放射線状に、僕たちは合わせた背中を、合わせた踵を、少しずつ遠くへ進めていく。
僕たちの礎は、拠は、同じだった。
それを、どう受け取り、どう捉え、どう感じ、どう考えたのか。
きっと其処から、僕たちは違う道を歩んできた。
先生がくれた種を、僕たちは僕たちの畑に植えて、それは違う花を咲かせた。
ねえ先生、先生の望んだ未来は何処にあったの?



「すっげえ怪我」
「何とでも言え」
「もうやんちゃはやめろよ」
「お前は言葉遣い治せ。そんまんまじゃ嫁の貰い手ねえぞ」
「元からいないんだけど喧嘩売ってんの」

久しぶりに見た銀時はぼろぼろだった。
そこら中包帯まみれだった。これでも良くなった方らしい。ぴんぴんしていた桂に話を聞いたら高杉とあーだこーだだったらしい。
幾ら時間が流れても、癒せない傷が、また新しい傷を増やした。そう思った。もしそうなら、それはすごく寂しいことだ。

「高杉はまぁだそんなことしてんのかあ」
「そーみてえよ。あれはもう治んねえだろうなあ」
「治らないかあ」

小さい頃は漠然と、高杉は先生が大好きなんだな、くらいにしか思っていなかった。
勿論私も好きだ。
先生は、色んなものやことを教えてくれた。
けど先生、先生のいない寂しさや辛さは、教えて欲しくなんてなかった。
先生がくれたあの言葉。
きっと、高杉も銀時も桂も私も、それを理念にしている。
支えにしている。形見にしている。
高杉は、辛くて苦しくて悲しくて不甲斐なくて痛くてたまらなかったんだろう。
多分、それはみんな一緒だった。
けど、私たちはその傷の解釈すら、治し方すら、同じじゃなかった。
答えなんてない。正しいも間違いもない。

「銀時は」
「ぁあ?」
「銀時も」

高杉と同じ気持ちなのにね。
私は前を見ていた。通りを人が歩いていく。走っていく。立ち止まる。沢山の人々。
 世界はまだ、動いている。生きている。私たちの世界は一度死んだのに。

「ばあか、同じじゃねえよ」
「…そうだね」

思えばみんな違っていた。
先生のくれた種を、大事に大事に育てて。誰ひとり同じでない。みんな、綺麗な花だった。

「銀時」
「あんだよ」
「銀時はさあ、松陽先生みたいだ」

銀時の髪も笑い方も指先も声も表情も喋り方も立ち方も座り方も全然違う。違うのに、たまに、本当にごく稀に、銀時は先生のような貌をする。
生きてるよ。
高杉、先生は、みんなの中に生きてる。
姿形はないけど、声も聞けないけど。先生のくれた種は、多分先生の欠片だったんだ。
訝しんでいる銀時の顔を見ていた。ああ生きてる。

「なまえ」
「なに」
「お前ん中にもいるよ」

それから、ちょっと笑った。
銀時もつられたように笑った。こんなにも穏やかだった。
私たちは先生という世界をなくした。私たちはそのとき一度死んだのだ。しかし私たちは生きていたから世界を再構築した。
けど私たちが知っているのは先生という世界だけ。何度壊れても、なくしても、死んでも。礎は拠は、変わらなかった。
先生のくれた種は生きているから。

「高杉もいつか気付くかなあ」

銀時は、酷く優しげに笑った。