空が、落ちてきたら良いのに。
いますぐ世界が、終わってくれたら良いのに。
しゅるんと消えて無くなることが出来ないのなら、それらに纏わるすべての面倒事すら叩き潰して欲しい。でもそんなことは起こらなくて、今日と同じ明日が続くことを私は知っている。そんな私にできるささやかな抵抗。少しずつ殺す。少しずつ生き返る。生き返るたびに、また殺す。この肌を細胞を、痛めつけては殺していく。
この傷があれば私は私を保っていられる。なんともない顔をして生きていくことが出来る。ひとつ、切って、ひとつ、裂いて、そこから溢れ出るものを祝う。そのとき私は少し死ぬ。私が殺す。少しだけ。
加害者は右手で、被害者は左腕だ。
「またそんなことしてんの」
学校、誰も来ない階段、座って、私を少し殺していた。大量のポケットティッシュと鈍色。少しひんやりする、左腕の愛おしい感覚。
たくさん殺すせいで、すぐに生き返ってしまう。たくさん殺すせいで、丈夫になって生き返ってしまう。どうせこのくらい殺したって、死にはしない。
もっと殺したくて、すべて死んでしまった左腕を諦めてスカートを上げた。左の太ももは、もう生き返っている。
「生でやってんの、初めて見る」
また一本ずつ殺す。ありったけの、憎悪と殺意と苦渋を込めて。死ね、死ね、お前なんか死ね、そう心で叫びながら殺す。
ああ、こいつらは死ねて良いな。殺してもらえて、良いな。私のことは誰も殺してくれやしない。そう思うと私の中から湧いてきた悲しみが、私の中に充満していく。息をしても吐き出されずに酸素と共に私の裡に染み込んでいく。それは肺や胃やその辺りの臓器に落ち、血液にも染み込んで全身を回り消化されずに重石になっていく。
私の裡が重たくて重たくて、私は動くのも億劫で仕方ない。嗚呼、このまま、深く深く沈んでしまいたい。死ぬでも、殺されるでも、消えるでも、溶けるでも、何でも良い。すべては同じこと。何でも良いから、この感じる脳を、考える脳を、誰か叩き割って。
ぺち、と頬を叩かれた。
飛んでた意識がするりと戻ってきて、少し顔を上げた。覗き込む目を視線がぶつかる。
またお前か。
そう思ったけど、半開きの口から出てくることはない。黙って、視線を落とす。太ももの傷が増えていて、ああ、と思う。何にも感じずに、ポケットティッシュを引き抜いて、太ももに当てた。だらだら流れるそれを、眺める。
良いなあ、死ねて。殺してくれる人がいて。
「これ、やるよ」
そう言って、彼はポケットから幾つかのポケットティッシュを取り出した。それは手から落ちて私の足元に散らばる。
私は持っていたポケットティッシュの残りをパックから全部出して、そこに血を吸ったゴミを入れた。出したものを、また当てる。
「…ありがと」
取る元気もなくて、返事だけした。
彼は、おお喋ったと言う。
面白いもの見たさなんだろうなあ、と面倒に思う。普段話しかけてくることもない。初めは何か言い触らされるかと思ったが、彼も浮いているだけあって、そういうこともなかった。場所を、変えなくては。せっかく、いままで誰も来ない、空き教室ばかりの階の外れの階段だったのに。また女子トイレにしよう、と頭の中でどこが良いかぼんやり考えた。面倒くさい。学校に、行くより行かない方が面倒だから来るのだ。外で切るより家で切る方が面倒だから外でするのだ。
どうしてこいつは、私を面倒くさくするのだろう。
わきに置いていた鞄に、その辺に散らばっているものを入れる。ポーチを取り出して、そこから傷につかない当て布と包帯を取り出した。さすがに、太ももの傷は短いスカートから見える。生傷のままは血が出ることもあるから、こうするしかない。
当て布を傷に当てて、押さえながら包帯を巻いていく。当然、腕は二本しかないから巻きにくい。気にせずもたもたしていたら、目の前から手が伸びてきた。
「押さえてて」
そう言って、手が包帯を私から奪う。私は、面倒で、溜息を吐きながら言われた通りにそれがずれないよう指先で押さえた。その手が、するすると包帯を巻いていく。
使い古したそれを、彼は太ももの正面でリボン結びにした。輪の部分を両方とも、きれいに広げて、端も位置を整える。
よし、と彼が言った。それから、こっちは、と私の左腕を指さした。
「…ワイシャツ下ろすし」
「もうないの?」
無視、した彼が面倒くさくて、まだ少し入っているポーチをしゃがんだ足の間辺りに、投げた。彼は気にも留めずに、中のものを取り出す。うで、と言われて、やっぱり面倒だったから左腕を出した。
殺すのは私なのに、私しか殺してあげないのに、生き返るのは、彼が手助けする。嫌な気持ちになった。私は死にたいし、殺されたいし、消えたいし、無くなりたい。なのに、誰もそれを手助けしてくれない。だから私がそうするのに、生き返らせるのは、手助けされるなんて。許せないし、悲しいし、辛いし、苦しい。助けられても、私の憂鬱は軽くなりやしない。寧ろ、妬み嫉みでさらに重たくなる。私の胸を締め付けてやまない。助けて欲しいのは私なのに。この傷じゃない。私なのに。誰も私を、助けてはくれない。
言われたまま、指先で当て布を押さえる。彼の手がまた包帯を巻いていく。
どうして、お前ばっかり。憎しみが、募る。悲しみが、私を引き摺る。そんな気も知らないで、その手はまた、手の甲のすぐ上で、包帯の端をリボン結びにした。輪をきれいに広げて、端を整える。
「はい、できた」
どうも、と思ってもいないことを、平静を装って言う。
彼が手渡してきたポーチを受けて、適当に鞄に放った。すべてを鞄に放り込んだら、それを持って立ち上がる。帰ろう。現実逃避にも、限りがある。彼を無視して階段を下りた。窓から、まだ薄ら明るい空が見えた。またひとつ絶望して、目を伏せた。
静かな中に、二人分の足音。でも振り返らずに、下り続ける。誰にも会わずに玄関口まで来て、靴を履き替えた。外に出ると、涼しい風が吹いている。またひとつ、死にたくなる。この世は地獄だ。私は生まれたときから、絶望の中にいる。私は私の心ですら、自らコントロールができない。生きているだけで苦しい。生きている限り苦しい。生まれたときからそう感じていた。そう知っていた。誰も私の苦しみを理解できない。誰も私を本当に救うことはできない。私は私の苦しみをうまく言葉にできないし、どうしたら救われるのかを自分で分かっていない。この世は地獄。それは、いつ終わるのだろう?
伸びる影、緩やかな向かい風に顔を上げた。橙と青と紫が入り混じる複雑な空に、私はまた目を伏せた。
夏はまだ終わらない。
男子学生は、高校時代のヤンキー弥鱈悠助をイメージしました