緩慢な動きで、唇が首筋を這う。彼の巨体を支えるために簡素なベッドが微かに軋んだ。くすんだ色の壁紙とカーテンは日の落ちきっていない時間でも部屋じゅうを薄暗く沈ませる。ベッドに押さえつけられた両手首が僅かに冷たい。唇が触れるくすぐったさに足をばたつかせれば、氷のように冷たい、まさしく氷でできた彼の足に掠めてしまう。性急さもない、焦燥にかられてもいない、その啄ばみに私は溜息を隠さずこぼす。

「…考えごとですか?」
「…ん? いや…」
「する気がないならしなくて良いです」

手首を揺らせばほろりと拘束が取れて、空しさだけが辺りにまとわりつく。私が身を起こす動作に合わせて、彼も上体を起こした。胡座に直った彼はいま、反旗を翻した恩師のことで頭がいっぱいに違いない。しかもそれに、縁遠くない海賊まで関わっているという情報を得たばかりだった。
せっかく海軍を辞めたのに。そう思うと自然と目が伏せられる。これじゃあ、あの頃よりもタチが悪い。

「ごめんて、ナマエちゃん」
「良いんです」

彼が伸ばした腕を丁寧にいなして、彼のもとへ返す。海軍を辞めたのに。私たちはもう、上司と部下ではなくなったのに。組織に縛られることもないのに。遥か上にある、困ったように眉根を寄せたその顔を見る。そうして思い出す。組織に縛られていたのは、そもそも私だけだったこと。彼はずっと、いつだって、自由だったのに。軍に縛られず。私にも縛られず。自らの求める正義にこそ忠実に。

「クザンさんの頭の中は、きっと、海のことでいっぱいなんですね」
「…そういう、わけでもねェよ」
「うそつき」

何の深刻さも伴わない、軽やかな口調で私はほんの少しだけ彼を責める。だからって、何も変わりはしない。私は、彼の何かに、これっぽっちも影響を与えることなどできやしないのだ。
日々の職務がなくなれば。彼の溜め込む書類がなくなれば。その締切がなくなれば。私たちはもっと、違う形で共にいられるのかもしれない。そんな私の淡い期待は、すぐに打ち砕かれた。彼の目には、海しか見えていない。彼の背には、未だに正義の文字がはためく。

「ナマエちゃんや」
「なんか、おじいちゃんみたい」
「…君から見たら、ほとんどそうだろうさ」

彼が拗ねたような声で視線を外して、きっとこの話題は終わってしまう。吐息の混じるような、低く甘い声音。こんなに傍にいるのに、私が一番近くにいるはずなのに、こんなにも遠い。それは、紛れもなく情熱の差だと分かっていた。彼は、正義と平和のために何十年も心血を注いできた。軍に所属し、役職を得て、ただひたすら生きてきたのだ。情熱のほとんどすべてを、彼に傾ける私とはそこが決定的に違う。私はそれを恥じても、自らに失望しても、それでも、彼といる未来を選んでここにいる。それが、一抹の悲しみを私に与えていても。
愛しい顔を見る。精悍な骨格に、人柄の出る目元や口元。彼はふ、と肩の力を抜いて足を崩した。

「ま、どんだけ考えても状況は変わらねェしな」

付き合ってくれや、と彼は口角をねじり上げた。私の背中はもう一度、冷えたベッドにぶつかって、見上げた先には僅かに細められたまぶたが縁取る真っ黒い瞳。自分勝手な強さに射竦められたように、私は息を飲む。手首を押さえる手のひらや指先は、今度こそ人肌でマットレスに沈んでいく。
目の前の彼が、口づけのために顔を傾けた瞬間に私は目をきつく閉じた。その動きだけで目眩がしそうだった。くらり、と、頭の中が揺さぶられては弾けて白んで、触れた唇にすべてを持っていかれる。温い、湿った舌が触れ合っては絡み合い、彼の行うそれに翻弄されるだけの私は熱に浮かされたように自由を失う。
もっと、何もかもを忘れてしまいたい。何もかもを。そのためには、これが一番手っ取り早く確実で、強力だった。もっと、私がまだそう思っているうちに、彼はリップ音と共に舌を抜いて唇を離す。物足りない、もっとして欲しい、そういう表情をしていると、自覚している。

「ナマエちゃん、最後までついてきてよ」
「ク、ザンさん、もっと」
「分かってるって」

私のはしたなさを笑いながら、彼は私の耳に息を吹きかける。私は彼の目論見どおり、甲高い声で反応し、顔をそらした。体じゅうが、期待に高鳴る。彼に満たされたくて、他の誰でもない彼と、彼のやり方で満たされたくて、私は息を荒げた。
かさつく指先が、服の裾から侵入し腹をなぞる。大きな手に触られているだけで、心地良さに足が動く。私が浮かす必要もなく背中に滑り込んだ指先が下着のホックを外して、そのままぐい、とずらされた。柔らかな肉が指先で形を変えるのもそこそこに、厚い舌先が胸の突起を舐める。湿り気を帯びた生温かい感触に喉をそらした。この体が心許なくて、その太い首に両腕を絡める。

「あ、っ、」

何がそんなに楽しいのか、彼は背中を丸めるようにして私の胸にかぶりついている。もう片方は武骨な指先が弾いたり摘んだりしていて、ぴりぴりと響く。舐められるたびに息が漏れて、足の間が湿っていくのを自覚した。声を喉でこらえながら、快感を逃すように足を動かす。それに気づいた彼が、胸の先を口に含んだまま、鼻で笑った。

「どーしたの」
「ん、っ…べ、別に」
「ふうん」
「ひゃあ、」

不意に胸の先に歯を立てながら吸い上げられて、殺しきれなかった声が飛び出す。小さく笑われるのが恥ずかしいけど、そんなことよりもっと気持ち良くなりたかった。指先の愛撫を受けていた方の胸を舐め上げた彼は、わざとらしくゆっくりと腹を伝い、ショートパンツのボタンを外し、チャックを下ろす。腰を浮かせれば、彼が両手で下着ごと抜いた。あまりの恥ずかしさに、せめてこれ以上見られまいと胸元にある頭を強く抱き締める。大きな体が近いせいで、大きく足を開くことに羞恥心を覚えていると、それでも指先は濡れた部分を確かめにくる。

「あーあ、びしょびしょじゃない」
「ん、んぅ、あ、」
「そんなに気持ち良いのかね」

湿り気をまとった指先が、僅か上に隠されたそれを引っ掻く。途端に大きな喘ぎ声が飛び出した。力が抜けた腕をひっかけたまま起き上がり、近づいてきた顔に今度は私が顔を傾ける。頭のおかしくなるような気持ち良さが欲しい。ぬるぬるの指先が、柔らかなタッチでそこを上下する。鼻から抜ける喘ぎ声に酔いそうで、擦られるそこから強烈な快感がせり上がっていて、私は彼の舌に、私の舌を絡ませ続ける。募れば募るほど、追い立てられる感覚に、彼に強くしがみつく。どこかへ行ってしまいそうで怖い。耐えられなさそうで怖い。

「あ、あ、いやあ、くざ、ん、さ」

彼は唇を離し、けれど至近距離で私の顔を眺める。追い詰められているのが分かっているのだ。首に巻いた腕に力を込めて、それでも足らずに頭を左右に振りながら、動きの速くなった指に意識を集中させる。きつく合わせたまぶたが震える。開いたままの唇がわななく。びくん、と体すべてが大きく跳ねて、そのすべてから力が抜ける。爆ぜるように心臓がうるさくて、ようやっと目を開ければ、すぐに彼と目が合う。

「…見ないで、」
「そう言われてもなぁ」

額にキスをくれた彼は、胸元に唇を当ててじりじり下がっていく。数秒後に行われることを察して、私の下腹部はぎゅうと期待に震える。その通り、彼は両手で両足を開かせて液体がまとわりつく場所を舐め上げた。

「ん、やあぁっ、」

先程達したばかりでまだ熟れたままのそれを彼の舌が舐める。成熟した舌遣いは無言で私をまたもや駆り立てる。内腿が震える。掴むところがなくて、彼の頭に触れた。吸い上げられて、息を飲んだそのときに、長い指がぐちゅりと穴の中に侵入する。共鳴するように痙攣し始める体を私は持て余す。何度経験しても、弾け飛びそうで怖い。漏れ出しそうで怖い。

「あっ、ぁん、あ、くざ、ぁ、い、いく、」

ぎゅうと体を縮こませて、その刺激に耐える。耐えて、ぱちん、と弾けた。喉を裂く勢いで悲鳴を上げた私の足の間から、彼が起き上がる。

「ナマエちゃん」
「…なに…」
「挿れても良い?」
「は、はやく…」

前を寛げた彼は一息吐いて、また私に覆いかぶさる。背の高い彼は、背中を丸めるようにしないとキスもできない。両腕を伸ばすように頭の上で恋人繋ぎにされ、キスをする。そうしているうちに、固いものが液体を塗り広げるように動いて、裂け目に埋まっていく。大きな、あまりにも大きなかたまりが、ゆっくりと突き進んで私は大きく呼吸を繰り返した。いまでこそ慣れたものだけれど、彼と初めて体を重ねたときはあまりの痛さに本当に裂けるかと思ったほどだった。
彼が頭の上で長い息を吐く。奥までみっちりと埋め込まれた感覚に、さらに足の間が湿るのが分かる。見上げた彼は優しい顔をしていて、涙が出そうだった。

「く、クザンさんん、すき」
「おれも、愛してるよ、」
「あっ、ああ、」

ずるっとそれが蠢いて、内壁が擦られる。ずっと待ち焦がれていた感覚に、私は歓喜の喘ぎを上げる。ぎりぎりまで引き抜いて、勢いよく滑り込む動きが私の頭まで揺さぶる。きっともう、彼の愛撫と、彼のものじゃないと満足ができない。
彼は私の手を離して、私を抱え込む。触れ合う肌が、熱くて熱くて、たちこめる彼の匂いで溺れそうだった。強靭な彼の腰つきは、まだまだ長く続くことを暗に示す。途方もなく広い背中に腕をまわして抱きつけば、彼の腕はさらに強まる。














「クザンさん、好き」
「知ってるよ」

まだ赤い、彼の右肩に触れる。死ななくて良かった。何度そう思ったことだろう。すべてことが終わった後の、気だるい空気の中、ベッドにふたりで横たわるけれど、彼の長い足はベッドからもはみ出ている。熱の上がった体が反動で冷めないように私は掛布をしっかりまとっていたけれど、彼はそうでもなさそうだ。肩口に頭をのせて、その体躯に密着する。

「私、本当は正義なんてよく分からないんです」
「随分と難しい話だな」
「私ただ、クザンさんと離れたくなくて、一緒にいたくて、それだけで海軍辞めたんです」
「知ってるよ」

そう言って彼は少し笑う。