彼を愛するということは、報われなくて悲しくて辛いことだと思っていた。それでもどうしてこの目を逸らせないのだろう。呼び止めようと伸ばした指が、彼の鍛えられた上腕三頭筋に触れたとき気づいた。彼に愛が無いなんて、思い違いだということ。
そのグリーンイエローの瞳の奥に、愛は彷徨っていた。
「…シュタイン先生」
「…どうかしましたか?」
「ええと、これ、時間割り変更の連絡です」
「どうも」
一瞬揺らいだようなその瞳は、すぐにいつもの無機的なものに戻ったしまった。プリントを受け取る指も、自然に上がる口角も、いつも通り。
その顔に疾る傷は、何を見たくて開いたものなんだろう。何を捜して、切り開いたんだろう。継ぎ接ぎのその奥、一番初めの綻びは、いまどうなってる?
「…シュタイン先生」
「はい?」
「…どこか具合でも良くないんですか?」
遠回しな台詞。けれど、気づいたと暗に示す、貴方を探る指先のように。
無言の瞳は、饒舌に見えて。
重ねた継ぎ接ぎの上、なぞれば、古傷の感触を捕まえられる?
そうすることを求めている気がして、私は左頬に疾る継ぎ接ぎをなぞった。彷徨うそれは、道を知らないのか。それとも、躊躇ってばかりいるのか。両方かな、と思った。
「…ナマエ先生」
「私は、好きですよ。シュタイン先生のこと」
じわりと染み出してくる。古傷が、流す涙が、この指の先まで滲んでくる。この足跡を辿ったら、多分、外に出られると思うから。
「ナマエ先生」
「なんでしょう」
「都合良く、取っちゃいますよ」
私の目を覗き込むように、背を丸め首を傾いだ彼は笑っている。いまならまだ間に合うと言っている。引き返すならいまの内だって、逃がしたくない手が躊躇っている。
それが愛なのか、そうでないのかは、きっと誰にも分からない。標本が無いから分からない。けれど、私のこれは多分間違いなく、愛だから、それはそれでいいのだろう。
「どうぞ」
継ぎ接ぎをなぞる手を捕まえたその手は、いままさに愛を捕らえようとしているのだと伝えたい。その身体の中を幾ら探っても、見つからないものを、見つけようとしているのだと伝えたい。拙いその手を、私の拙い手が繋げば、私をも引き裂くだろう。そのとき覗けばいい。捜してるものを、一緒に捜そう。
乱暴に眼鏡を外して、噛みつくように奪われた唇は、愛が甘ったるいものだと伝えられるだろうか。
「…ナマエ先生」
返事の代わりに目を見た。下がった眉尻、不安げに揺れる目は、私を見ている。
「愛、ってなんだか、知ってます?」
誰もいない放課後の、静かな廊下、足元にはプリントが数枚、彼は私に尋ねる。
「私が、貴方を想う気持ちです」
分からない、と彼は呟き、けれどその手は私の足に触れる。内股を這い上がる手にはどんな意味があるのだろう。愛が伴わない行為は、ただの排泄を思わせる。私の愛を注ぎ続ければ、いつか彼の中を満たして溢れるだろうか。
「私は、好きでもない人に触らせたりしませんから」
広い背中に腕をまわす。私に寄りかからせるように身体を引き寄せた。彼がよく吸う煙草の匂い。苦い匂いの奥の、体臭。鍛えられた胸筋に顔を寄せる。
それはとても温かくて心地よい。
「シュタイン先生は、私に触られるの、嫌ですか?」
「…いいえ」
本当に? と聞いたら彼は掠めるように唇を触れ合わせた。
形のないもの、目に見えないもの。多分それらに、少し鈍いだけ。
彼が生徒たちに向ける視線や指導、その根底には愛が根付いていると、私は思う。
「いつか、分かりますよ」
答えは、すぐそこにある。もう彼はそれを手にしている。見上げた彼は少し寂しそうに笑って、太ももに触れていた手をひいた。
青い亀裂/GO!GO!7188でつぎはぎぃ!ってなった結果