彼の様子は全くいつもと変わりなくて、それすらなんだか妬けた。さっき生徒らの話しを聞いてしまってから、無意識に眉間に皺が寄っているのが分かる。彼女の明るい声に私は大人だというのに嫉妬した。あんな子供に抱きつかれるくらいなんだっていうんだろう。自分の心の狭さにさらに苛々が募りそうだった。

「ナマエ」
「シュタイン先生」
「どうしたの」

広げた手のひらが迫ってきたと思ったら親指が眉間に触れ、皺をぐりぐり伸ばすように動いた。ああまた気づかれた、そう思ったら自分が酷く子供に感じられる。

「言いたいことがあったら言って」
「…ないよ」
「聞きたいことは?」
「…ううん」
「言ってやりたい皮肉は?」

やっぱり彼には全部お見通しのようで、私はそらしていた視線を彼に向けた。優しい顔で笑いかけられると、どうしていいか分からなくなる。

「ナマエ」

急かすように名前を呼ばれて、眉間に当てられていた親指を離してその手は頭を撫でる。ずるい。いつもそうだけど。なんでこんなに私は余裕がないんだろう。なんであんなに彼は余裕があるんだろう。

「わ…若い女の子に抱きつかれて良かったね!」

ドキドキしながら精一杯の皮肉を言ってやったけど、やっぱり目が見れない。それでもやっぱり温かな手のひらはゆるゆると頭をさする。黙っているのに耐えられなくてちらっと視線をやった。

「…ナマエ」

その声で名前を呼ばれるのが苦手なのに、彼はよく私の名を呼ぶ。低くて甘ったるい吐息に覆われた文字がくすぐったくて仕方ないのに。

「よく知ってるね」
「…本人が嬉しそうに吹聴してた」
「そっかそっか」

軽い口調に言い返してやりたかったのに、廊下の向こう、一方の曲がり角からざわめきが近づいているのに気づいた。まだ人影は見えない。彼も気づいたようで一瞬そちらを見た。

「シュタ、」
「ナマエ」

口角を上げた嫌な笑みに、彼が何かを企んでいることに気づいたけど遅かった。壁に手をついて、私は背の高い彼と壁に挟まれてしまう。ざわめきは、もうすぐそこ。

「ナマエは俺だけ見ててよ」
「ちょっと、なにを」
「それから、名前で呼んで」

彼は背中を丸めて、壁についた腕を曲げる。彼の片手が私の手のひらを捉えた。

「ちょっと、」

首を曲げて、噛みつくように唇が奪われる。抵抗するように肩口に当てた手に力は入れられず、私はされるがままでいるしかできない。私は休むことなく蠢く舌に翻弄されっぱなし。

「っん、ふら、」
「なに?」

触れたままの上唇。皮膚に遮られてるのが嘘みたい。触れ合っている唇から、手のひらから、肩口から、じわじわ溶けて混ざり合ってしまう錯覚。抗議の言葉を言う前に、聞いただけの彼の唇が塞いでしまう。なぞられた舌が、歯列がくすぐったい。どっぷり浸かってしまいそうだった思考を引き戻すのは、近づく生徒らの声。

「っふ、フランケン、」

ざわめきがぴたりと止む。私の方からは確認できないけど、きっと角を曲がろうとしたのだろう。開閉される度に漏れ出す音が、静かな空間に響いている気がした。すぐに、走るような足音が遠退いていくのが聞こえる。小さく音をたてて、彼はやっと唇を離した。

「ちょっと、なんで見られるようなこと」
「見せたんだよ」
「どうして、」
「ナマエを不安にさせたから」

こともなげに言い切った彼は、耳もとに近づく。

「抱きつかれて興奮するのはナマエだけだよ」

耳朶に触れそうな距離でさらりと言われて、私は肩を叩いた。