目を閉じると、瞼の裏に浮かぶのはいつだって彼女だ。早く帰りたい。早く帰らなきゃ。彼女の姿を、彼女の匂いを辿って。任務の度に彼女から借り受ける、十字架のネックレスを服の上から握り締めた。荒く乱れた呼吸も、早鐘を打つ心臓も、少しずつ落ち着いていく。彼女が言う、おかえりなさいを早く聴きたい。俺の心まで見透かして、困ったように笑って言う、おいでを早く聴きたい。君は此処にいないけど。脇腹を押さえていた手のひらを見た。真っ赤だった。言うことを聞かない足に鞭打ちながら、進むこの脳裏に、彼女のことばかりが浮かんで満ちていく。走馬灯なのかと考えてしまう自分を嗤う余裕はない。彼女への執着は即ち生への執着となった。それが良いことなのか分からなかったけど、何気なくそう言ったとき彼女は良いことだと言って、綺麗に笑った。彼女さえいなかったら、死ぬことがこんなに怖いとは感じなかっただろう。それも運命だと思っただろう。こうして、無理に足を働かせることもなかっただろう。もつれた足は、日陰を作る大きな木の幹の近くで限界を訴えた。仕方なく、背を預け腰を下ろす。もう立ち上がれない気がした。瞼に映る彼女が、どんどん遠退いていく。どんどん色褪せていく。息が荒くなる頬を宥めるように風が流れた。彼女の匂いを連れてきた気がしたけど、気のせいだろう。人手不足の死武専から救援が送られてくるには早過ぎる。それに彼女には講義がある。送られてくるなら別の先生だろう。彼女の十字架のペンダントを直に握り締めたい衝動に駆られたけど、止めておいた。両手とも、血で随分汚れている。
このまま、動かなくなったら、君は怒るだろうか。
意識は混濁するばかりで、それでもそよ風は彼女の匂いばかり運んできて、眩暈がした。
「フランケン」
不意に聞こえた幻聴に口角が上がる。帰らなきゃいけないんだって。十字架には、災いから身を守るという謂われがあるらしい。それで彼女はこれをつけ、俺は彼女のものを欲しがる。
あなたをまもってくれるように。
彼女の声を、言葉を、どうして忘れられよう。このまま、動かなくなったら、君は怒るだろうか。
「もう大丈夫」
頬に触れたそれに違和感を覚えて、重い瞼を持ち上げた。ブルネットの髪と、白い指先。目線を上げつつ、頬が緩む。気のせいなんかじゃなく、ちゃんと感知していたのだ。
流れてくる微かな香りを。ちゃんと覚えていたよ。
「…ナマエ」
「おかえりなさい」
優しい声は少し震えていた。睫毛の隙間から、透明な雫が零れそうに揺れている。
「おいで」
地面に膝をついた彼女が広げた腕の中に、半ば倒れるように体重を預けた。胸一杯に彼女の匂いを吸いながら。
「ただいま」
砂糖水/天野月子をイメージしたけど…なにこれ