「じいちゃん家に風鈴があってよ、ガラスのと鉄のじゃ音がちげーんだよなァ」ふうんって、かわいさの欠片もない返事しかできないわたしは荒北くんのこめかみから滑り落ちていく汗を、しょっぱそうだなあと眺めていた。そっと風が吹いて、プラスチックの風鈴が、音も立てずに揺らめく。荒北くんは、じっと目を細めてそれを見ていた。わたしは彼の横顔を閉じ込めるようにゆっくりまぶたを閉じる、あつすぎる陽の残像が浮かんで、そして。

 ぎゃっと叫びそうになった、五分おきに設定したアラームはもう一通り鳴り終わったようで、起床予定時間をとうに過ぎた時刻を示すケータイは沈黙を貫いている。
 風鈴なんて。
 どうして思い出したのか、理由が季節のせいだとするならば、それは絶望にも等しかった。まさか毎年、こんなふうに。やけに重たく感じる体を起こし、冷蔵庫から炭酸水を取り出すと一気に飲み干した。
 過ぎた時間とともに薄まっていくはずの記憶が、ふとしたとき色濃く蘇る。一度は忘れたはずの、忘れなければならない日々。

 やるはずの予定だった家事はぜんぶ投げ出すことにした。こんなときは外に出るに限るのだ、ひとり家にいたところでろくでもない思惟ばかりしてしまうのは容易に想像がついた。あてもなく、あてもなく。目的地なく歩くことの難しさは徐々に消えていって、来た道がわからなくなる頃。湿った風が頬を撫でた、どこからか、チリン、と透明な音が耳を掠めた。
「あ、ガラス」
 咄嗟にでた呟きが、心臓を握る。
 あれは、夏祭りの屋台だった。りんご飴についてきた、おまけの小さな鳴らない風鈴。はじめて二人で出かけた夏だった、張り切りすぎていると思われるのが嫌で浴衣を着られなかった。なのに浴衣は? って柄にもなく言うから、来年はって後悔して。
 どうしたって鮮明に思い出す。きっとこの先いつまでも、隣に誰がいても誰かがいなくても。