もし俺に、白くて柔らかい羽根があったなら、どんなに遠くたって会いにゆけるのに。もし君に、白くて柔らかい羽根があったなら、どんなに遠くたって会いに来てくれるだろうか。もし俺が。もし君が。
「あんさあ、多分今日で最後」
「…なにが?」
「なまえちゃんに、会えるの」
俺の声を掻き消すみたいに風が吹く。ざざあ、と足元の草が揺れ、俺の金髪が揺れ、なまえちゃんの長い黒髪が揺れた。びっくりするほど穏やかな、暮らしだ。手放したくないなあ、と思ったけど。こんなになくすのが惜しいなんて、初めてかもしれない。大切なものはいつも傍にある。そのために、生きている。大切なものは、それだけだ。なのに、きみは、きみは。ねえ、悲しいなあ。寂しいなあ。好きって、どうしようもなく嬉しくて苦しくて辛くて、不思議だ。
「…そっか」
「…ごめんね」
「…ううん」
なまえちゃんが目を伏せた。自意識過剰かもしれないけど、悲しそうに見えた。下がった眉尻とか、少し噛んだ下唇とか。俺がいなくなるの、悲しい? 寂しい? きみもそんな風に思ってくれるの。こんな俺を。川面がきらきら光って眩しかった。世界は眩しい。太陽は眩しい。そんなこと、知ってたけど、知ってただけだった。何度も思った。外の世界は良いなあって。痛くも辛くも苦しくもなくて。良いなあって、思ってた。けど、痛いし辛いし苦しかった。体は平気でも、心は平気じゃなかった。なまえちゃんと離れることになる、もう会えない、って骸さんに言われたとき。痛いし辛いし苦しかった。ああ、そっか、もう、眩しいところとはさよならだ。
「生きてれば、きっとどこかですれ違ったり、するかもね」
なまえちゃんが笑った。目尻が少し濡れている。ごめんね。俺が泣かしたんだよね。けど俺、神様がいるんだ。なまえちゃんより、大切な、神様が。
「うん、そーらよね」
生きてれば、という、なまえちゃんにとっては、なんてことない言葉。生きてれば。俺は、今日、死ぬかもしれない。明日かもしれない。明後日かもしれない。なまえちゃんと俺は、手を伸ばしても触れられない。眩しい世界、明日が約束されている世界。いちゃいけないのは、俺の方だ。なまえちゃんの隣にいたら、いつか感染させてしまうかもしれない。こんなに眩しい世界。太陽に焼かれるみたいに、どうしてこんなに痛いのか。神様なら知ってるのかなあ。
「犬、これ、あげる」
なまえちゃんが、慣れた手つきで、つけていたネックレスのチェーンを外した。女物にしては少し太く無骨な鎖と、シンプルな十字架のモチーフ。
「…いいの?」
「うん、いいよ」
後ろ向いて、と言われなまえちゃんに背を向けた。なまえちゃんの体温を吸った金属が鎖骨の下に当たる。いいよ、とすぐ後ろで静かな声がして、チェーンが首に触れる。
「ありがと」
十字架を握り締めた。本当にさよならなんだと、思った。本当に、これで最後なんだ。なまえちゃんの笑顔が、やっぱり寂しそうで、でも俺にはどうすることもできなくて、ただ目を反らした。ポケットに収めた携帯電話が震えた。すぐに震えは止まる。骸さんだ。もう行かなきゃいけない。なまえちゃんも、気づいたみたいに視線を寄越した。
「…気をつけてね」
もし俺が、鳥だったなら。君に会いに行くのだって容易かったはずなのに。もし君が、鳥だったなら。その美しい羽根を羽搏せて俺に会いに来てくれるのだろうか。もし俺が。もし君が。触れられたなら。同じ世界に住んでいたなら。
「…じゃーね」
「うん、じゃあね」
さよならって言わなきゃいけなかった。言えなかった。なまえちゃんも、言わなかった。だから、それに、甘えた。生きてれば、また会えるかなあ。立ち上がって、少し草と土を払う。なまえちゃんは座ったまま。何も言わずに、歩道へ上がった。数十メートル歩いて振り向く。こちらに顔を向けたなまえちゃんが手を振る。これ以上、後悔したくなくて、思いっきり腕を伸ばして手を振った。なまえちゃんが笑った気がした。ああ、そっか、もう、眩しいところとはさよならだ。もう、さよならだ。