花紺青


なんとなく朝から体調が優れなかった。
そう友人と教師に伝えると一度保健室に行って来なさい、と言われた。寝たら治るかもしれないし、親を呼ぶようなことになっても一度保健室で休んでからのほうがいいな、と私は保健室に向かった。
保健室のドアを開けると部屋の中は不思議と張りつめていて、空気清浄機でも動いているのかと思ったらそういうことでもなかった。空気清浄機のスイッチは入っておらず、使用中のランプは点いていない。
保健の先生を探したが、姿が見当たらなかった。テーブルの上に、「ただいま、不在」の札が置かれていた。テーブルを囲んで、いくつか椅子が並んでおり、そこに男子生徒が一人いるだけだった。その生徒が醸し出す、清冽な圧迫感みたいなものが保健室をどこか異質な空間に見せており、何かがざわめくような感覚が、私の体内を走った。私は午後の陽射しの中でうたた寝している彼のことをもっとよく見ようとした。時々、彼の頭が前後に振れる。その度に肩の長さまである彼の花紺青の髪がゆらゆらと揺れる。私は、しずしずと歩き、彼の斜め前の席に座った。横顔にほつれ毛がかかっていて、制服姿でなかったら、私はきっと、綺麗な女かなにかと見間違えただろうと思った。体温計で体の温度でも測っているのだろうか。数分経ったが、計測完了の電子音は鳴らず、私はただ彼をひたすらに見つめていた。すぐには起きず、だんだんと私の彼に対する集中力は薄れていった。木陰の葉っぱが作る紙切り細工のような影が、床に落ちている。保健室の前には視界を遮るくらいに大きな、樹が一本立っており、それが陰気にも思えるし、暑い季節には涼しげな魅力にもなるのだった。端正な彼の顔にも、もれなくその影はかかっていた。私は息を吐き、少し足を広げて伸びをした。退屈な気分がやってきて、私は壁掛けの時計で時間を調べた。
昼休みが終わって、授業が始まり、それからまだ20分。私は、立ち上がり、何をするわけでもなく、うろうろと歩いた。ベッドが空いているので、眠ることにしようか?
身だしなみチェックのための全身鏡があり、そこを横切った時、自分の姿が映った。思考がストップしているみたいな、誰にも言えない深刻さを抱えているみたいな、固い表情をしていた。もっとよく近づいて、観察する。鏡に向かって微笑んで、上目遣いをする。肌あれはよくなったかな、などと自分の顔を調べていると、鏡越しに例の男子生徒の頭が起き上がるのを察した。遠くの景色に心をとらわれている時のような、眩しそうな目つきをして、彼は前を見ていた。鏡に近づきすぎている私の存在に気づき、はっとしたようだった。機敏で、警戒するような反応を示した。
私は話しかけられるのを待って、正面の椅子に座る。彼は体温なんて測っておらず、座っていただけらしかった。私も真似してそうした。彼は、神代凌牙、というのだろう。名前は知っている。なぜならば、有名人だから。喋っている彼を私はあまり見たことがない。いつも同じ仲間と行動を共にしている。今は大人しそうに見えても、彼がその不良グループのリーダーらしかった。「シャークさん」とその仲間の男子たちは呼んでいた。硬派なのか、神代凌牙を含め彼らが女子と仲良くしているという話はおよそ聞いたことがなかった。
彼は無音のあくびをし、うっすらとたまった涙でさらにしっとりとした印象になった。その目元を見ていると、とても深い、暗い闇を抱えているように感じた。
「おい、」
彼が声をかけてきた。
「俺の顔に何かついてるか?」
恥ずかしがっているとか、露骨に嫌がっているとか、そういう感じじゃなく、いや、本当はそうだとしても私にはそうは思えず、何か、純粋な疑問を投げかけられているという手ごたえがあった。謎を解きたい、というシンプルな欲求のようなもの。それがとるにたらない相手と物事に対するものであっても。
「別に、ただ見てただけ。」
「何か言いたいことがあるんじゃねェのか?」
私の答えはぱっとせず、逃げ腰だった。神代凌牙は、居ずまいをただし、背中をちゃんと背もたれにつけた。椅子を前に引き、距離がわずかに近づいた。私は首を振った。「本当に見てただけだよ」「だからどうして見るんだ」「見たいと思った」「意味がわからねェ」神代凌牙は、頭を働かせない私から答えを導き出そうとした。私が黙ると、向こうも黙った。でもそれもしばらく経つと、飽きて、彼はまた腕組みをして眠りに入ろうとした。
「神代くん、私の名前、知ってますか?」
神代凌牙はゆっくりと顔を上げ、私のほうにちらっと視線を投げた。首を振った。耳の後ろに髪の毛を撫でつけた。
「興味ないな。」
私は、自分から名前を名乗った。▲▲●●です、と言った。一応、隣のクラスの学級委員なのだけれど。
「そういえば、学年集会の時に、前のほうで点呼かなにかやってたな。それは知ってる。」
彼はぽつりと言った。その後、
「寝る。」
と言った。仕切り用のカーテンをずるずると引っ張り、左のベッドスペースに入ってしまった。私は迷ったが、自分も寝ることにした。三つあるベッドのうちの真ん中を選んだ。
上靴を脱ぎ、靴下を脱いだ。スカートにしわができるのが嫌だったが、気にしないようにした。マット製の敷布団と軽い肌掛け布団。固いくらいにノリの効いたシーツがついており、私はその間に滑り込んだ。静寂。白々とした部屋の天井を見つめている。
隣のベッドから、寝息くらいは聞こえてくるかなと思ったが、それもない。何の気配もなくて、もしかしたら神代くんはふっと消えてしまったのかなと錯覚するくらいだった。そんなはずはなく、私は今、彼の隣のベッドに寝ている。嬉しく、笑いだしたいくらいだったが、私は声を発しないように心掛け、掛け布団の隅っこを、強い力で握った。





花束