知人B(下)


今日は、璃緒は学校を休む日だ。退院したとは言え、一年も入院をしていたのだから定期健診があり、それが今日だ。俺も付き添いで一緒に行くと言っていたが「これぐらい一人で大丈夫」と無理矢理家を追い出されてしまった。丸一日かかるらしい健診だから一緒に居てやりたかったが、本人はだからこそ気をつかって俺を送り出したのだろうなと思い、その気持ちを汲んでやることにした。
今日は璃緒がいない。●●は知っているのだろうか。きっと璃緒のことだから話はしているのだろうが。昼休みの時間にふと廊下を歩いてみる。いつも璃緒と話している廊下の角まで来て立ち止まった。もしかしたら、その角から●●が飛び出してくるかもしれない。璃緒が休みだからと、俺に会いに。いや、ないだろ。何を理由に俺に会いに来るんだ。いつも挨拶をされているが、たまたま会った時だけでわざわざ俺に会いに来てまでしていたことはない。今回だけそんな都合よく。ずきりと胸が少し痛くなった。でもいつも璃緒と居るのにアイツが休んだら●●は一人で過ごしているんじゃないか?●●の交友関係なんて知らないがいつも璃緒と二人で話しているのは事実だ。●●はどんな学校生活を送っているのだろうか。俺にでさえ、あんなに綺麗に微笑んで、いつも璃緒と大きな声で笑うの奴なのだから、きっと一人でいることはないのだろうとは思う。やはり女子たちとツルんでいるのだろうか。がらりと教室の扉が引かれる音がして、目線を移すとそこには●●がちょうど出てくるところだった。他のクラスメイトたちも一緒にいてやはり●●は一人なんかではなかった。安心と同時に灰色の靄のようなものが俺の心臓にまとわりついた。クラスメイトたちと楽しく笑っている●●の笑顔はとても眩しいのに俺の心の闇は更に濃く、深くなる。そのグループの中にひと際背の高い男子がいるのが見えた。女子もいるがその男子が姿を現してから灰色の靄は真っ黒な波に変化して俺の心臓を攫った。クラスメイトだ。ただのクラスメイト。そう自分に言い聞かせながら、虚ろな目で●●を見つめる。俺を見つけないでくれ、と先ほどとは真逆のことを考えていたら、そいつが●●の頭を撫で、●●が小さく笑っている。いや待てよ。そいつ誰だ。気付けば足が勝手に前に進み、●●の前に飛び出していた。案の定●●は大きい瞳を、更に大きく丸くしてぱちくりと俺を見ている。急に不良おれが現れたことに驚いたのか、クラスメイトたちは小さい悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように一斉に消えた。あの男子も静かに睨む俺の目を見て、びくりと肩を揺らして後ずさるようにしていなくなった。気付けば俺は取り残された●●と二人っきりになっていた。ただあの男子が気に食わないと思っただけだったのに、身体が動いてしまい訳の分からない状況を作ってしまった。俺らしくもねえ。目の前に●●がいる。こんなに近くに●●を見るのは、璃緒に紹介されたあの日以来だ。●●以上に自分の行動に驚いていた俺は「よお」なんて苦しい挨拶を絞り出して●●を見下ろした。長い睫毛が数回上下して「おはよう」と●●がぽつりと言った。
「今、昼だろ。」
「あ、うん。そうだよね。」
璃緒といる時のように反射的に少し強めに言ってしまったかもしれない。時間帯なんかどうでも良くて何か話そうとしただけなのに。あははと眉を下げながら笑う●●がとても新鮮に見えた。
「でも学校で友達と初めて会う時って、なんか"おはよう"って言っちゃわない?」
「とも、」
「?」
当たり前のように●●はハッキリと言った。璃緒の兄としか認識されていないと思っていたのに友達、だと。欲しいカードが手元に来た時と似たような感覚がする。思わず変な音が口から出た。やばいと思いつつもどこかその単語には納得がいっていない。行き場のない無念さが攻撃表示されたモンスターの手のように自分を押し包んでくるのがわかる。名も知らないモンスターに握り潰される前に●●に何か言わねえと。
「と、もかく、あー、なんだ、」
「なに?」
うまく言葉が出てこない。眼球をぐるぐると回し答えを探すがそんなものあるわけがない。その間にも俺の口からは「あー」だの「うー」だの目に余る時間稼ぎが続く。くそ何を話たらいいのかわからねえ!まるで拮抗状態の続くデュエルをしているみたいだ。自分の不甲斐なさがイラつきに変わり頭を掻きむしる。
「そういえば璃緒ちゃん大丈夫?」
●●がまるで何を悟ったかのように言った。好機と言わんばかりに俺は「ああ」と頷いた。
「ただの定期健診だ。別に体調が悪いって訳じゃない。」
「そっか。なら良かった。」
ほのぼのとした安心が顔に笑みとなって浮かんでいる。わずかに●●の頬が赤みを帯びて、とても柔らかそうに見えた。よく笑うふっくらとした表情がいつも璃緒と笑っている時のものだと気づくと、今はそれが自分に向けられていることに喜びが海のように溢れてくる。優しく細められた目も、胸に淡く喜びがさざ波のように押し寄せてくる。気付くと、手を、●●の頬に伸ばしていた。びくっと後ずさる●●が見えた気がしたが、俺の心はすっかりモンスターに握られ、俺の手も乗っ取られている。そのままモンスターに従って、頬を親指で押した。ぷにっとキメの柔らかい桃色の肌だ。予想通りの感触に俺は嬉しくなってここが学校であることをすっかり忘れていた。すると●●の手が上げるのが見えた次の瞬間に俺の手を強く握って、自分の頬から引き剥がした。それで我に返り、●●の目を見ると恐怖の色が浮かんでいたが、驚きのほうが勝っているのがわかる。細かい泡のたつ波のように揺れていた。
「な、なに、して、」
俺が触れていた頬を確かめるように自分の手を添えている。顔だけではなく耳までも真っ赤にさせた●●が目の前に居た。魔が差したとは言え、とんでもないことをしてしまった。さっきから自分の思考とは別に身体が動く。どうしてこんなにも●●が気になるのか。俺のものにしたいと思うのか。謝ろうと口を開いた瞬間に●●も口を開いた。そして、
「意識しちゃうじゃん!」
と、にかっと琥珀色に輝く太陽のように笑った。予想外のダイレクトアタックだ。この間、璃緒にデュエルが苦手だと話していたのは噓じゃねえか。ばくばくと俺の心臓が激しく音を立てる。一気に体温も上がり、身体が顔が熱い。するとどこからか小さく●●を呼ぶ声がした。その声に●●が振り返ると先ほど散って行った女子数人が弁当箱が入っているらしい保冷バッグをぶらぶらとさせている。そうだ今は昼休みだった。その女子たちを見て●●は「今行くー!」と大きい声を出した。もう行くのか。残念、という気持ちがぽつりと俺の心に青色のインクを落とした。●●は小さく笑って「またね」と言った。そして「今度は凌牙くんも一緒に食べようね」と拍子抜けするくらい当たり前に言った。女子たちの元へ駆けていく●●の背中がだんだんと小さくなっていく。女子たちと合流してから、すぐ角を曲がってしまい姿が見えなくなってしまった。
もし俺がこの世界の住人ではなく魔法的な何かを使える存在だったら、俺自身がモンスターのような魔物だったら、俺の傍を離れないように連れ去って、俺のものにできるのに。なんて。なるわけないか。




◎わんだぁさん、リクエストありがとうございました〜! テーマソングとして頂いていたbacknumber「高嶺の花子さん」をたくさん聴きながら、一目惚れがわからないなりにいろいろと考えながら書きました。楽しんでもらえたら幸いです。またいつでも遊びに来てくださいね!(2025.4.10)



花束