴こえて固まってしまう。ただのリップサービスであることくらいわかっていたけれど、なんだかもやもやして酔いも覚めてしまった。お店から出てすぐにディルックに呼び止められたのに、まともに顔を見ることが出来なくて、その日は走って家まで帰って珍しく吐き戻した。
それ以来、可能な限り依頼を詰めるようにキャサリンにお願いをして連日ずっと依頼をこなし続けていた。日にいくつもの依頼をこなしているからか貯金は増えるばかり。懐は暖かいのにどこか虚無感が拭えなくて、ため息が出る。あーなんで意地張っちゃったんだろ。それくらいしてリピーターになってもらうのはお店の繁盛にも繋がることだから仕方がないってわかってるのに。仕事とは言え、ディルックが私以外に甘い言葉を吐いていたのが気に食わないだなんて、子供じみている。いい歳なんだから余裕を持たなきゃ。そう思うのにうまく割り切れそうもない。

あれから1ヶ月近くまともに顔を合わせずに過ごした。蛍からの呼び出しの際にはディルックが居ないことを確認させてもらったし、アカツキワイナリーに関与する依頼は全て断った。ディルックに直接会う可能性があるものは全て避けたい。今顔を合わせてもまともに話せないからだ。こんなにも虚無感を抱えながら過ごしたのは、すごく久しぶりな気がする。
思えばディルックと出会ってからはそれなりに時間が経っていた。最初は数ヶ月に一度顔を合わせる程度だったのに、色々あって今じゃ恋人で。色々の中にはケンカも含まれるのだけど、こんなに色褪せた状態が続くことは初めてだった。もしかして、飽きられてしまったんだろうか。あり得ない話じゃないから、それならそれで受け止めなければ。ずきずきとどこかが痛んで思考が鈍る。
腕に痛みが走って我に返った。すぐに蛍が私を呼ぶ声が聞こえたのと同時に、魔物の咆哮が鳴り響く。咄嗟にガードしたのに全然間に合わなくて、それでもなんとか持ち堪え、一瞬の隙を突いて魔物の弱点を穿った。巨体が倒れるのがスローモーションで見えたが、自身の体にうまく力が入らなくなって、そのまま意識が飛んでしまった。

◆◆◆

「…おはよう」
「……ここ、どこ」
「アカツキワイナリーだよ」

旅人が慌てて君を担ぎ込んだ。
そう聞かされて、小さく息を吐いた。既に処置を受けたらしい全身は重たいものの傷はあまり無さそうだ。諸々の事情を説明してくれたディルックはあまり機嫌が良くないのかいつもより声が低く硬い。久しぶりに話したのになんで機嫌悪いの、なんて聞けそうもなかった。忙しいのに邪魔をしてしまったことも、心配をかけたことも、1ヶ月も避けていたことも、全てが罪悪感になってのし掛かる。心が弱っている時にこの罪悪感は受け止めきれなくて今すぐ自宅に帰りたくなった。
ベッドサイドに椅子を置いて本を読んでいたらしいディルックは、サイドテーブルに本を置いて私をじっと見下ろし、気分は?と聞いて来る。平気とか細く答えることで精一杯だ。

「なぜ僕を避けていた」
「…、」
「依頼を詰め込んだことも、旅人に僕と会わないように頼んでいたこともわかっている」
「……、」

全部お見通しだったらしい。そりゃあ怒るわ。自分が何かしたならいざ知れず、勝手に嫉妬されて避けられて話も出来なかったとなればいくらディルックとはいえ頭にくる筈。私は身勝手なことをしてしまった上に今もどうやり過ごそうか考えてるから、どうしようもない人間だ。自分が悪いことなんて明白なのに、上手く躱そうとしてる。

「…寝言で僕に謝っていたが、あれはどういうことなんだ」
「!な、んでも、ない」
「なんでもないなら謝らないだろう」
「……わすれて、お願い」
「僕が何かしてしまったのなら、話してくれないか」

ああもう、言い逃れなんて出来そうもない。悲しげに揺れたディルックの瞳に申し訳なさしか湧いてこなくて、ゆっくりと体を起こした。ディルックは慌ててそのままで良いと口にしたけれど私が首を横に振ると、椅子から立ち上がってそっと背を支えてくれる。こんなに身勝手なことをした私に優しくしなくて良いのに。
ベッドに腰掛けたディルックに顔を向けるのが、少し怖かった。だと言うのに、するりと頬を撫でられて嬉しくなってしまったのだから私は現金すぎる。

「君と会えなくて、話せもしなくて寂しかった」
「…ごめんね」
「謝らなくていい。それで、何があったのか話せるかな」

ディルックの手はいつもあたたかい。いや、そもそもディルック自身がとてもあたたかくて優しい人なのだ。だからこそ好きになった。いつもひとりで歩いてしまうのが心配だった。孤高の強さを持ちながら優しさも忘れていないディルックが好きだ。
じっと見つめられてようやく決意を固めた。ゆっくりゆっくり、ひとつひとつ丁寧に事のあらましを説明する。最後にごめんなさいと謝ることも忘れない。そうして全てを伝え終えてすぐ、ディルックはくすりと小さく笑った。

「嫉妬だなんて…君、案外独占欲があるんだな」
「普通にあるよ。今回はその…ディルックは女遊びとかしないと思ってたから」
「しないよ。君がどう聞いたのかわからないが、あの二人の女性には付き合っている人はいるのかと聞かれてね」
「え…」
「どう告白したのか、その時のセリフをせがまれたんだ」

つまるところ、君に対する気持ちを述べたまでだ。
柔く笑ってるディルックに対して、顔に熱が集まった。わ、私はなんて勘違いをして勝手な振る舞いをしてしまったんだろうか…!あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたい。言葉にならなくて、でもディルックから目が離せなくて「あ、え、…う」と繰り返していたら、不意に抱きしめられてあたたかくて良い匂いに包まれた。少しの甘い匂いが心地良い。
ゆっくりと後頭部を撫でられて、耳元で囁かれる声は低くてどきどきする。

「僕が愛しているのは君だけだよ」
「う…わ、私も、」
「それはもう十分伝わってる」

珍しく機嫌が良いディルックは笑みを浮かべてる。久しぶりに顔を合わせて話をして、心の虚無感が埋まっていく気がした。ああそっか、私相当ディルックのことが好きなんだ、なんて当たり前のことを実感する。
そもそも私と付き合い始めてからディルックのリップサービスが無くなっていたことも、彼女がいるという噂話が広まっていたこともこの数日後に知ることになって、嬉しさと恥ずかしさでどんな顔をしたら良いのかわからなくなったのは言うまでもなかった。


20220103