※学パロ



暴力は良くない。なんていうか、人間の尊厳を奪うものな感じがする。だから私は、あいつが、嫌いだった。

「ねー、なんで無視すんの?」

軽やかな足取りに合わせて、桃色の三つ編みが揺れる。こんなのと肩を並べて歩くなんて、嫌で嫌でたまらない。友達の兄だからと愛想良くしていたのが裏目に出たようだ。暇さえあれば、人の周りをうろうろうろうろ。あんな目立つ刺繍の入った学ランを着ているんだから、付きまとわれている私が不良に絡まれたりもする。最近は神楽と一緒に登下校しないと何をされるか分かったもんじゃない。

「…お兄さんのせいで迷惑してるんです」
「どんな奴らか教えてくれたら、もう名前ちゃんに迷惑かけないようにするよ?」
「何度も言ってますけど」

私、喧嘩とかするような人、好きじゃないです。嫌い、と言わなかったのはせめてもの情けだ。神威さんは、ずっと変わらない嘘臭い笑顔のまま。なんにも変わらない。

「じゃあなまえちゃん、俺が一週間誰とも喧嘩しなかったら、付き合って」

桃色の髪の隙間から、青い瞳が少しだけ見えた。海とか空の色じゃない、宝石みたいな、青い瞳。初めて見た。

「…いいですよ」

どうせ無理だろうと、私は安易に約束をした。神威さんに喧嘩を売る人間は沢山いるんだから。















しかし、予想は外れた。最初に聞いたのは、お弁当を食べながら、何気なく神楽が言った言葉だった。最近、バカ兄貴が怪我して帰ってくる。あの約束をしてから三日目だった。その言葉に嫌な感じを受けて、さりげなく聞いてみると、いままでそんなことはなかったらしい。怪我をして帰ってくるときもあるが、そういうときは必ず、どれくらいの人数を相手にしたか自慢するそうだ。なんとなく、胸がざわついた。けれどそれはすぐに確固たるものとなった。近隣の高校で、神威が喧嘩を止めた、と噂がたったのだ。勿論、大人数を相手にのらりくらりと攻撃を避けてはいるようだが、いまや、神威さんを討たんと不良共が色めき立っていると聞いた。
私のせいだ。神威さんが怪我をしたのも、襲撃を受けるのも、全部、私のせいだ。あれを言い渡して七日目。私は我慢できずに震える指で、初めて神威さんの携帯電話に電話をかけた。長引いた委員会の終了後、鞄をひっつかんでばたばた階段を下りながら。神楽に聞くこともできるが、嫌々交換した番号を消していなくて良かったと、心の底から思った。長いコール音。心臓が早鐘を打つ。祈るのは、早く出て、とだけ。

「なまえちゃん?」
「神威さん!」

ようやく繋がった電話の向こう、神威さんはいつも通りだった。けど、ひとりでないのはすぐ分かった。なに悠長に電話出てんだ、という旨の怒号。携帯電話を握り締める手が、震えた。私のせいで、神威さんは喧嘩をしなくなった。絡まれても、手を出さなくなった。殴られても、手を出さなくなった。私は、最低だ。暴力は大嫌いだけど、でも、神威さんが殴られたり蹴られたりするのはもっと嫌だ。

「いまどこ?」
「えー、どこだろ」

神威さんは言葉を濁す。

「いいから! いまどこ!」

神威さんは黙った。電話の向こうでは、汚い言葉遣いがひっきりなしに聞こえる。その声は少なからず苛々しているようだから、神威さんはちゃんと避けているのかもしれない。

「言えないよ」
「なんで?」
「なまえちゃんが危なくなるから」
「いいよ、私なら!」
「良くないよ」

電話の向こう。音は止まない。聞き慣れない鈍い音は、相手が素手でないことを示しているのかもしれない。今度は歯ががちがち震えそうになった。涙も出そうになった。そんな約束なんて、守る必要がどこにある。神威さんよりずっと弱い奴らに舐められて、怪我をして。そんな約束破ればいいのに。

「そんなことよりさ、約束覚えてる?」
「…当たり前だよ」
「今日で、七日目だね」
「…神威さん、なんで? あんな約束、」

我慢していたのに、神威さんの声と一緒に聞こえる音に、涙が出た。声が震える。ローファーに履き替えたところで、しゃがみこんでしまった。やだよ。神威さんは、世界で一番強い人なのに。やだよ。そんなの、嫌だ。

「なまえちゃんが、俺と付き合ってくれるんならこれくらい朝飯前だよ」

ぼろぼろ涙が落ちた。神威さんはそう言ってから何も言わなかった。私は、携帯電話を持っていない方の、カーディガンの袖で強く頬を擦った。

「神威」
「…なに?」
「もういいから」
「…」
「もういいから、やり返してよ。私、神威が喧嘩するの、嫌だけど、神威が傷つけられる方がもっとやだ!」

神威さんは喋らない。いきなり、年下のくせに呼び捨てにしたのが気に食わなかったとも思ったが、多分違う。

「なんか言ってよ」
「…なまえちゃん、男に二言はないんだよ」
「もう、そんなの、いいよ。いいから」
「いまどこ?」

私は立ち上がれずに、ひたすらカーディガンの袖を濡らしていた。委員会が長引いたとはいえ、いまは帰宅部の生徒は下校し、それ以外の生徒は部活に勤しんでいる時間で、私の他に人はいない。

「…まだ、学校」
「迎えに行くよ」

待ってて、と言って電話は切れた。無機質な電子音を聞きながら、私は少しだけ声を出して泣いた。携帯のハンドミラー機能で確認した私は、酷い顔をしていた。目は真っ赤で、アイラインとマスカラは少し滲んでいる。直す気にはなれず、ティッシュと指で拭い、校門にもたれてしゃがみこんだ。何度も時間を確認しては、数分しか経っていないことに涙腺が刺激される。組んだ腕の中に顔を埋めて、早く来いと何度も呟いた。神威さんの声がしたのは、数十分経ってからだった。

「なまえちゃん」

勢いよく顔を上げた先には、いつものように笑う神威さんがいた。一週間ぶりに見た神威さんは、口の端に怪我をしている。それを見たとき、収まりつつあった涙がぶわっと溢れた。

「か、むい、さん」
「泣かないでよ」

神威さんの手が優しく腕を掴む。ゆっくり立たされて、その指が目尻を滑った。自分勝手な私は、神威さんに抱きついて、泣いた。

「おっと、」
「神威さん」
「…さっきみたいに呼んでくれないんだ?」

背中を滑る手のひら。申し訳なくて、しゃくりあげながら私は涙を零し続けた。

「神威」
「なに?」
「ごめん、ごめんなさい。私のせいで神威、怪我して」
「なまえちゃんのせいじゃないよ」

神威さんが優しくて、さらに泣けた。私のせいなのに。そんなことはよく分かってるのに。

「神威、約束守ってくれたから、怪我したのに」
「言うほどしてないけどね」
「だから、いまから私は神威の彼女だから」
「…今日が終わるまで待たなくていいの?」
「いい。だって私、神威が」

大好きだもん、と呟くように言った。神威は、そっか、とだけ言った。少しだけ見上げたら、宝石を嵌め込んだ目と視線が交わる。酷い顔、と言われたから肩にパンチをかましたら、いった、と声が降ってきて慌てて謝る。けれど、神威はいつものように笑って、嘘だよと言った。