嘲笑うような笑みを、忘れられない。手のひらに感じる熱と粘つく血液が、俺を此処に留める。
これくらいなんだという。屈してたまるものか。俺の右腕はまだ生きている。俺の右目はまだ生きている。壊れたのは左目だけだ。
視界を覆う夜空と、異人の黒衣。月明かりを受けて輝くのは、この手に戴く刀。それからあの、酷く目障りな、銀髪。
視界が揺れる。
ああ、俺は。

「晋助様」

あのときには無かった声がした。自然に持ち上がった瞼が、女を捉えた。眠っていたのか。

「申し訳ありません。魘されていたので」

縁側の柱に背を預けてうたた寝をしていたらしい。随分と嫌な夢を見た。今日の月が、あの日の月と似ていたからだろうか。
猪口には桜の花びらが浮いていた。

「あまりお飲みにならないで下さい。お体に障ります」
「お前も飲め」

花びらが底に貼り付いた猪口に酒を注ぐ。花びらがまたふわりと浮かぶ。黙って受け取ったなまえは一気に煽った。

「…美味しくないです」
「餓鬼だからしゃあねぇな」
「そうですね」

月明かりが照らす桜は、色を失って真っ白に見える。きらきらきらきら。風に揺れる度に目障りに光を浴びて輝く。
喉を灼くような辛さが心地好い。猪口の中で、月は粉々に砕けて溺れている。
ゆらゆらゆらゆら。
ぐらぐらぐらぐら。

「…お腹の、傷は」
「手加減が仇になったな」

ヅラはまだ、迷っていたのだろう。傷は刃先が少し埋まる程度だった。先生が、守ってくれた、わけではないだろう。
きっと、早く捨てろ、という意味だったのだ。
先生。

「…月が綺麗だな」
「はい、とっても」
「こんな夜は」

左目が痛む。先生を思い出す。もう二度と、元には戻らないもの。失ってしまったもの。

「だ、大丈夫ですか? 冷やしますか? あ、温かい方が」
「大丈夫だ」

慌てて腰を上げようとするなまえを制す。多分これは、心因性のものだろう。感傷的になっている心に、体が同調しているのだろう。
心臓と同じ速さで熱が点る。あの日、耳の奥で感じた血流の速さと同じ。この目はまた、刀を受け傷付き、血を吐き出している錯覚に陥っているのだろうか。ああ、隠しているはずなのに、月の光がしみる。

「晋助様」

躊躇いがちな手が、左目を押さえる手に重なった。忍上がりのなまえの行動を、たまに気付けない。右目を向けると目が合った。ひんやり冷たい。燃えるように熱い傷が、急速に冷めていく。
錯覚だ。
左目は完治した。
視力を失って。

「晋助様」

少し低い、落ち着いた声が桜吹雪を真っ直ぐ抜けて耳に触れる。
小さな手。

「此処にいるのは、みな晋助様の左目です」

きらきらしていると、言っていた。どいつもこいつも、分かっていてやってくる。俺は蛾を焼き殺す光で、自分は太陽を目指すことすらできない蛾だと。
分かっているのに。

「私たちは使い捨てして下さって構いません」

たった二本の腕で、足で。
たったふたつの目で。
たったひとつの、命で。

「けれど、どうか晋助様は、ご自愛下さい」

みな、躊躇いなく殺すのだろう。俺の行く手を阻む者共を。そして恐れることなく死んでいくのだろう。
俺の、道となって。
何処に行き着くのかも、その先に何があるのかも、分からないまま。なまえは微笑んだ。とても、人を殺す生業の女には見えない。この手も、人を殺しただろうに、こんなにも優しい。

「お前は、死なずについてこい」
「仰せのままに」

 もう誰も、死なないで。
 もう誰も、殺さないで。