ぱらぱらと降り出した雨も、いまやばたばたと石畳を打ち付けている。雨、というキーワードが呼び起こす記憶。バグかと思考領域をチェックしてもシステムオールグリーンと返ってくる。メンテナンス時にも異常は見られなかった。雨の日。淡い色合いの傘に顔を隠された彼女。唯一見えた口元は、ゆっくり動く。雨音にかき消されても、この目はその言葉をほぼ間違いなく推測できる。口の動きから読み取った言葉たちは、なぜか彼女の声で再生された。雨を吸った僧服が纏わりつくのが、鬱陶しい。仕方ない。優先順位の筆頭は何があっても変わらない。彼女だって、優秀な派遣執行官だ。早く雨が止めばいい。雨が降っているから、彼女は。傘に隠された彼女。雨なんて降っているから。

「…俺は何を考えている」

折りしも教授は不在。このバグを抱えたままでいるのは、酷く不快だった。













「シスター・ナマエの任務はやはり難航しているようです」

詰めたような甘い匂いがティーカップから立ち込めている。苦々しい言葉から少し置いて、かちんとそれはソーサーに戻された。

「しかし、彼女のおかげで私が予想していたよりは事態は悪くありません」

ミラノ公は顎を載せている細く白い指を組み替える。ナイトロード神父は相変わらず、挙動不審気味に落ち着かない。

「そこでなんだけど、神父トレス、彼女の援護に行って欲しいの」

彼は帰ってきたばかりだし、とミラノ公はナイトロード神父に視線をやる。

「了解。すぐに出立の用意を」
「そうして頂戴」

断る理由もない。彼女に与えられた任務とは、国境付近に根城を構えた複数の吸血鬼を殲滅させること。情報によると帝国から出奔した集団が夜な夜な婦女暴行致死や略奪を繰り返しているらしい。目立つことを避けたい為に単独の派遣となったが、先日シスター・ナマエから根城発見、準備出来次第襲撃するとの連絡が入った。共に退室したナイトロード神父がくすくす笑う。ちら、と視線をやったが反応の必要はないと判断した。

「やけに足早ですねえ。ナマエさんが心配ですか?」
「否定。シスター・ナマエの能力及び任務成功率から推測しても問題はないと判断する」
「でも彼女、よく怪我して帰ってきますからね」

心配ですね、と間延びした声は、特に心配さを感じさせない。自らの足音と、ゆったりとしたナイトロード神父の足音。足の長さのせいか、距離が離れることはない。

「…ああ、私はこちらですので。お気をつけて、トレスくん」
「…了解」

急げば、夜までには目的地に着くだろう。















「さよなら、トレス」

下品な野次が飛び交う中で、彼女だけは神聖だった。蹴破った扉は凄まじい音を立て、近くにいた吸血鬼を下敷きに倒れる。驚いたのは吸血鬼たちだけではなかった。左手に力がこめられたのを見逃さない。

「否定。シスター・ナマエ、この状況においてさよならは不適切だ」
「トレス神父、どうして」
「説明は後だ。シスター・ナマエ、それを使う必要はない。援護を」

言葉が切れたその瞬間に、するりと両手に収めたM13が火を吹く。数人の吸血鬼が反応できずに頸椎を穿たれその場にくずおれる。無数の穴を通す銃声は止まない。彼女の双流星の錘が空を切る音が響いて、枝分かれしたワイヤーが首や手足を千切る。耳を擘く悲鳴と命が失せる音。血液と硝煙の匂いが立ち込める中で、立っているのは神父とシスターだけ。余韻を断つように、しゅるしゅると彼女は双流星を回収する。

「戦域確保。戦術思考仕様を強襲から索敵攻撃に書換え。シスター・ナマエ、損害評価報告を」
「…問題ありません」

ピピ、と微かな電子音が聞こえた後、彼女の手から放たれた黒い機器。それは、神父の銃弾を受け粉々に砕ける。

「卿は死ぬつもりだったのか?」

彼女は答えない。窓の両端に寄せられた厚いカーテンの中と、反対側の壁にかけられた悪趣味な絵画の裏側に潜む準備していたもの。黒い機器を砕く前の電子音は、自壊コードを受信した音だろう。白い尼僧服は朱に染まり、彼女の美しい金髪にもべっとりと血液がこびりついている。

「汚れちゃった」
「任務は終了した。宿に戻るぞ」
「はい」

様子は変わらない。あの日の映像に、先ほどの音声が重なる。シスター・ケイトからの連絡はなかったのだろうかと、ふと思った。黙って後ろをついてくる彼女を振り返る。寂れてはいるが街中を歩くには些か目立つ格好だった。

「これを。卿の格好は目立つ」
「…有り難う御座います」

少し逡巡してから、古傷の蔓延る手で彼女はケープを受け取る。暗い屋敷を抜けると、外は清々しいくらいに晴れていた。ああ、雨は止んだのだ。もう傘をさす必要もない。




よく分からん