私は黙ってその背中を見ていた。
深い紺色に沈んだ空の下で、温い風が白衣を少しだけ揺らしている。
彼の武器になれない私には、どうすることもできない。かける言葉も見つからない。
彼と私は幼なじみであるだけ。互いに職人だから、パートナーにはなれない。このところの騒動で私も受け持つ授業が増え、彼は任務を任されることが多く、顔を見ることすら少なかった。
私は蚊帳の外だ。
涙の跡の残るマリーを見るのは忍びなかった。彼は行ってしまう。マリーを連れて。彼は振り向かないだろう。私がいることに気づいてすらいないかもしれない。幼い頃から抱いていた淡い恋心は、手放した方が楽だろう。
その背中も、いまは酷く遠い。
「彼はいつも一人だ」
そう言ったミーラと、目が合った。分かっている。そんなこと、私が一番分かってる。先輩が、一瞬私を見たけど、気づかないふりをした。私は惨めだ。そんなこと分かっている。そんなこと、みんな分かっている。
私じゃ、だめだった。私はなんにもできなかった。マリーの言葉を聞きながら、きつく目を閉じた。
ああ、私は、蚊帳の外にいる。先輩が、気を遣ってくれただけ。それでも、こんなに惨めな思いをしただけだった。もう、言葉だって届かないだろう。一歩、また一歩と、離れていく。帰ってくる頃にはもう、何もかも変わってしまっているだろう。
手を振っているマリーの横で、彼が振り向いた。足元ばかり見ていた視線を上げるのは憚られたけど、右腕が動いたから仕方なく視線をゆっくり上げた。目が、合う。狂気を孕んでいるときとは違う。まっすぐ、その視線は私の双眸に向けられている。彼は僅かに微笑みながら右耳に触れた。覚えがあって、私も右の耳朶に触れた。人差し指と親指に感じる固い異物。ぼうっと眺めていたその口が、ゆっくり動いた。マリーが反応しなかったから、音は発せられなかったのかもしれない。
「…待ってて」
私はぼんやりとその口が伝えようとした言葉を呟いた。多分、そう言った。彼はもう一度優しく微笑んで、背中を向けた。私の指は、彼のくれたピアスをはめた、彼のつけた傷を感じている。
「…ナマエ」
ふたりが見えなくなっても、誰一人として動かなかった。静かで重い空気を裂いたのは、先輩だった。
「待っててやれよ」
先輩はいつになく真面目な表情で、私は多分無表情だ。
ポケットから取り出した何かを、先輩は私へ向かって投げた。放物線を描き私の手のひらに収まったのは、馴染み深い煙草だった。
一本、取り出して、咥えたら、先輩が火をくれる。それはとても苦かったけど、彼の匂いがした。そう思ったら、途端に涙が溢れたから私は目を閉じた。ぽんぽん、と背中を叩く先輩の手は温かい。
二番、いや三番煎じくらい。劣化の一途を辿ってる