「ねこになりたい」

私の横で丸くなる柘榴の柔らかい毛を指先で撫でる。榎木津さんは肘をつき手のひらで頭を支えるように庭に向き、横になっていた。温い風が緩やかに吹く午後。家主である中禅寺さんは来客の相手をしている。ああもう夏も終わる。

「もしなまえが猫になったら僕が飼ってやろう」
「…世話をするのは間違いなく和寅くんだろうけどね」
「飼い主は僕、世話係は和寅」
「またそうやって」

榎木津さんは、知ってか知らずが、故意か否か、話を全く違う方へぶん投げる。今日だってそれに救われて、私は足を崩して伸ばした。

「神様には、何が見えてるんですか?」

柘榴が短く鳴いた。うん、と体を伸ばして、体勢を変えてまた目を閉じる。背中を撫でる。柔らかい、温かい。私は、猫になりたい。

「なまえに見えないすべてだ」

榎木津さんの声は淀み無い。そりゃそうだ。榎木津さんは自称神だからだ。色素の薄い髪の、旋毛を眺めた。あの中に入っているものは私と全く同じで全く違う。

「しかし僕には」

榎木津さんが喋った。躁を感じさせない、落ち着いた声。そういえば眠いと言っていたような。

「なまえの見ているものは見えない」

予想やその他諸々を裏切るようなことを榎木津さんはあっけらかんと、言った。確かに、榎木津さんと私は違う人間だから同じものは見えないだろう。私は崇拝される偶像としての神様の話をしていたつもりだったが、自称神である榎木津さんは自分の話をしていたのかもしれない。
これも齟齬だ。紙一重の、けれど確かな食い違い。私には、これくらいがちょうどいいのかもしれない。榎木津さんはそう思ったのかもしれない。

「なんにも見たくないときはどうすれば、いいんですかねえ」

目を瞑ればいい、とか言いそうだなあと思いながら、独り言のように呟いた。聞こえるのは、中禅寺さんと客の話す、聞き取れはしない声だけだった。

「見たくないものの無い場所に行けばいいだろう」

目が覚めたようだ。確かにそういう考えもある。私は本当に感嘆して、そりゃそうだ、と言った。ちょっと、笑えた。

「目を閉じていては、見たいものも見えなくなるからな」

榎木津さんは簡単そうに言う。すらすらと、淀みなく。やっぱり自称神には、私と違うものが見えているのかもしれない。それは、違う人間だから見えるのか、神様だから見えるのかは分からないけど。

「見たくないものなど、視界から追い出してしまえばいいのだ」

むくりと榎木津さんが起き上がる。がしがしと頭を掻きながら、半分閉じた目を私に向けた。それを横目で捉えた私は、機械的に柘榴を撫でる。ああ、私は猫になりたい。縁側で昼寝をし、愛玩されるだけの存在になりたい。

「なまえは飼い猫になりたいのか? 野良猫になりたいのか?」

榎木津さんはまた予想外な質問をぶつけてくる。

「そうですねえ、野良猫は自由でもご飯とか、大変そうですね」
「食い物か」

気づけば、障子の向こうの声は止んでいた。榎木津さんはまだ夢を見ているようだった。

「食い物なら、僕が用意しておいてやる」

猫になったなまえが来たら、和寅にすぐ用意するように言っておこう、と榎木津さんは欠伸をした。眠い、と言った榎木津さんは柘榴の下に両手を差し込み持ち上げ、私の反対隣に置いた。それから徐に横たわり、今度は私の太ももに頭を載せた。夕日を反射する髪の、その縁がきらきら輝いていた。柘榴にしたように、その髪を指で梳く。もしこの世に神様がいるなら、こんな形かもしれないと思った。