〇〇記念日


コンコンコンとノックが三回鳴った。こんな時に誰がどんな用事なのか知らないが俺は無視をすることにした。何か咎められても「デッキの調整に集中していた」と言えば済むことだ。数分時間が経過した。なんとなく相手は去ったのだろうと思った矢先にドアノブがガチャと回される。鍵かけてなかったかと思いつつ確かに先ほど大会運営のスタッフと打ち合わせをしていたばかりで出口で見送ってから鍵をかけることをしなかったかもしれない。さすがにファンなことはないだろう。控室に入って来れるとしたら大会運営の奴らか、同じ立場の、対戦相手になるが。俺のデッキを盗みに?探りに?来たのか。ゆっくりと確実に開かれるドアを静かに眺めながら、手元にあった《ギミック・パペット−ネクロ・ドール》をデッキの上にゆっくりと置いた。現れたのは女だ。手入れされている髪が空調でさらりと靡き、光がつやつやと反射している。
「おめでとうございます。」
テーブルを挟んでその向こうにやってきた▲▲●●がそう言った。思わず「何が?」と訊き返しそうになったが、スタッフが用意したミネラルウォーターと共に飲み込んだ。俺はいま一人でソファーを広々と有意義に占領していた。テーブルの上にはペットボトルのミネラルウォーターとデッキ。俺はまさにこれから行われる大会のためにデッキを調整している真っ最中だ。大会前のこの静かな祈りのような時間に何を間抜けな顔を晒しに来たんだ。
「それを言うのはまだ早いのでは?」
すこしだけ怒りを含めて言った。煽っているつもりなのか皮肉っているのかそんな奴には見えないが、大体俺は入室を許可していない。立派なルール違反だ。どこぞの鮫とデュエルをした時のように反則負けにしてやることだって出来る。空調で温められたペットボトルがパキと軋む音を鳴らした。まるで俺の怒りに呼応したようだ。しかし●●は微笑むばかりで俺の気持ちなど微塵も理解はしていないようだ。
「Wさんのデッキは大体わかっているから今更盗み見ようだなんて思いませんよ。」
なんだこいつ。やっぱり煽りに来たのか。座っている俺は目の前に立つ●●を睨み上げる。初めて挨拶した時、廊下ですれ違った時、普通だったじゃねえか。まあ俺も人のことが言えた口じゃないが。
「ただ、お祝いの言葉が言いたくて。あと、これも渡したくて。」
は?だから何のお祝いだってんだよ。●●はコトと何かをテーブルの上に置いた。ラッピングこそされていないものの透明な袋に入っている、キーホルダー。キーホルダー?その袋の裏には四つ葉のクローバーのシールがつけられている。キーホルダーには大会ロゴと今日の日付が刻んであるいわば記念品だ。こういうのを買うのはあくまでも客側で俺たちはそんな買わない、だろ。何故キーホルダーを渡されたのか分からず、きっと俺は変な顔をしたのだと思う。眉間にしわが寄っていたのは確実なのか変に眉の上の筋肉がじんわりと痛い。あはは、と●●から笑う声がした。●●が笑う度に髪がさらさらと揺れている。「そういう顔もするんですね」と言い、また●●は笑った。
「ごめんなさい、勝手に入ってしまって。」
笑いながらで誠意は感じられないが●●は急に頭を下げた。ごもっともだ。
「いえ。ただ僕以外の人だと反則だぞ・って襲ってくるかもしれないか、ら、」
俺は思わず言葉が途切れた。目の前の笑っていた女がみるみる赤くなっていったからだ。まるで、握手会やサイン会で、会うような、ファンみたいな。なんでそんな林檎みたいに真っ赤になって目を逸らすんだ、この女は。室内の温度でも上がったのかとエアコンのリモコンに表示してある室内温度を見る。21℃。確かにすこし暑いのかもしれない。これ以上長居をするつもりもないだろうが、俺はそのままリモコンを手に取って温度を下げた。ピピピと高い電子音が鳴り、自動調節に切り替える。急な室内の温度変更にエアコンから勢いのある冷たい空気が流れ出した。ひんやりとした空気が心地よい。静かに息を吐くと、●●が前髪を気にして直していた。直している爪先がやけにきらきらと光って見えるのはネイルをしているせいか。●●は何度か前髪を撫でて「戻ります」と言った。やっとか。なんて、悟られてはいけないから「ありがとうございました」とまるで善戦したデュエル後の相手のように言いながら見送りついでに、ドアを開けてやった。一歩、ドアの向こうへ●●が出たらすぐに閉めて鍵をかけて、静かなデュエリストチャンピオンとしての俺を作る時間に充てよう。そう思っていると、出口のあと一歩のところで●●が振り向いた。近い。思わず上半身をぐっと伸ばして逸らせた。やめてくれよ。何処で誰が見てるかわからねぇんだから。
「Wさん、」
「はい?」
この状況で続けるのかよ。俺は手を伸ばして扉を開けていて、●●は俺の胸元にちょうど肩がある。顔が、すぐ目の前にある。アイシャドウなのかなんなのかキラキラしているのがよく見える。ただドアを開けてやっているだけの紳士的な図のはずだが、もしすっぱ抜かれたら確実に誤解を招くだろう距離だ。早く戻ってくれねえかな。
「覚えてませんか?」
何をだ。ほんの少し悩んだ時間が、果てしなく感じてしまったのか●●はすぐに「なんでもありません」と言った。そして「キーホルダー、使って下さいね」と手を振って廊下を小走りで去って行った。手を振り返してやりながら、●●の姿が見えなくなるまで確認して扉を閉める。鍵も次こそはきちんと閉めた。やっと、やっと一人だ。大きなため息をゆっくりと吐いて、ソファーに座ると●●が残していったキーホルダーを手に取る。クローバーのシールを剥がすと、やはり今日これから行われる大会の記念キーホルダーだ。そして、まだ何か袋に入っていることに気づき、取り出した。小さなメッセージカードが添えられ『W月W日、おめでとうございます』となんともまあ可愛らしい文字で書かれていた。ああ、だから「おめでとう」なんて言ってきたのか。まさか対戦相手からそんなことを言われるとは思ってもみなかった。4月に入り、やけにファンたちが騒がしいと不思議に思っていたが、このことだったのか。最後の一文は何だ。『わたしもWさんみたいに強くなれましたか?』あ?「わたしもWさんみたいに強くなれますか?」脳裏にセピア色した●●が現れ、喋っている。「強くなったらデュエルしてくださいね」「ええ、もちろん喜んで」「もし決勝戦まで進めたら、」「何かな?」「勝った時に言います」「それでは決勝戦でいつか会えることをお待ちしていますね」なんか、こんな会話したような。なんだよ。結局煽りじゃねえか。上等だ。俺は何故だか途轍もなく身体が熱く燃えていた。握り締めたキーホルダーの金具も俺の熱で熔けるように熱い。部屋の温度も上がったのか、エアコンから冷たい風が流れて俺を冷まそうとしている。いいぜ。とびっきりのファンサービスをしてやるよ。敗北なんてありえない。勝利の二文字以外要らねえ。





花束