オアシスの底が見えるのつづき


クリスマスはまだまだ先だというのに、最近の私にはよくプレゼントが届いた。あの日買えなかったブラックのワンピースと台形スカートを皮切りに、キュートなハイヒール、ピンクゴールドの腕時計、新作のグロスにポリッシュと、飽きもせずに毎日毎日、何かが送られてくる。伝票の送り主はそれぞれのブランド会社だけれど、それが誰の依頼かは考えなくても分かっていた。
使用人に外装を処分させ、分厚いじゅうたんの床には散らばるショップ袋と商品の入った立派なボックス。開けられたそれから覗く贈り物たちは、恨めしそうな視線を私に向けている。そう感じるくらいだった。
彼への気持ちが、干からびてしまったようだった。からからに乾いて、砕けたかのようだった。どんな贈り物もただ空しいだけで、乾いた気持ちを潤す力はなかった。嬉しいはずだった。でもそれと同じだけ、空しさがつきまとう。
つまらない景色。サーとベッドをともにすることもあるが、私は一応ひとり部屋を与えられている。なにせ、屋敷はとんでもなく広い。部屋はいくらでもあるのだ。ひとりで寝るには広すぎるベッド。主寝室のベッドはもっと大きいが、サーと寝るとその大きさを感じない。それにしても、このベッドは寒すぎる。しかし、セックスで元通りになるかと聞かれれば、それも無理であるように感じる。そもそも、セックスもしばらくしていない。悲しさのあまり冷めてしまった気持ちを、また以前のように燃え上がらせる方法を知りたかった。彼に愛されていると、あふれるくらいに実感したかった。もっと、きちんと、ずっと、分かりやすく。
もし彼と別れたとして。私は何の取り柄もなく、生活できるだけのお金を自分で稼げるのかも疑わしい。経済的に自立できないということは、かくも苦しいことか。
ぼうっとしていたら扉がノックされた。声が通るような厚さではないので、私は緩慢な動きで扉に近づき、押し開いた。

「ロビンさん」
「こんにちは、ナマエちゃん」

ロビンさんは彼の秘書だ。住み込みではない。人当たりの良い、私より歳上の女性だが何を考えているか分からない人でもあった。私は怪訝な表情を隠すことなく何か用かと聞く。

「今夜、パーティーがあるの」
「…そうですか」

帰りが遅くなることくらいでわざわざ連絡に来ることを不自然に思いながらも、私は返す言葉を探して、うまい言葉を見つけられずになんとか返事をした。彼女は特に意に介せずににこりと笑った。

「社長が、あなたにも出席して欲しいと」

ええ、と私は嫌そうな声を出した。嫌なのだ。何年か前に、サーに連れられて有名ブランドの新作発表パーティーについて行ったことがある。私は会場に着いた瞬間から、その場にいることを後悔した。煌びやかな会場には、これまた煌びやかな女性が晴れた日の夜空のように所狭しと招かれていたのだ。背も高くなく、幼い顔立ちの私は悲しいほど浮いていたように思える。やり手社長の連れが、不釣り合いにちんちくりんな女だと好奇の視線に晒されたのは勘違いではなかっただろう。サーがまったく気にしていないように見えたのが唯一の救いだった。けれど、挨拶に来る女性がいちいち、嫌な視線を私に向けることに、どうしても耐えられなかった。早く終われ早く終われ、そう祈り続けた数時間だったことはいまだに忘れられない。

「私、そういうのには相応しくないから。ロビンさんが代わりに出てくれると助かるのだけれど」
「うーん、社長はあなたをご所望よ」

そう言われて私は黙り込んだ。こんなことは初めてだった。パーティーは当日に開催が決定されるものではない。事前に、なんなら先月には分かっていたはずだ。なぜ私への打診が当日なのか。

「とても急な話でね」

彼女は私の疑惑を感じ取ったように口を開いた。私はおそるおそる彼女の読めない瞳を見つめる。

「パーティーと言っても、社長の友人が個人的に開く小さなものらしいわ」
「そうですか…」

私はこれに、はいというより他ないことを感じた。彼女の履く、ピカピカのエナメルハイヒールの爪先を見ながら、蚊の鳴くような小さな声で、分かりました、と言う。

「そんなに怖がらないで頂戴。15時にドレスを用意して伺うわ」
「はい…」
「…ねえ、良かったら、一緒にランチをどう? 今日は天気が良いし、中庭のテラスなんか良いと思うの。社長にはオフレコで、色々お話しましょう」

彼女はそういうけれど、秘書である彼女に知られれば、たちまち彼の知るところとなるのは火を見るより明らかだった。私は疑わしい目を隠さなかったけれど、彼女はやっぱりニコリとするだけだった。

「…じゃあ、ご一緒します」
「決まりね。12時に中庭で待っているわ」

それじゃあ、と彼女は踵を返す。私は静かに扉を閉めて、大きく溜息を吐いた。12時まであと30分ほどしかない。ブランチのときに着た服はすでに洗濯に出してしまった。クローゼットを開けてコーディネートを考えるのも億劫で、出しっぱなしになっていたブラックのワンピースを手に取る。
















着替えて髪をとかし、薄化粧で中庭に下りるとまだロビンさんは来ていなかった。日陰になっているガーデンテーブルを選んで、イスにかけた。それでも葉の隙間からこぼれ落ちる太陽光がチラチラ眩しい。咲いている花をぼーっと見つめていたら足音が聞こえてきて、私は顔を上げた。歩いてきたのはロビンさんとサーだった。何か仕事の話をしているのだろうと思って目をそらした。私はいつも蚊帳の外だ。
プチ家出をしたあの日から、サーとはあまり会っていなかった。といってもまだ数日だ。ランチでは会うことはないし、彼は多忙なのでディナーでも会うことは少ない。ブランチで顔を見るくらいで、それすら挨拶程度で済ませていた。取ってくれるはずの休みが、いつになるのかさっぱり知らされていない。
気まずさから、頬杖をついてあさってのほうを向いていた私は、ロビンさんの靴の踵がテラスのレンガにぶつかる音で顔を上げた。

「お待たせ」
「ううん、私もいま来たところ」

彼女が私の向かいに腰かけると、待っていたようにランチが届いた。
生クリームがたっぷり乗ったアイスココアとカルボナーラとナッツサラダとコンソメスープが私の前に置かれ、彼女の前にもコーヒーとパスタとサラダとスープが並べられる。使用人の姿が見えなくなってから、彼女が口を開いた。

「今日のドレスも、社長が選んでいたわ。…あの人いつも仏頂面だけど、あなたへの贈り物を選ぶときはなんだか楽しそうね」
「…まさか」

確かに、サーはセンスが良かった。ピンとこない贈り物も、身につけてみると驚くほど似合うものばかりで舌を巻く。私は軽く流しながら、アイスココアの上の生クリームをスプーンで掬った。彼女もコーヒーに口をつけて、フォークでサラダをつつき始める。

「ナマエちゃんは…結婚とか考えないの?」

意図がつかめない鋭い質問が、何の前触れもなしに飛んできて私は彼女の目を凝視した。彼女はやり過ごすように微笑む。

「…未来のことは考えないようにしてるの」
「どうして?」
「考えても意味がないような気がして…」

サーとの交際が始まったのは5年ほど前からだった。彼が経営するビルにオープンすることとなったファッションブランドのモデルをしていた私は、視察に来ていたサーと出会った。第一印象は、とにかく怖い人だった。後から聞くと、商品に匂いがつくからと葉巻を我慢していて、イライラしていたらしい。本社から来た担当者に、食事会の接待要員として呼ばれた私は不本意ながら彼の隣に座ったのだった。初めは会社を通して食事の誘いを受け、連絡先を教えてからは個人的に会うようになり、それなりの期間を経て現在の関係に至る。
モデルとしては低身長で、お世辞にも派手な顔立ちではない私はコンセプトが合ういくつかの雑誌とブランドでモデルをしていた程度だったから、生活費全額をサーが負担する同棲を提案されたときにすっぱり仕事を辞めていた。
結婚や子どもについて考えたことがないわけではなかったけれど、すべての決定権は彼にあるような気がして、私は何も言えず、ただのんびりとした毎日を送っているだけだった。

「彼ももういい歳じゃない?」
「そう…と言えばそうかも」
「そろそろ落ち着いて、父親になるのも良いんじゃないかなって思っただけ」
「父親って…」

ロビンさんは意味ありげに笑ってこの話を終えた。
居心地の悪さを感じながら仕事の話を聞いたり、映画やドラマの話をしていたところでミニパフェが届いて、やっと一時彼女の視線から解放される。使用人が、クロコダイル様からです、と伏せたカードを私の前に置いて去っていって、私はまた嫌な汗をかくことになった。指先でカードを返すと、食べ過ぎないように、と達筆で書かれていた。よく聞く言葉は、私の頭の中でしっかりと彼の声で再生される。それをテーブルの上に置いたまま、ミニパフェにスプーンを差し込んだ。

「彼、見惚れてたわよ」
「え?」
「確かに、この場所は絵になるわね」

そう言いながら彼女は上を向いた。つられて私も上を向く。眩しさにすぐ顔を戻す。チカチカする視界で彼女は笑っていた。まさか、彼が私に見惚れるわけがない。きっと、買ってやったワンピースをやっと着たのか、というようなことを考えていたに違いない。
私はロビンさんと分かれて部屋に戻った。服を脱いで、歯を磨いてベッドに潜り込む。ドレスが到着するまで少し眠ることにした。
1時間ほど経ち、アラームで起きた私は下着をカゴへ脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。念入りに体を磨き、夜に備える。シャワールームから出て、体を拭き髪を乾かしシームレスな下着を身につけガウンを羽織ってから時計を見ると、まだ少し早かった。
部屋中に広げられたままのプレゼントをウォークインクローゼットにしまってもまだ時間があって、ミニ冷蔵庫から冷えた炭酸水を取り出して喉を潤す。憂鬱でしかない。ヘアアイロンを温めていたら扉がノックされる。

「…なんだ、その格好は」

ロビンさんだと思って開けた先には、なんとまさかサーが立っていた。驚いて言葉も出ない私に、一気に不機嫌そうな表情に変わった彼が、唸るように言葉を出す。

「ロビンさんが来るのかと思って…」
「薄着でドアを開けるな」
「…ごめんなさい」

盛大な溜息を吐いた彼はベッドの上にドレスを広げた。それから、箱に入ったハイヒールとクラッチバッグがローテーブルに置かれる。
出てくのかと思いきや彼はソファーにどっかり座り込んだ。彼は、この部屋では葉巻を吸わない。
私は一抹の気まずさを覚えながらも、ミニ丈のパーティードレスを両手で掴んで掲げて見る。

「わあ…めずらしい色」

ノースリーブのドレスは淡いカーキ色だった。デコルテを同じ色のレースで隠しつつ上半身にフィットし、ウエストからふわふわのチュールが幾重にも重なってAラインを作るフェミニンなデザインで、私は感嘆する。かわいい。

「ドレスコードがペアルックだからな」

振り向くと目が合った。確かにサーは濃いカーキのダブルスーツを着ている。

「サーのセンスはいつも素敵」
「…さっさと着替えてこい」
「はぁい」

広々としたウォークインクローゼットに入り、スツールにドレスを置いてストッキングを選ぶ。サーは何も言わなかったから、ラメが施されたヌーディーなカラーのガーターストッキングを履いてドレスを着る。お気に入りのブレスレットとネックレスをつけて、部屋に戻ればサーは考え事でもしているようだった。
整った横顔のかたち。固そうな皮膚と、色のない唇。撫でつけられたオールバックから短めの束が一房、武骨な容姿にセクシーさを覗かせる。かっこいいなあ、と素直に思う。私はただ、手放しに、とびきり、無我夢中で、愛されたいだけなのだ。ただ、私だけを。

「…いつまで見てるつもりだ」
「…いや、」

なんとなく言えなかった続きを、探すように彼が私を見る。彼は私がめかしこむと必ず言うのだ。馬子にも衣装だな、と。
私はその視線から逃げるようにドレッサーの前に座った。ロビンさんがいないなら、ヘアセットを自分でする必要がある。今日、スタイリストがいないのは急だったからかもしれない。熱くなったヘアアイロンで髪をくりんくりんに巻いて、色んなところをねじりながらポニーテールを作る。自分でできるのはこれくらいだ。
何の会話もないまま、メイクを終えて香水を物色する。以前買った、ローズとイランイランのボトルを取ったら、後ろから声が飛んできた。

「それはやめとけ」
「…どうして?」
「お前には似合わねえ」
「…ふうん」

私には似合わない。この香りは、あの朝のことを思い出させるから私も好きじゃなかった。でも。こういうの、好きなのかと思ったのに、言えない言葉がまた飲み込まれて消えていく。結局いつものものを取り出した。
やることがなくなった私は、意を決してハイヒールとクラッチバッグのもとへ向かう。彼の斜め向かいに座って、真新しい箱を開ける。淡いピンクのハイヒールは、型でも取ったかのようにぴったりだった。たぶん、オーダーメイドなのだ。ずっと前からの。なにそれ、とやさぐれた私が顔を覗かせるから困る。

「…ナマエ」
「なあに」
「…いや、」
「なによ」
「俺の見立て通りだな」
「そう? なら良かった」

何とも思っていない風に、私は視線を外して言う。ロビンさんの言葉を、思い出して、何気なく聞いてしまおうか、やめたほうが良いか逡巡する。
あなた、わたしと、どうなるつもりなの? あなた、わたしと、どうするつもりなの?
いやいや、と正気にかえる。聞けるわけがない。

「…ナマエ、おまえ、」
「…なあに、歯切れ悪い」
「…お前、子どもが欲しいのか?」
「は?」

私の力強い驚きに、サーも片眉をつりあげて表情を歪める。何をどうしたら、そうなるのだ。驚いたまま彼を見つめて、ロビンさんの企んだ伝言ゲームではないかと思いつく。

「べつに…サー、子ども、好きじゃないでしょ」
「…俺の話をしてるんじゃねえ」
「…そんなの、考えたこともないよ。結婚してるわけでもないのに」

非難するつもりでないと伝わるように、何の感情も込めずに淡々と言葉を吐き出す。のしかかる空気が重くて重くて、窒息してしまいそうだった。ごまかすようにハイヒールと同じ色のクラッチバッグを開けて、ハンカチと口紅を滑り込ませる。結婚とか、子どもとか、そういうのは私ひとりで決められることじゃない。ふたりで話し合って、決めるべきことなんだ。私たち、いつもその場しのぎの楽しさで、そういうことを避けてきたのだろう。30代が見えてきて、身体的なタイムリミットの近づく私を、彼はどうするつもりなんだろう。

「…お前が望むなら、それでも良いと思うがな」

低い声で放たれた言葉を、私は息を止めて反芻する。頭の中にはクエスチョンマークがたくさん跳ねていて、私はうっかり彼の顔を見てしまった。なんてことはない。いつも通りの、仏頂面寄りのコワイ顔だ。百面相をしているのは私だけに違いない。

「考えたこともなかったから、」

こんな恐ろしいことを考えられるわけがなかった。そんなに都合良くいくとは思えなかった。私たちは対等なようで対等ではなかった。私は自分を、ただ彼に養われているペットくらいにしか思えていなかった。

「ていうか…サー、私のこと、好きなの?」

彼の指先が葉巻を求めるように、じり、と動いた。私がとんでもないバカなことをしでかしたかのような目で、私をじっと見ている。
もちろん、彼と私はそういう間柄だというのは十分承知している。ただ、気持ちは移ろうものなのだ。愛を囁くことなど滅多にないサーが、私への愛を継続できているのかは甚だ疑問である。彼はいつも帰りが遅いし、私なんていてもいなくても大差ないような生活を送っているのだから。

「…俺が、どうでも良い女を屋敷に住まわせた挙句、貢ぎ物までするとでも思うのか?」
「ほら、そういうことばっかり言う。好きなの?って聞いたんだから、好きか好きじゃないかで答えるべきでしょ」
「口の減らねえお嬢さんだな」
「…嫌なら他を探せば」

履きかけていたハイヒールを、箱に戻した。それは、チェンジしたいならどうぞ、のつもりだった。
サーはもてるのだ。敏腕社長で、硬派で、イケメンで。恋人がいることは随分知れ渡ってはいるが、まだ正式に法律婚をしたわけでも、婚約したわけでもないから、あわよくばを狙う女性は後を立たない。数年前に40代に突入した彼には、私は子どもっぽすぎる。いつだか、そう陰口を叩かれていたのも聞いた。サーはそれでも、何も言わない。そういう陰口や悪口を、知っても肯定も否定もしない。まるで何も聞こえていないかのように振る舞う。だから私も、何も聞こえていないかのように、何も考えていないかのように、振る舞うしかない。

「好きだ」
「…サー、」
「これで満足か」
「…うん」
「ナマエ」
「なに?」
「ペアはもうひとつあるんだがな」

ドレスコードの話であると気づくのに、数秒を要した。私が反応するよりも先に、彼が懐に手を入れ、小さな箱を取り出す。それが、あまりにもありがちな小箱で、いままでの話の流れを鑑みるに、中に何が入っているのかが容易に想像できてしまって、私はその妄想をどうにかかき消そうとする。
私の大好きな、くすんだピンク色のそれを彼が持った手で開ける。中には。
固まった私を、サーが箱を揺らして急かす。震える両手で受け取ると、ねじれたシルバーリングを台座に、ホワイトダイヤに挟まれたピンクダイヤモンドがきらりと輝いた。

「…サーのは?」
「ここにある」
「これ…どの指につけるの?」
「どの指が良い?」

またそういうこと言って!と語気を強めようと彼を見た。彼は、ねじれた太いシルバーリングを左手の薬指にはめた。それを見た途端に私は意気消沈して、もう一度かわいらしい指輪を見た。彼の顔を、見れる気がしなかった。

「これ…これ、いつから用意してたの」
「さぁ…いつだったかな」

上を向いて瞬きを繰り返した。こぼれ落ちそうな涙を乾かしたかった。なんなの。なんなの。嬉しいような、もどかしいような、そんな気持ちで瞬きを繰り返す。
そんな私を見て、サーは小さく笑った。抗議しようと顔を戻すと、ちょうど手の中の小箱を奪われたところだった。それわたしの、そんな言葉を無視して、彼は私の左手を取る。

「ナマエ、結婚してくれ」

当たり前にぴったりのサイズの指輪が左手の薬指に物知り顔でおさまった。なぜだか感極まって声が出てこなかったので、私は何度も何度も頷く。