波の音が子守唄のようで、遠く低く鳴っている。その音を聴きながらまぶたを押し上げた。柔らかなクッションを抱きながらうつ伏せで寝ていたらしい。部屋の窓からは灰色の空が見える。
一緒に寝ていたはずの、ドフラミンゴがいなかった。シーツの滑らかさを感じながら座るように起き上がる。彼を探しに行こうと、厚手のカーディガンを羽織って部屋を出た。ルームシューズが、ぺたぺたと音を立てる。食堂にもキッチンにも、誰もいない。甲板に出ようとドアを開けると、びゅう、と強い風の抵抗を受ける。それで気がついたのか、ピンクの羽毛を羽織った彼が振り向いた。
「もう起きたのか」
「うん…」
「すぐ戻る、冷えるから部屋で待ってろ」
「分かった…」
彼はいつもの笑顔だったけれど他にも幹部や船員たちがいて、私は素直に引き下がる。航海の邪魔はできない。来た道をとぼとぼと引き返し、部屋に戻りカーディガンをソファーに放った。ベッドはもう熱を失っていて、冷えた中にそろそろと足先を沈める。枕に頭を預けて目を閉じれば、また子守唄が耳につく。ざざ、ざ、と優しい音は、その揺れも手伝って、私に眠気をもたらす。
「ドフラミンゴ…」
彼が傍にいない。そんな恐ろしいことはない。私の目の届かぬところで、私の手の届かぬところで、傷ついてはしまわないか、どこかへ行ってはしまわないか。そう考えると不安でたまらない。私が傍にいたところで、どうこうできるわけはないのだけれど、彼が無事かどうか、そんな心配が頭から離れない。
ぎゅ、と掛布を握った。枕やシーツなんかから、彼の匂いを探す。早く戻ってきて、そう思いながら、暗闇の中に落ちていく。
「ナマエチャン」
波音に優しい声が混ざる。大きな手が、頭を撫でて髪を滑る。うっすら開いた視界の中に金色が見えて、目を開けた。彼が笑う。
「待たせたか?」
「待った…」
指先で乾いた目元をこすりながら起き上がる。彼の手が、湯気の立つガラスコップを持っていて、それを渡される。輪切りのレモンが沈んだレモネードが甘い匂いを放っていた。
「冷えるな」
「寒いの?」
「おれは寒くねえよ、鍛え方が違えからな」
彼が言う通り、頭を撫でる手は温かい。ピンクの羽毛を脱ぐのを見ながら、それに口をつける。両手でコップを包めば指先に熱いくらいで、思ったより冷えていたことを知る。ベッドの中に入り込んできた彼が長い指で私の髪をかきあげた。ふわりと視界が広がって、またさらりと落ちてくる。その優しい指先が、恐ろしいほど繊細に私を扱うから、泣きそうになる。
「あったまるよ、飲む?」
そう言いながら差し出せば、やっぱり彼は大きな笑顔でそれを受け取る。舐めるようにだけ飲んで、甘えな、とレモネードより甘い声で囁いた。
彼はまだ残るレモネードをさっさとサイドテーブルに置く。揺れたらこぼれる、と思ったけれど彼はそんなこと気にするそぶりもなくて私は黙った。必要以上にあるクッションに背を預けた彼の、腕の中におさまり胸にもたれる。
「天気、悪いね」
「ああ、ひと雨きそうだな」
彼の声はそれでも楽しげで、私も少しだけ口角を上げた。頭を上げて見た窓の外は、やっぱり灰色のまま。彼の手が、神経質そうに掛布を私にしっかりとかける。
「空は…青いほうが綺麗じゃない?」
「空の色か…気にしたことねえな」
「晴れたら、ビーチでゆっくりしない?」
「そりゃ名案だ」
前に一度、彼が雲に糸をかけて空を飛んできたのを見たことがある。そのとき、空が青かったのだ。どこまでも続く気がするほどの、コバルトブルー。羽織るピンクの羽毛は、彼の背に生える両翼のようにも見えた。そのときに、怖くなった。どこかに飛んでいってしまうのでは、と。
「ドフラミンゴ…」
「なんだ」
「どこにも行かないでね…絶対に」
「さぁな」
「私をひとりにしないでね」
「…善処する、としか言えねえよ」
「私をひとりにするくらいなら、殺して行ってね」
絶対に、捕まらないとも殺されないとも言えないのは痛いほど分かっている。見上げた先の彼は、濃色のサングラスで窺い知れないけれど、多分優しい顔をしていて、それは私の悲しみに拍車をかける。
「泣くなよ」
寝るぞ、と彼が私を抱えながら横になる。体温を吸ったベッドは何もかもが温かくて、そして隣に寝る彼から恋しい匂いがして、目を閉じた。
「俺はな、もし俺がいなくなっても、ナマエが幸せに暮らしてりゃ良い」
「なにそれ、似合わないこと言うね」
「かもな」
短く彼が笑って、つられて私も笑った。
胸にすり寄りながら、青い空のことを考える。灰色の空は、やっぱり好きじゃない。灰色の空なんて、どう考えてもドフラミンゴには似合わない。もっと、なんの湿りもない、なんのくすみもない、コバルトブルーが良い。飛んでいくならコバルトブルーが良い。ふたりで生きるのならコバルトブルーが良い。例え、その空の下、どこに辿り着くとしても。
あゆのBLUEBIRDを聴きながら読んで…