※死ネタ




そんなもの要らないから。
そんなもの要らないのに。自分の中にお前の痕跡を見つける度に、ああ愛しいと思い、ああ憎いと思う。大切なものなんて持ちたくない。どんな形にせよ、それに足を掬われるのは目に見えている。守り抜く自信がないわけではない。本当に自信がないのは、我を忘れたときにお前まで壊してしまうんじゃないかってことだ。だったらせめて、お前の痕跡で俺が満たされる前に。お前がまだ、かけがえなく大切なものに昇格する前に。ほら、こんなにも弱いではないか。この腕を掴む手の非力なこと。ばたつく足の無力なこと。いいんだ。これでいい。これで。

「…はっ、かむ、い」

ひゅっと呼吸が喉を鳴らす。顔色が赤く変わっていくなまえを見下ろす。ほら、間違ってなんかなかったよ。声も出ないほどに、親指とその他の指を顔と首の境にめり込ませる。抵抗する足は激しさを増す。地面を叩く耳障りな音。非力な手は、頸を圧迫する腕に爪を立てた。

「なまえ」

睨まれる。そりゃそうか。俺はいま、どんな顔をしている。死にゆくものを笑顔で見送るのが作法だというのに。なあ、笑えている気がしないよ。手のひらの力を抜いてしまわないように、爪を立てる。

「好きだ」

なまえの目は歪む。涙が滲んでいるのは多分、苦しいからだ。酸素を求めて開く口。文字にならない音が、酸素を強請る。足の抵抗は弱まっていた。

「多分、愛してる」

泣くな。目尻から零れた涙は耳の上を通過する。幾粒も幾粒も、閉じた目の裂け目から、悲しいくらい溢れ出した。俺は間違ってるか。俺はお前が好きだ。多分それ以上だ。だからこそ、壊したくなる。大切なものが怖い。そんなものを持っていることが怖い。いつか、この指の隙間から、例えばお前が零れ落ちたとして。いつか、俺がお前を守りきれなかったとして。いつか、俺がお前を壊してしまったとして。そのとき俺は、どうすればいい。そのとき俺は、どうなると思う。

「ごめんね」

大切なものほど、壊したくなる。そんな自分をよく知っている。俺の理性は脆い。欲望に、いつも忠実だ。どこにでもありふれた命とやらが大切だなんて思えるか。

「か、むい」

もう喋るな。喋らなくていい。もうこれ以上、俺の中に残すな。その愛しいお前の跡を。なまえが爪を立てていた皮膚に、柔らかい肌が滑る。なまえは俺の手首を両手で握っていた。ああ俺は、もしかして間違っているのか。答えは多分、お前が知っていたんだな。

「わ、らっ、て」

搾り出すように枯れた声が、果ての見えた命が必死で捻出した小さな声が、俺の涙腺を切り裂く。格好悪いとこなんて見せたくなくて、目をきつく閉じた。笑って。やっぱり、笑えてなかったんだな。笑顔で見送るもなにも、俺が見放したというのに。

「無理だ」

潤んだ名前の目に、困ったように笑う俺が見えた。最後に、ありったけの力を込めた。なまえの手はぎゅう、と手首を掴み、そしてゆるりと力が抜けた。死んだ。ああ、死んだ。いや、俺が殺した。俺が、殺したんだ。涙が、頬を伝わず落ちた。名前の頬に、一粒、二粒、落ちていく。これで良かった。これで良かったんだ。大切なものなんて要らない。そんなもの壊してしまえ。ごめんな。指の跡が残る頸をさする。唇を重ねたら、目から真っ直ぐ垂れた涙が、うっすら開いたままの名前の目に落ちて、また泣けた。お前の知っていた、その答えを聞いてからにすれば良かったのか。お前はもうかけがえなく大切なものだったんだ。いい。これでいい。そう思わないと、気が触れてしまいそうだ。最期の口付けは悲しいほど冷たい。僅かに開いていた目を閉ざしてやる。ああ、もう、とっくに気なんて触れていた。体温が抜け落ち、たった21グラム軽くなった体を抱き締めたら、どうしようもなく空しくなった。




大切だから壊す、でなくて、大切だからこそ壊すっていう狂ってるのにしたかったのに…力と妄想の不足